聖人君子となったアイドル

米国アップルの創業者、スティーブ・ジョブズが不帰の旅立ちをし、世界中が悲しみに包まれたかのような報道が繰り返されました。東京・銀座のアップルストアにも沢山の献花が行われ、功績を称え、別れを惜しむ人が絶えなかったようです。

Macintoshのユーザーである私にとってもジョブズはアイドルでしたが、死後の報道に違和感を覚えます。変人であり狡猾、理想主義者で強欲、それでいて魅力的という毀誉褒貶の激しかったジョブズが、何やら「聖人」に叙せられるかのように扱われていたからです。iPod、iPhone、iPadの成功がジョブズの人物評まで変えたのでしょう。

歴史は勝者が作ります。「一生、砂糖水を売り続けるのかい?」と、ペプシコーラを全米一に押し上げたジョン・スカリーを口説き、アップルの社長として招き入れた話が「英断」のように語られていますが、私は「窓際に追いやられていたジョブズが当時の経営陣から主導権を奪い取るための謀略だった」という説には頷きます。

その後ジョブズが追放されたのは、正に「策士、策に溺れる」といったところですが、アップル復帰後のiMacに始まる大成功が過去の悪行を塗り替えてしまいました。

世で「成功物語」として語られるエピソードの大半は後付けです。

値引きと引き換えの「感謝報恩」

ジョブズを非難するわけではありません。そもそも、ビジネスの世界で「聖人」が成功するのは難しいのです。熾烈な争いを繰り広げるライバル企業へ嫌がらせすることもあるでしょうし、取引先や従業員にも無理をお願いしなければならない局面は少なくありません。

アップルはiPhoneを取り扱う企業に過酷なノルマを提示すると噂されておりますし、ジョブズ自身、Macintoshの開発時に「週90時間(労働)、喜んで!」と黒板に記して、部下にハードワークを求めたのは有名な話です。

ところが、こうした成功物語に憧れて迷走する社長がいます。住宅メーカーのE社長は、パナソニックの創業者・松下幸之助を心の師としていました。松下翁の教えの中から「感謝報恩」を座右の銘とし、社員にも繰り返し訓示し、自身のブログのタイトルも「人生日々感謝報恩(仮名)」と名付け、日々の感謝を綴るのは、いずれ「自叙伝」を書く時のための備忘録です。そして、このブログが更新されるたびにあの匿名掲示板が荒れます。下請けや取引先から、E社長への悪口が吹き出すのです。

それは、E社長が感謝と報恩を理由に、値引きや条件変更を強要するからです。

「お客のため」を振りかざし地位を濫用

震災以降、停滞していた不動産市況ですが、販売件数は回復基調にあります。しかし、長引く不況から土地価格と建築単価の下落は著しく、数をこなして凌いでいるような状態です。住宅業界は零細企業や個人事業主ばかりで、彼らにとっての発注主となる住宅メーカーは圧倒的に有利な立場にあります。

E社長は住宅メーカーの立場を利用して値引きを強要し、完成後でも些細なことでクレームをつけては支払期日の変更などを押しつけるのです。その時の枕詞に用いられるのが「お客への感謝」「恩に報いる」。つまり、お客のために値引きに応じろと言うのですが、E社長が身銭を切ることはありません。

公正取引委員会に申し立てれば「優越的地位の濫用」となるのですが、発注主に逆らったと業界内に広まれば、他の現場に影響も出かねず、下請け業者はネット掲示板で毒を吐くしかストレス解消の手段はありません。それは社員も同じです。残業や厳しいノルマは当たり前。人前で社員を罵倒することも日常で、感謝も恩もそこには存在しません。

話題に事欠かないジョブズの香ばしさ

こうした会社は少なからずありますが、問題はE社長の繰り返す「感謝報恩」です。下請けも社員も、彼が「感謝報恩」と口にする度に心の中で舌打ちし、「きれいごと」ばかりが綴られたブログが、彼らの怒りの炎に油を注ぐ、「名言0.2」です。

名言を奉じれば成功するのではなく、成功がタワゴトをも名言に変えていくのです。大体、経営の神様と称される松下翁にしても、血気盛んな時代の香ばしい噂は少なくないのですから。

ジョブズは「90時間労働」と黒板に記し、「海賊になろう」とも呼びかけました。なりふり構わずルール無用というメッセージが含まれており、道義的に誉められたものではなく、ソマリア沖を航行する船舶にとってはシャレにならないフレーズです。しかし、成功に酔いしれるアップルファンは、「チャレンジスピリッツ」の代弁と好意的に受け取ります。

こんな香ばしい話もあります。アップルはスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックという2人のスティーブが中心となり創業された会社です。その創業前夜、ジョブズが勤務先から受けた回路設計の依頼をウォズに丸投げして、成功報酬として1,000ドルを受け取ります。ウォズに「折半」として300ドルだけ渡したのは、成功報酬を600ドルと偽っていたからです(ジェフリー・S・ヤング/ウィリアム・L.サイモン著『スティーブ・ジョブズ-偶像復活』より)。

ジョブズのこうした香ばしい話は枚挙に暇がなく、後にWindowsが発売されると「Macそっくり」と批判しました。しかし、そもそもMacintoshのウィンドウやマウスによる操作は、米ゼロックスのパロアルト研究所の技術を平たく言えばパクったものです。だから、Windowsの創業者・ビル・ゲイツはこう反論します。

「ゼロックスの家に押し入ってテレビを盗んだのが僕より先だったからといって、僕らが後からステレオを盗んだらいけないってことにはならないだろう」

どちらもどちらに思えるのですが、きれいごと……ばかりじゃないからこそ、私はジョブズに泥臭い「人間」を見出だし、憧れたのです。ご冥福を祈るとともに、あの世での癇癪は控えめにしていただければと思います。

エンタープライズ1.0への箴言


「成功物語は盛られている」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは

@miyawakiatsushi