民主党政権誕生前夜に
東京都議会選挙での民主党大勝から、政権交代がいよいよ現実味を帯びております。民主党の区議会議員を熱心に応援している知人は、国政に対してこういいます。
「自民党以外にやらせたい」
一度でいいから「非自民」の政権を見てみたいというのです。90年代初頭の「日本新党ブーム」に夢を見た私は彼の気持ちが分からないのではないのですが、その後の政治の混迷という悪夢を知っていると複雑な気持ちになります。また、民主党については「政権交代」が目的化しているように見えることも不安です。政策を実現するのが目的で「政権交代」はそのひとつの手段に過ぎず、以前話題となった「大連立」や「政策協定」など手段ならば他にもあります。
もちろん打倒自民党政権に燃える「感情」としてはわかりますが、「政権交代の暁」に燃え尽きシンドロームに陥ってしまうのではないかと懸念するのは老婆心でしょうか。
とはいえ、手段が目的化することは商売の現場でもよくある話です。そして政治と同じく迷走します。先ほどの知人に「政権奪取後の元自民、旧自民、前自民との連立はありなの?」と問いかけると彼は腕を組み沈黙しました。
ITツールの進化によって
その昔、スーパーマーケットの店内POPといえば手書きのレタリング文字でした。レタリング文字にはセンスと技術が要求され誰でも書けるものではありませんでしたが、パソコンとプリンタの登場が素人の参入を容易にしました。ワープロを打つ要領で豊かな表現を実現でき、カラープリンタが鮮やかな世界を刷りだしてくれます。
関東の地方都市でスーパーマーケットを営むA社長は、パソコンとプリンタに魅せられたひとりです。POPは絵心のあるアルバイトに描かせていましたが、残業させてまで描かせようとするA社長の性格が禍して、すぐに辞めてしまいます。ところがパソコンを使えば特殊技能は不要となり、プリンタはひと言も文句をいわずに印刷してくれます。そして店内の隙間という隙間にPOPが貼られます。
POPを貼るスペースがなくなると、店内で配布するチラシを作るようになりました。残業させるとすぐに辞めてしまうアルバイトと違い、寡黙に印刷を続けるプリンタの機械音がA社長の精神安定剤となっており、「刷れる」ものを探していたのです。
チラシというドラッグ
POPは店内スペースが物理限界でしたが、チラシは客が持ち帰ることで無限に印刷できます。月に1回だったチラシ作りが隔週、毎週となり、ピーク時には週3回配布していました。しかし、版下(チラシのデザイン)作りはPOPより手間がかかる上に、掲載するネタはすぐに尽き、独立系のスーパーマーケットでは仕入れる商品点数にも限りがあります。そこで店内から飛び出し、新聞折り込みで各家庭へ配布することにしました。店内配布は来店者数を越えることはありませんが、新聞折込なら世帯数となり「桁違い」に印刷できます。プリンタを卒業しリソグラフ(簡易印刷機)を購入しました。
Twitter(ツィッター)で情報共有する時代に「チラシ」とは古くさい感じもしますが、いまでも街角レベルの広告媒体としては抜群の効果を誇ります。しかし、私はチラシをこう呼びます。
「麻薬」
当初は配布した数に比例するかのように客が集まります。しかし、繰り返すうちに珍しさは薄れ客足は遠のき、集客力は低下します。また、当初の成功イメージが経営者の脳裏に焼き付き、回数や枚数を増加させることで低下分を補おうとします。これはより強い薬を求めるようになるジャンキーと全く同じです。さらに症状が進むと、配布しないと落ち着かなくなるという禁断症状が現れます。
目的と手段が入れ替わる瞬間
掲載される目玉商品や特売情報は毎回ほぼ同じです。火曜日は卵が特売され、水曜日は砂糖、木曜日はシーチキン缶の繰り返しですから、客はチラシを見ずとも欲しいものがある曜日にしか来店しなくなりました。それでも月1回から週1に、店内から新聞折込にと印刷枚数を増やし来店者数が増えた「成功体験」がA社長に号令をかけさせます。
「刷って刷って刷りまくれ」
文句をいわず印刷するプリンタに魅せられて、気がつけば刷ることが目的化したチラシ0.2です。チラシなら回数や枚数よりも「中身」で客を惹きつける工夫に力点を置かなければならないのですが。政治ならば政局よりも「政策」です。
「お金なんかいらない」。小学生の子供をふたり持つ主婦がいいました。民主党の掲げる「子育て手当」によって月々2万6千円支払われることにです。他にも公立高校の無料化などをした「ツケ」が子ども達に廻されては可哀想だといいます。そこで私はこういい、励ましました。
「大丈夫。輪転機(印刷機)を廻せば紙幣はいくらでも刷れるから」
お金を刷って刷って、刷りまくったその先にまっている「インフレ」には触れずに。
エンタープライズ1.0への箴言
「手段に振り回され目的を見失うな」