ある日、娘が妊娠していた
アメリカのスーパーマーケットでの出来事。「娘に妊娠を持ちかけるのか!」と、父親が怒鳴り込んできました。マタニティグッズのクーポン券付きダイレクトメールが、高校生の娘の宛名で届いたのです。ティーンネージャーの娘は、父親にとって最もセンシティブな存在。店長が平謝りに謝り、数日後、再度非礼を詫びるために電話を入れたところ、一転して父親は店長に謝罪します。娘は妊娠していたのです。父親より早く、スーパーマーケットが娘さんの妊娠を知ったのは「データ」です。
昨今「ビッグデータ」という言葉をよく耳にします。ビッグデ―タとは、膨大なデータを収集することで、個人の趣味や嗜好を割り出してマーケティングに利用しようとするムーブメントです。先の娘さんのケースでは、「妊娠している客は無香料の商品を好み、カルシウムのサプリメントを購入する」といった購買行動がピタリと当てはまったのです。
斎場の職員が死亡情報を横流し
家庭教師センターを営むM社長は個人情報が大好きです。学齢期の子どもの情報が売上に直結するのですから当然です。しかし、個人情報保護法の施行以降、小学生、中学生、高校生の「名簿」を集めることが難しくなりました。「連絡網」や「卒業アルバム」から住所が削除され、各種情報源だった人たちも違法になるのを怖れ、情報提供を控えるようになりました。
かつては人が死ぬと、一週間以内に遺族の元に「返礼品」や「お墓」のカタログが届いたのは荼毘に付す「斎場」の関係者が「リスト」を名簿業者に販売していたからと言われています。実際、父が亡くなった後、電話をかけてきた墓の業者に情報の入手先を訪ねると言葉を濁しながらもそれを匂わせ、葬儀社の関係者の中には、あっさりと「あいつらの小遣い稼ぎだった」と認めた人もいます。
客が許可した個人情報ならば、収集して活用することに問題はありません。そこで、M社長はホームページからの資料請求に数多くのアンケートを用意しました。資料請求しない人からも情報を集めようと、各ページにクイズ感覚の質問を用意して、サイト訪問者の情報収集に努めます。
少数意見も意見の1つ
あなたは男ですか、女ですか。中学生ですか、高校生ですか。保護者ですか、本人ですか。
すべてワンクリックで回答できる、こんな質問が各ページに表示されます。回答率は思いのほかよく、データが集積されていきます。ホームページの利用者は「参加」するのが好きなのです。また、利用者や学生とおぼしきツイートも収集します。そして、ホームページ自体がサイトにアクセスしただけで、大体の現在地、使っているOSやブラウザ、直前に訪問していたサイトなど、多くの個人情報を収集できるところをM社長は気に入っていました。
こうして集められた膨大なデータが、M社長の思いつきに活用されます。昨年より始まった女子学生向けの割引サービス「女子得プラン(仮称)」はアンケート結果から導き出されたものではありません。昨夏の女子サッカーチーム「なでしこJAPAN」のワールドカップ優勝に「ナデシコから勇気をもらった」という顧客の女子中学生のツイートからの着想です。M社長の落書きから生まれた「可愛くない」と評判の悪いオリジナルキャラクターは、ごく希にある「可愛い」というアンケート結果を頼りに継続されている「ビッグデータ0.2」です。多くのデータを集めておいて、恣意的に抽出すれば、どんな思いつきに対しても論拠を与えることができます。
究極のプライバシーの侵害
とはいえ程度の差こそあれ、「ビッグデータ0.2」はよく見る光景です。多数の客がサービスの改善を望んでいても、面倒だからという本音から「現状維持」を求める少数意見を採用し、来店客数の減少も、前年比での「減少率」で比較して「食い止めている」と解釈する企業は実在します。データは集めただけでは大した意味を持ちません。その読み解き方が最も肝心なのです。
グーグルで「インフルエンザの症状」の検索件数が急増すると、その後、患者数が増えているというアメリカの研究があります。すると先回りして、薬や病院の体制を整えることができるのではないかと、ネットを中心に集められた膨大なデータをリアルに反映させようというのも「ビッグデータ」の目指すところでもあります。しかし、それは「深刻なプライバシーの侵害」というリスクと背中合わせの社会実験です。
冒頭の妊娠の例で一番問題だと思われるポイントは、個人情報の基本である「年齢」から「ティーンネージャーの妊娠」であることが特定できたのに、そのままダイレクトメールを出したことです。経済活動の前に、プライバシーが蹂躙されているのです。それともすべての家族が、高校生の娘の妊娠に大喜びしてクーポン券を使うと考えていたのでしょうか。そうだとしたら、「価値観」という重大なプライバシーの侵害です。仮に明文化はされていなくても、ティーンネージャーの娘を持つ父親には「知らされたくない権利」があるのです、たぶん。
エンタープライズ1.0への箴言
「集めたデータは生かし方が最も肝心」
宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。