底値買いの損得

より安いほうがいい。バブル崩壊以降、これが社会的コンセンサスとなりました。面白いもので、コンセンサスが醸成されるとそれが絶対のように語られるのですが、古き昭和ではこういう論があったことを覚えているでしょうか。

「良いものは高い」

さらにこんな戒めもありました。

「安物買いの銭失い」

商品価値と価格が連動するというのが当時のコンセンサスだったのです。これが「安くても良いもの」を経て、「安さ」ばかりが重視されるように変化していきました。「平成大不況」などの経済情勢も背景にありますが、私は「数字」という分かりやすさも浸透した大きな理由と見ています。性能やデザインといった素人には評価が難しいものでも、「価格」という数字で値踏みするのは小学生でもできるからです。しかし、「安い」だけで本当に得をしているのでしょうか。

スーパーマーケットなどで最安値の商品を選んで購入することを「底値買い」といいます。底値は店で異なり、牛乳1リットルパックがA店では128円、B店は148円といったようにです。単純な比較では20円の差がありますが、A店が自宅から自転車で10分、B店は1分の距離にあるとしたらどうでしょうか。アルバイトで得られる時給を800円としたとき、往復で生まれる18分で240円稼げる計算ですから、20円得するために220円損をしていることになるのです。

底値は安さの指標となりますが、本当のお得度を測るなら別の指標が必要です。

地域価格を破壊する

「底値」の虜になったのが玩具販売のH社長です。商売人なら仕入れ値を抑えたいと考えるのは当然のことです。H社長も日々、お得な仕入れ先を探していました。H社長は市役所勤めを辞めて「起業」し、様々な業種を転々とする中で玩具に辿り着きました。玩具業界は「問屋制」が今も機能しており、「新参者」が美味しい話に食い付くのは至難の業です。しかし、硬直化した世界にひび割れが起こるのは物理法則のようなもので、ひび割れた隙間に食い込むことで、新参者の不利を補っていました。

ある日、ネットサーフィンをしていたときのことです。信じられない「底値」を発見しました。「会社概要」をみると地方の業者で、いつも取引している問屋価格より3割ほど安く、送料を差し引いても「底値」でした。玩具の嗜好には地域性があり、「地域価格」いわゆる「相場」があるのです。

例えば、ガシャポン(カプセル玩具)は全国共通の100円タイプでも、マニアがいるキャラクターグッズの場合、秋葉原周辺で「中身」だけが高値で売買されることがあります。

ネットでは相場が破壊された「底値」があることを知り、H社長はネットサーフィンにのめり込みます。

数字の比較にはまるドツボ

幾つかのサイトが見つかりました。問屋が正体を隠して横流していたり、廃業した小売店の品だったりと事情は様々ですが、地方ばかりではなく同一県や、近隣県にも多数ありました。

問屋システムでは取引の歴史が仕入れ条件に反映されることがあります。よく言えば「持ちつ持たれつ」の人間関係を重視するということですが、一方でH社長のような脱サラ組の「新参者」は軽く扱われる傾向があると彼は言います。さらに、廉価販売を快く思わない問屋もいました。問屋は「相場が崩れる」ことで他の小売店への影響を心配してのことですが、H社長は「仕入れたものをいくらで売ろうが関係ない」と譲らず、トラブルの種となっていたのです。

ネットに義理人情は不要で、価格という数字だけで取引が成立します。他店に気を遣う必要も、仕入れた商品をいくらで売ろうと文句をいわれることはありません。加えて底値です。従来の問屋が既得権益を守ろうとする「抵抗勢力」のように見え、ネット底値による「構造改革」に着手しました。

とはいえ、ネットでの仕入れも万能ではありません。人気商品が「掛高」となるのは通常の問屋取引と同じですし、都市近郊の業者は割引率が低く、物流業者に依頼すると儲けがでないこともあります。そこで「底値検索」をより強化します。

見えないコストが底値に発生する

スタッフも動員して最安値を探します。仕入れ数や支払い条件による価格交渉も忘れません。そして、選定した底値商品を自ら車を運転して「引き取り」にでかけます。引き取り先が複数の場合は、スタッフの自家用車も供出させ、小口の場合「電車運搬」もします。

しかし、脱サラ前に役所勤務だったH社長に配送ドライバーの経験はなく、荷積み荷下ろしが苦手で、裏道を知らずカーナビの指示に従うだけですからいつも交通渋滞にはまります。他のスタッフも同様です。そして従来の仕事が減ることはありません。スタッフが引き取りに行っているあいだの「店番」も必要で、新たなアルバイトを雇い経費が利益を圧迫します。

さらに底値にこだわることで仕入れ機会を逸して、商品ラインナップに「欠品」がでた分を同業者から高値で買い受けすることもしばしば。底値を追いかけて自分の仕事を増やしコストを増大させ利益が減った「底値0.2」です。

抵抗勢力とH社長が嫌った問屋には、仕入れと保管、物流手配のノウハウがあり、これがコストに計上されます。また、売れない商品である「死に筋」にも協力して買ってくれる小売店のお陰で問屋はメーカーからの仕入れが可能となり、メーカーもまた極度の販売不振を回避することができる「共存共栄」の仕組みがそこにあります。問屋と直販それぞれに一長一短があることを付け加えておきます。

底値買いを楽しむ主婦に牛乳の計算式を提示し、決して得しているわけではないと説明するとこう答えました。

「レジャー。底値で買ったという満足がプライスレス」

なるほど趣味なら損得で計るのは野暮というものです。

エンタープライズ1.0への箴言


「底値だけを追いかけるのはひとつの博打」