落日の朝日

福島第一原子力発電所の事故対応にあたった吉田昌郎元所長(故人)の「調書」を「読み解く過程で評価を誤り」、結果的に誤報になったと、木村伊量(ただかず)朝日新聞社長が釈明したのは「9.11」。朝日新聞は絶対に謝らない。これが「9.11」までのメディア周辺での常識でした。そこから「謝罪会見」を開いたことを評価する声もありますが、政府が「吉田調書」を公開し、逃げ場を失ったことによる苦渋の選択に過ぎません。政府が「吉田調書」を公開した3時間後に会見を開いたのがその証拠です。真摯に反省していたのなら、遅くともその前日に会見は開けたはずです。

報道において「誤報」は避けられません。しかし、朝日のそれは「捏造」に近く、その悪質性が問われているのですが、「謝罪会見」から真摯な反省を見つけるのが困難であるのは、日時だけが理由ではありません。その会見がまるで開き直り的な「自爆テロ」だったからです。かつての悲劇と重ねて日時を設定していたとしたら、笑えないブラックジョークです。また、朝日新聞を擁護する人々が、あらたな「誤報」を生み出しているのは喜劇です。

組織ジャーナリズムの崩壊?

朝日新聞へのマスコミ各社の批判を、ノンフィクション作家の吉永みち子氏は、テレビ番組で「朝日バッシング」と評します。「バッシング」の意味をウィキペディアに求めれば

"過剰または根拠のない非難を指す外来語"

とあります。過剰か否かは感覚によるので脇に置くとして、一方の「批判の根拠」はアリアリです。「吉田調書」の当該箇所は、明確に当時の状況が記されていながら、重要な一文を削除して掲載していたのです。これを先の社長の説明でやり過ごそうとしているから批判されているのです。つまり「バッシング」とは事実の矮小化を狙った「誤報」です。

さらに、朝日新聞に苦言を呈した池上彰氏の原稿の掲載を拒否した「掲載拒否事件」からも誤報が生み出されているようです。この事件では、朝日新聞の記者が、実名入りツイートで怒りを表明したことがネット界隈で話題になりました。これをITジャーナリストの津田大介氏は

"現場記者がソーシャルメディアを使って声をあげることで組織ジャーナリズムのあり方が変わる可能性を示したという意味で重要な教訓を残した。"

と毎日新聞にコメントを寄せます。この御仁、なんでもソーシャルメディアの手柄にしたがる習性をお持ちなのですが、自ら設定した「可能性」とは、「思いこみ」と紙一重です。それを「教訓」に昇格させるだけでは足りず「重要な」と強調し、事実のように「残した」と結ぶのはいただけません。まるで朝日新聞の、国や軍による直接的な関与の明確な証拠がないまま、「広義の強制性」という「可能性」を論拠にすり替えた「慰安婦報道」のようです。

誤報を排除するには思いこみによる断定を避け、「事実」を丹念に追うことです。そこで「津田説」を追ってみます。

誤報の生まれる背景

朝日新聞の記者が実名入りでツイートしたのは、『週刊文春WEB』の「池上彰掲載拒否」という速報へのリアクションです。つまり「既報」であり、読者から直接質問が投げられることも多いTwitterにおいて、無言を貫くことによる記者個人の信用失墜を怖れるための「自己保身」と訝ることもできます。なにより掲載拒否も、一転しての掲載も、社長の一存と噂される役員会の決定によるもので、津田氏が掲げる「現場の声」の影響は量ることができません。その出発点となった「週刊文春」では

"「池上さんの問題が発覚して以降、読者からの電話の抗議がすごかったんです。ネット上も朝日批判の書き込みであふれ、八月までとは朝日を批判する声の『質』と『量』が明らかに変わった。上層部は不買運動につながることを最も怖れ、判断を覆したのです。」(2014年9月17日号24ページ)"

と朝日記者の声が紹介されています。「電話」が第一であり、最終的には「売上減」への恐怖が朝日を動かしたと読み解けます。当事者の「記者」の証言に、ソーシャルメディアに拡散された「記者の声」が、会社を動かしたとはありません。

やっぱり謝らない朝日新聞

自身の思想信条というバイアスを忘れた瞬間、誤報の足音が近づきます。程度の差こそあれ、「津田説」と一連の朝日の誤報と二重写しに見えるのは、私の老眼が進んだせいでしょうか。いずれにしろ罪作りな朝日新聞です。

そして朝日新聞は「謝罪会見」において報道機関として「自爆」しました。「吉田調書」はもとより、いわゆる「従軍慰安婦」についても「第三者委員会」を立ち上げ、そこで検証するというのです。

新聞の存在意義のひとつは、真実を究明し社会正義を実現することにあります。朝日新聞自身も数々の「巨悪」を追究してきたと自負していたはずです。ところが、第三者委員会に委ねるということは、自らの不正について検証する能力がないということです。通信教育事業を営む「ベネッセ」が、情報流出事件の調査を外部に委託するのとは異なり、朝日新聞は報道機関です。「巨悪」に向かった取材力、検証能力をどうして自らに向けないのでしょうか。それはつまり、その能力がないという告白です。そして事実の検証能力がないまま、記事を書き続けていたという自供で、すなわちすべての過去の記事が信頼できないといっているに等しいのです。存在意義に疑問符をつける「謝罪0.2」とは、まるで木村社長による「自爆テロ」です。

エンタープライズ1.0への箴言


「誤報の謝罪は心から。当たり前の話しですが」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」

筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」