情熱大陸という舞台裏

週刊文春の人気コラム「テレビ健康診断」で青木るえかさんが、「『情熱大陸』に出るツテはないか」と言う知人のエピソードを切り口に辛口の批評をしていました。「情熱大陸」とはいわずと知れたTBSの密着ドキュメンタリー風バラエティ番組。オンエアに映る取材陣の低姿勢な態度を「おべんちゃら」と切り捨てます。テレビ関係者から聞いた話では、密着取材は機嫌を損ねたら、企画そのものが終了するので、一番大切な仕事は取材対象者のご機嫌を取ることだそうですから、正鵠を得る指摘です。番組そのものを自慢話と袈裟切りにして、"「若くして評伝を書いてもらう」ような番組に出たいと思ってはいけない"と結びます。

その通りと頷きます。と、同時にわたしは違う角度から「情熱大陸」が苦手です。ひと言で述べるとこう。

「それって舞台裏でしょ?」

歌舞伎役者が客に魅せるのは、歌舞伎であって稽古ではありません。お笑い芸人の努力を知ることで、彼らのギャグに笑えなくなることもしばしば。苦労している、努力している、挑戦を惜しまないと、どんな形容詞で語ろうが舞台裏はひけらかすものではありません。

料理長のブログ

役者も芸人も芸で評価されるべきと考えます。だから舞台裏をみせられて、なるほどなどとは思いません。ファン心理としてなら理解できなくもないのですが、公開されることを前提に見せられる舞台裏が本当の舞台裏であるはずもありません。本当に包み隠さず、番組スタッフに見せているとしたら、相当な露悪趣味か、すさまじいまでの自己顕示欲をもつ人であることの告白です。この視点でみた「情熱大陸」は、鼻持ちならないナルシストの品評会です。

舞台裏は見せるものではないという視点は、昭和時代の飲食店でのアルバイト経験から身についたものかも知れません。これから外食に向かわれる方のために、詳述は避けますが、食欲をゼロにできるようなエピソードは事欠きません。いまは衛生管理もうるさいのでしょうが、当時はよくいえば大らかで、小学生がいうところの「3秒ルール」のようなローカルルールを適用する厨房もありました。オーナーとシェフがいがみ合い、互いを罵りあいながら料理を作っていた店も実在しました。しかし、どれだけ不衛生で、泥沼の人間関係が舞台裏にあったも、客にさえ見せなければ、客は楽しむことができるのです。つまり、それを見せないのが「プロ」と、殴り合い寸前のオーナーとシェフが、それでもオーダーを捌く様子から学んだのです。

舞台裏の難しさ

Tさんはイタリア料理店の料理長です。調理未経験で入社してから7年の修行を重ね、料理長に任命されます。20代の料理長誕生に、経営者はメニューを変更し、ホームページもリニューアルします。そしてTさんに「ブログ」の更新を命じます。

命じられるまま、やっつけ仕事的な姿勢から、当初は当たり障りのない「店の宣伝ブログ」で、当然のように手応えはありません。ネタに詰まったTさんは、開き直って翌月の新作メニューの製作過程を公開しました。すると新作メニューを注文した客から、ブログ見ているよと声をかけられはじめます。

舞台裏をみせることのすべてを否定するものではありません。お客の興味を惹き、親近感を高める効果も期待できます。ただし、選択的でなければならず、都合の良いところだけ公開する術は「情熱大陸」から学ぶと良いでしょう。そして、舞台裏を公開する難しさは、エスカレートしてしまうところにあります。

経営者批判するシェフ

新作メニューを開発するときの、苦労など毎月たいして変わるものではありません。新味と珍奇さ、そしてコストです。最初の二カ月は、新味と新奇さを語っていましたが、三カ月目には語る言葉がなくなり、四カ月目には「原価割れ」と語り出します。原価を客に意識させるのは両刃の剣です。「出血大サービス」を演出するためにあえて見せることもありますが、表現によっては、他のメニューの原価を推測されてしまうからです。舞台裏としてはこれが限界です。しかし、舞台裏を見せれば見せるほど「ブログみてるよ」という反応が増えるのも事実です。そしてTさんは翌月から「経営批判」を始めたのです。

「平日半額って意味ないよね。ウチの特徴を殺すっていうかさ。だいたい、皆さん飽きてきたでしょ?」

Tさんの批判はある意味、正しいものです。かつてマクドナルドが「平日半額」という価格政策を打ち出しましたが、結果的に「土日祝日倍額」というマイナスプロモーションになったように、ただの値下げは店のイメージを棄損する可能性が高いのです。しかし、この「舞台裏」は客にとって関係のないこと。むしろ、平日半額を楽しみにしている客が、料理長のこのブログを見れば、熱々のパスタも、どこか手抜きをしているのではないかと疑わせてしまう「舞台裏0.2」です。そしてこれが引き金を引いたのか、今月で料理長は店を離れ、料理の世界からも足を洗います。

偶然チャンネルを合わせた「情熱大陸」は、パラパラ漫画で注目集めた鉄拳でした。その後、彼が「笑っていいとも!」にテレフォンゲストで登場したとき、執筆で丸めた背中を思い出してしまい「良かったね」と、芸人には相応しくないエールを贈ってしまいました。あの背中を思い出すと、彼のギャグに笑えなくなってしまったのです。「情熱大陸」への出演って、芸人にとってはマイナスプロモーションに思えて仕方がありません。実績のない人間を、過大評価させる誤認効果は認めますがね。

エンタープライズ1.0への箴言


「秘するが花がプロ」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」