孫正義の必殺技

こども心に「ウルトラマンは、どうして最初からスペシウム光線をださないのだろうか」と首をひねったものです。訳知り顔の年長者から「相手が弱ってから出すのが必殺技だ」と説明を受けるも釈然とせず、残ったモヤモヤ感の答えがでたのは大人になってから。

「戦力の逐次投入は愚策」

古代ローマから変わらぬ戦いの鉄則を知ります。つまり、ウルトラマンは「必殺技」を使うタイミングを間違えていたのです。緒戦から最大戦力を投じれば、敵の戦意と戦闘力を削ぐことができ、双方の被害を減らすことができます。ウルトラマンが最初から「スペシウム光線」で怪獣を弱らせておけば、戦闘時に破壊されるビルの数を減らすことができたということです。

ソフトバンクの「孫正義」氏は必殺技の使い方を心得ています。必殺技の名は「無料」。ブロードバンド回線の「ヤフーBB」、ソフトバンク買収直後に始めた「無料キャンペーン」によりシェアの拡大に成功します。そして、ヤフーショッピング、ヤフーオークションにかかる出店料、手数料を「無料」にすると発表しEC業界を震撼させます。

無料化は正義か

孫正義氏はヤフーの無料化を「革命」と呼びます。しかし、ネットの世界において「無料」は「正攻法」のひとつです。検索エンジン、ツイッター、フェイスブック、LINEのどれも無料だからです。さらにかつては有料だった「ブラウザ」や「メーラー(メール送受信ソフト)」も無料になっています。だからネットは「無料が当たり前」という主張する人は珍しくありません。

とある業界紙がネットで紙面の全面公開に踏み切ったのは今から3年前のことです。お金を出して定期購読している読者への配慮から、無料で閲覧できる端末は「スマホ」に限定してのことですが、記者が靴底を減らし集めた記事を、無料で配信し始めたのです。「ネットは無料」というネット世論に従ったわけではありません。マスコミ関係者はネットに疎いので、そもそもネット世論に鈍感です。従ったのはベストセラーの著作を持つ「カリスマITコンサルタント」の助言です。

「まず、無料にする。そこがスタートラインだ」

カリスマのレクチャーはこう始まりました。

それが奴らの手口だ

続いて世界の潮流だと「オープン化」を語ります。オープン化とはプログラムの仕組みを公開し、自由に改変できるというムーブメントです。在野の研究者、ライバル企業の技術者の知見を集めることができ、これを「集合知」と定義します。記事も同様に「オープン化」、すなわち「無料」にすることで、多くの知見を集めることができ、世界を変えるエネルギーになると熱弁をふるいます。

取締役のひとりが「収益」について訊ねます。するとカリスマはこう反論します。

「いままでと同じ紙媒体の発想ではダメ。まずは無料にする。そして集合知により、新しく生まれた世界で最適なマネタイズ(換金術)を考えるのがネットビジネスだ」

赤字を抱えたまま上場し、成長したIT企業の事例を紹介し、まずは始めることの大切さを説き、ネットに無垢な経営者は無料化へと舵を切ります。

カリスマでも無名でもコンサルの手口は同じです。方法論や理論を説明するだけで、肝心の「儲け方」を教えてはくれません。それは当然の話。確実に儲かる方法を知っていれば、コンサルは誰にも教えず自分ではじめます。

ヤフーの勝利の法則

ちなみに「オープン化」とはネットにおけるプログラミング業界だけの話しです。個人情報保護法だけでなく、EUで検討されているネット上の情報を削除できる「忘れられる権利」、ジャーナリズムの世界では、ウォールストリートジャーナル、NYタイムズに続きワシントンポストが有料化したように、むしろ世界のトレンドは「クローズ化」です。

グーグルやフェイスブックなど「無料」の成功者は、場所や環境を提供しているだけでコンテンツを作ってはいません。ここがポイント。ネットにおける場所や環境の提供とは、いわば「自動販売機」です。設置してしまえば、電気代だけで24時間稼働し続けます。一方、新聞記事のようなコンテンツは、そこで販売するジュースです。絶えず生産し、補充しなければならず、さらに同じものばかりでは飽きられ、新商品を開発し続けなければなりません。両者の区別をせずに同じ結論に導くのが「ネット無料論」の陥穽で、その落とし穴に見事にはまった「無料0.2」です。この新聞社はいまだ、最適なマネタイズを見つけてはいません。というかそもそも、そんなものはありません。

ヤフーの無料化も場所の提供に過ぎません。だから可能です。またその先にある野望が、孫氏に「革命」と叫ばせたのかも知れません。それは「情報」です。ヤフーはかつて「検索」の玉座にいました。蹴落としたのはご存知グーグルです。無料により出店者を集めることで「商品情報」を収集できます。また、取引が行われれば「購買情報」をゲット。こうした人力を介する情報収集はグーグルの苦手とするところで、これらの「情報」により、検索業界においての「革命」を狙っているのかもしれません。

余談ながら「ウルトラマンが最初から必殺技を使わない理由」とは「おもちゃが売れなくなるから」と教えてくれたのは、当時オモチャの営業マンをしていたというわたしの営業の師匠。真偽は不明ですが。

エンタープライズ1.0への箴言


「無料は手段で目的じゃない」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」

筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」