家は誰に売るか
優秀な不動産営業マンは、マイホームを「主婦」に売るといいます。多くの人にとって一生に一度、一世一代の買い物で「家族史」において重要な位置を占める「マイホーム購入」のキーマンは主婦なのです。これは「一国一城の主の草食化」によるご主人の家庭内地位の没落というよりも、家にいる時間が長い主婦のほうが住宅へのビジョンがハッキリしているからです。
例えば、1階に洗濯機がありベランダが2階ならば、洗濯物を干す度に濡れて重くなった衣類を抱えて階段を登らなければなりません。システムキッチンの「ダウンウォール」は背の低い女性にはありがたく、「採光」の大切さは日中、外で働いているご主人には想像もつきません。
一方のご主人は「価格」などの数字しか判断材料を持たず、こちらを狙えば「条件闘争」に陥りやぶ蛇です。そこで営業マンは主婦を狙い撃ちにするのです。もちろん「主夫」も同様です。
キーマンを見極めれば成功は約束されたも同然ですが、逆は最悪です。新築住宅の内覧会で接客した営業マンとご主人は、互いにサッカー好きということで話が盛り上がりました。価格も予算内で条件もほぼ満たしていましたが、契約には至りませんでした。サッカー話でラインの外に「放置」された奥さんが、レッドカードを出したのです。
ITの世界でも同じことが起こります。
いまどきないなんて
T学習塾のK塾長は焦っていました。学習塾と名前にありますが、「寺子屋」のような雰囲気が地元に評価されており、特別宣伝をしなくても生徒が集まっていました。しかし、少子化により目に見える形で生徒が減少していきます。徒歩圏内に新しい鉄道路線が開業したことで人口流入による生徒増を期待したのですが、伴って大手の学習塾も地域に参入してきました。彼らはチラシやDMで勧誘し、生徒を奪っていきます。
何か手を打たなければ、ということでホームページ制作業者に相談したのが12月です。3月から4月といった新年度が入塾を募るタイミングで、これまでに開設したいと告げると「急ぐ必要がある」と業者は答えました。訪問者は「検索エンジン」経由でやってくるが、オーガニック検索で表示されるには「認識(インデックス)」される必要があり、これに数カ月かかることがあり、逆算すればギリギリだというのです。
オーガニック検索とは「自然な検索」という意味で、いわゆる普通の検索結果のことです。オーバチュアやアドワーズに代表される「検索連動型広告」のように、「人為的」に仕掛けることができる検索結果と区別する表現です。そして、広告を使えば検索結果の上位に表示させることはすぐにでも可能ですが、予算はサイト制作分しかありません。
秀吉の一夜城築城も
初めてサイトを…というより、宣伝・広報活動の経験がないK塾長はどこから手をつけていいのかも分からない上に、急げといわれて頭を抱えてしまいます。12月は冬休みの補習授業と、受験コースの仕上げで多忙を究めます。
そこで業者はひとつの提案をしました。
「墨俣城を作りましょう」
墨俣城(すのまたじょう)とは、俗に言う「秀吉の一夜城」のことで、張りぼてのサイトを突貫工事で制作し公開するといいます。「検索エンジンに認識されるためだけのサイト」で見栄えや細部は無視し、「人間」がみる繁忙期(本件では3-4月)までにデザインやコンテンツを充実させるという二段構えの作戦です。
ホームページ制作でもっとも時間がかかるのは「確認作業」です。有り体な言い方をすれば、サイトの「見た目」や「雰囲気」とは「主観」によるところが大きく、この擦り合わせと確認に時間をとられます。墨俣城は「作り直し」を前提としているので確認作業を最低限に抑えることができ、スピードアップが計れるのです。
業者としては二度手間なのですが、クライアントの利益になるのと同時に、墨俣城を「たたき台」にすることで、クライアントのイメージが具体的となり意思の疎通が図れるというメリットもあります。
ところが、墨俣城が完成し公開のための最終確認に塾へ向かうと事態は一変します。
殿の仰せのママに
応接室に通されると、トドのような大きな身体の年配の男性がソファーに身を深く沈め、K塾長はその脇で肩をすぼめて立っています。そして開口一番
「可愛くない」
といいます。K塾長にアゴで指示を出すと、「資料」と称する他の塾サイトのプリントが次々と並べられ、これらをパクるように指示を出します。
言い終えると「よっこらしょ」と巨体を起こし、応接室を出ていきます。ドアが閉まったことを確認して、呆気にとられていた業者にK塾長は小声でいいます。
「ウチの理事長なんです」
曰く、最終決定権は理事長が持っており、指示に従って欲しいと頭を下げます。指示通りに「パクリサイト」に作り直して再提出します。すると
「動いていない」
パクリ元のサイトでアイコンとして使われている、小さな「GIFアニメ」のことを指しているようです。追加し再提出をすると次は
「オレンジ色がボンヤリしている」
と指摘し、ハッキリした色にしろと指示します。色は配色で印象が変わり、さらにボンヤリ・ハッキリは主観の問題です。後に分かったことですが、理事長はサイトの仕上がりに不満があったのではありません。
「自分に許可なくホームページを作り始めた」
ことに腹を立て「嫌がらせ」をしていたのです。オーナー型社長にみられる「殿様0.2」です。
会社の利益より自分の気分を優先させます。不動産の営業マンが主婦を狙うというエピソードを逆説的に補完します。キーマンを抑えておかなければSaaSもクラウドもWeb2.0も無意味です。
余談ですが、墨俣城の4回目のリフォームのあとも嫌がらせは続きました。そして、業者は代金を返金して解約し、塾のホームページはいまだに公開されていません。
エンタープライズ1.0への箴言
「キーマンを外すと話がこじれるのはITでも同じ」