敗軍の将は兵どころか
新しいことにチャレンジする前には大なり小なり「リサーチ」をしますが、これが曲者です。CIA=アメリカ中央情報局は諜報機関で、いわば「リサーチ」の専門家ですが、彼らでも失敗することがあり、その心理的錯誤はすべてのリサーチに通じます。
リサーチとして雑誌や書籍を漁り、サイトをチェックし、経験者の話を聞きます。ただし、雑誌や書籍は「出版企画」によるバイアスがかかり、サイト情報は裏打ちする根拠がないこともあり、両者を足すと朝日新聞襲撃事件犯人の告白を掲載した「週刊新潮」の誤報に通じます。それでは「経験者」はというと、これもまた注意が必要です。特に「社長」の経験談は注意が必要です。
金属加工業の社長は自社制作商品がネットで「売れている」といい、ある税理士法人の代表は問い合わせが引きも切らないかのように自慢しますが、事実はこうです。
金属加工業は月に数本、売り上げにして1万円未満、税理士は取引先で「見たよ」と世間話となる程度の「成功」です。些細な成功でも喧伝し、失敗には口を閉ざすのが社長です。過ちと認めたくないのか、業績不振と勘ぐられたくないのか「敗軍の将、何も語らず」です。これもリサーチを難しくします。
洋紙販売業(以下、紙屋)のM社長は、ホームページ開設するための「リサーチ」を開始しました。
斜陽産業に射した光
パソコンの普及により、印刷需要が激減しました。町内会の名簿や蕎麦屋のメニューなどはワープロソフトとインクジェットプリンタが用いられ、街角の印刷屋の仕事を奪っていきました。印刷屋に紙を納める紙屋も打撃を受けます。そこにインドネシア産などの安価な紙の流入が頭を痛め、原材料の高騰が追い打ちをかけます。M社長がホームページ開設を決意したのはそういう時代です。
いわゆるコピー用紙のA4の上質紙などは、パソコンの普及で需要が増えたのですが、大量生産する大手の価格競争力に街角の紙屋は太刀打ちできません。一般的な紙屋の販売方法は「連」という1000枚単位で行われ、一番面積の小さな「A列本判」でも625×880mmという大きさの紙を注文に合わせて断裁します。210×297mmのA4に仕上げるために切り落とした面積はコストに反映されます。そして紙は重く流通コストがかかります。つまり、「紙」はホームページで売るのに不向きな商材です。ところが、この「紙」を売って成功している企業があるという噂をM社長は耳にしました。はじめは耳を疑いしましたが、リサーチを始め成功を確信するようになりました。それはイラクには大量破壊兵器があると報告したCIAのように。
リサーチ好きの陥るワナ
M社長のリサーチは徹底していました。成功企業のサイトをほぼ毎日、同じ時間にチェックします。これは「定点観測」というもので、時系列での変化を知る最適な方法です。商品である「紙」の原価計算は同業者ですから、造作もなく損益分岐点をはじき出します。ネットだけに頼らず、同業者や共通の取引先に声をかけ「成功」の裏付けを集めます。
亡命希望のイラク人がインターネットで拾い集めた情報を元に語った「証言」をCIAが信じ、ブッシュ前大統領がイラクへ突撃する理由を作ったと「カーブボール(産経新聞出版)」は指摘します。カーブボールとは、このイラク人のコードネームで本書の序盤から彼が見たという「大量破壊兵器」に関する証言には怪しい香りが漂っているのですが、時の政権が好む結末(=大量破壊兵器がある)へと都合の良い解釈を繰り返し、CIAとアメリカはノーリターンポイントを軽く超えていきました。
リサーチのワナです。リサーチには望む結果へのバイアスがかかります。頻繁に更新されるサイトをみれば順調だからと解釈し、共通の取引先に探りをいれ「ボチボチ」という答えに成功を確信します。しかし、サイトの更新回数は売り上げとは無関係で、取引先の情報を競合企業に話すのは仁義に反し、マイナス情報なら尚更です。客観的なリサーチは難しいのです。
調査からは見えてこないもの
諜報機関であるCIAですらカーブボールに騙されました。また、社長の口にする成功話の根拠は薄弱であることは冒頭に述べました。M社長の夢見た「成功サイト」にあった「店長日記」は、2008年9月を持って更新が止まっています。
リサーチで仕入れた情報は事実の断片に過ぎません。それも多くの場合は、期待する結論へのバイアスがかかっています。ホームページで成功したいとリサーチをすれば「成功例」に敏感に反応し、打倒フセインのためならありもしない大量破壊兵器が製造されます。
M社長はリサーチを継続しています。そして現在も継続中でホームページは開設されていません。これもリサーチのリスクです。昨日からの変化、先週との違いを思うに、明日や来週の状況を見てから判断しようと決断を「先送り」してしまうのです。リサーチはやり過ぎるとそれ自体が目的化してしまうのです。
リサーチのリスクを回避する方法はただひとつ、「行動」しかありません。それを肯定しませんが、大量破壊兵器など存在しなかったことは米軍が行動して明らかになったように。
エンタープラズ1.0への箴言
情報は行動で活きてくる。100万回のリサーチよりひとつの行動