少年の心。理想の男性像として、これの保有を条件と語る女性に「苦労するよ」と呟いてしまいます。母性がそう思わせるのでしょうが、「少年の心」保持経験者の成人男性として振り返るに、少年ほどやっかいな存在はありません。

能書きと悪知恵を身につけ、実行力の乏しさを棚上げして理想を語ります。理性と欲望の線引きが苦手で、客観視するノウハウがないことから自己矛盾を認識できません。少年が純粋に見えるのは、無責任で場当たり的な思慮の浅さの錯覚です。「思春期」ならば許されることですが、このまま大人になると周囲に迷惑を振りまきます。まして「社長」ともなれば。

新しいものに飛びつく

「少年の心」をもつ機械製造業のI社長の話です。

PDA、スマートフォン、ネットブック。I社長は新しいIT機器が登場する度に飛びつきます。ブログやメルマガ、ミクシィにも取り組み、最近「Twitter」を始めました。

その昔は「Second Life」にも熱中し、ちょっと前は社内SNSの導入に積極的でした。いま最も興味を持っているのがグーグルの提供するクラウド「GoogleApps」です。ホームページに関する取り組みも積極的で、社内向けと社外用の二つを持ち、毎月運営委員会を開き自ら委員長をつとめます。

最新情報にキャッチアップしていく姿勢は素晴らしいことです。ホームページとは会社の「ネット支店」であり、全権を持つ社長自身が積極的に関与することはとても正しいことです。

例えばパソコンに詳しいからと若手社員をホームページの責任者に任命しても、コンテンツの公開許可権限がなければその都度確認してまわらなければならず、時間を浪費するからです。その点、社長が責任者になれば「社長決裁」と同義で機動的な運用ができる・・・のですが。

片付けのできない男の子

運営委員会は各部署から選出された担当者で構成されていることから、たびたび意見が対立します。営業部が製造部や業務部といった「現場」と仲が悪いのは、I社長の会社に限ったことではありません。営業部は金を稼いでいるという自負を押しつけ、現場は実働部隊がいるから利益がでるのだと噛みつきます。ここで社長が仲裁に入ればいいのですが、議論が白熱すると彼は次席の副委員長に決済を委ね中座します。理由はこうです。

「社長の私が判断するとしこりが残る」

一時が万事こうです。社内用と社外用のホームページを作らせたものの、戦力が分散しどちらの更新も止まっています。PDAを全社員に持たせましたが、利用している社員はほとんどいません。役員会議で費用負担が議題に上ると、指示されたとおりに導入した総務部を名指しし、「反対しなかった」ことを問題視しするのは「注意しない人が悪い」という論理構成です。

ホームページの運営でも自分のプロフィールのコンテンツ化や業界紙の取材など、目立つことへの協力は惜しみませんが、地味な作業は「任せた」とだけ告げ興味を示しません。各種、IT機器のセットアップは部下にやらせ、その購入も部下に稟議書を書かせて私的に流用します。社長決裁でも買えますが、自分の決断が書類に残り責任を問われることを嫌ってのことです。

女は生まれながらに女だが

I社長は三代目。二代目は入り婿で早世し、会長となっていた創業者は残った孫を溺愛し甘やかしました。ノビノビと自由奔放に育ち、少年の心を捨てる必要のないまま年齢だけ大人になりました。

責任や決断という苦しみは周囲が引き受けてくれ、イヤなことは人に任せる、もしくは誰かがやってくれることがI社長にとっての常識、少年の心0.2です。そして、子供らしく嫌なものは嫌といいます。人より多めに大学に通った後、役員として会社に迎え入れた直後に創業者も病に倒れました。苦言を呈する古参役員を次々と粛正していき「裸の王子様」の完成です。子供に権力を与えると、大人の想像を絶する暴挙にでるのは結果責任という概念がないからです。

そして、新しいサービスやツールに飛びつくのは毎週のように登場する「戦隊ヒーロー」の新製品(おもちゃ)をねだる子供と同じです。

こんな言葉をご存じでしょうか。「女は生まれながらに女だが、男は男になっていく」。ジェンダーの話ではなく、総じて男とは未熟な生き物で、自立を意識しない限り男の子から「男」になれないという戒めです。そして男と男の子の違いは「責任」に対する覚悟です。

姉と妹にそれぞれ甥と姪がいるのですが、彼ら彼女らの成長を見てつくづくこの言葉を噛みしめます。どちらの姪も物心ついた頃から「レディ」でしたが、姉の子の甥は15歳の今もザリガニを見つけて目を輝かせます。

エンタープライズ1.0への箴言


「少年の心を持っていると言われたら危険」