必ずSNSに疲れる日本人
"企業に広がるSNS疲れ"という記事が9月20日に日経ビジネスオンラインで紹介され、TwitterなどのSNSで話題になっていました。企業がTwitterの失言から始まる相次ぐ"炎上騒ぎ"に神経を尖らせるのに対し、期待したほどの広告効果が得られていないのではないかという不安を紹介したものです。
私は1年以上前に週刊ポストの取材を受け「デルはTwitterを用いて0.002%しか伸びていない」と、Twitterの広告効果について指摘しましたが、Web業界人の煽りの前には無力でした。とある著名人は自身のブログで、私の指摘を「トンチンカン」と罵倒していたほどです。
今ニタリとしてしまうのは、指摘の正しさを誇るものではなく、かつて和製SNSの雄「ミクシィ」でいわれた「ミクシィ疲れ」を思い出すからです。日本人はSNSに疲れやすいのです。
「ミクシィ疲れ」は、絶えず他者との交流を続けなければ取り残されるという強迫観念から起こりますが、企業もSNSで客とコミュニケーションをとらなければ、時代に取り残されるという強迫観念から……というわけです。そして、この強迫観念をWeb業界人が利用してさらに「疲れ」が生まれます。
結論を述べれば「企業」としてSNSに取り組むのはナンセンスです。
ブログにTwitter、Facebook、さらにはGoogle+とミクシィページも
ロジスティクス企業でWeb担当者を務めるF氏は「Google+」に取り組んでいます。Google+とは、検索エンジンのトップシェアを誇るGoogleがはじめたSNSで、日本のWeb業界が総力を結集して盛り上げにかかっています。
特にFacebookのスタートダッシュに失敗した連中……ではなく、方々は、この波に乗り遅れまいと必死です。「右へならえ」は日本人の気質で、ボーダーレスでグローバルスタンダードに生きるWeb業界の住民といえど、民族の呪縛は解けないということでしょう。
F氏の「本業」は総務部長で、社内の雑事全般の総元締めとして多忙を極めます。ルーティンワークに加えて、大小さまざまなトラブルがあり、突発的な事例は総務部に「振られる」ことが日常です。
広報の窓口だったことから「Web担当者」を押しつけられ、当初、ホームページの管理だけだった業務にソーシャルメディアがプラスされます。ブログを書き、Twitterでつぶやき、Facebookページを更新します。そこにGoogle+が加わり、先日からは「ミクシィページ」の管理まで手がけているのです。
横並び意識からやむを得ず参戦
「つぶやき」だけならツールで「一斉配信」も可能ですが、リツイートやコメントに回答するには「パトロール」をしなければなりません。PCの前に張り付いてリアルタイムの対応ができない分、言葉選びに時間を費やします。「失言」で炎上などもってのほかです。はっきりいって、好きでSNSをやっているわけではありません。同社のO社長の指示です。
御曹司のO社長は30代前半と若いせいか、ネットに詳しい友人や知人が多く、彼らからTwitterやFacebookを「ソーシャル時代のマストアイテム」と奨められ、F氏に業務命令を出します。多忙を理由に断ろうと試みても、「みんなやっている」と横並びを主張されては従うしかないのが日本人です。また、O社長からすれば、自身もSNSに取り組み、最近はFacebookで学生時代の友人と旧交を温めており、F氏が訴える大変さが理解できないでいるのです。
ここに"企業に広がる「SNS疲れ」"の本質があります。
学生時代の友人とのプライベートな交流にSNSを使うことに疲れることはないでしょう。しかし、F氏が接するSNSの住民はプライベートの知人ではありません。誰でも手軽に参加できる敷居が低い仮想空間であるSNSで、個人が企業を背負うところに「疲れ」が生まれるのです。
SNSは日本人に不向き
SNSとは、個人のつながりで成り立つものです。SNSの頭のSは「ソーシャル=社会性」を表し、リアルの立場や人間関係をインターネットで繋がったネットワーク上に置き換えるものとして登場しました。
ミクシィは大学のサークル活動の延長として爆発的に普及し、Facebookはハーバード大学の学生が交流を図る目的で開発されました。時間や環境を超越できるネットの特性が擬似的な関係性を増幅させ、「仮想空間」が存在するような錯覚もありますが、あくまで「個人」がベースなのです。
そして、企業がSNSに参加し、対応する担当者である「なかのひと」の発言がプライベートなものだと注釈を入れても、失言は企業責任を問われます。それは日本社会の特質です。会社以外だけでなく、学校や地域、出自などの「所属」への帰属意識が強く、これまた性質である「横並び意識」が、他人にも同じものを求め、個人と所属を同一視するのです。余談となりますが、オジサンになってまで「出身大学」を訊ねるのも同じ理由ですし、「東大卒の下着泥棒」と報じる精神も同根です。性癖と出身大学に相関関係はありません。
話を戻せば、日本社会では企業アカウントによる「個人」は許されにくく、SNSのベースである個人のつながりを構築するのがとても難しいのです。つまり、日本社会において、企業として取り組むSNSは「0.2」なのです。「なかのひと」の失言で炎上しても、社員一個人の発言と切り捨てる非情さ、あるいは「自己責任」の徹底がなければ、企業名でSNSに参加するのは得策ではありません。
こうした日本人と日本社会の特性に触れずにSNSを礼賛するWeb業界の犯す罪は大きいのですが、冒頭に紹介した日経ビジネスオンラインに掲載されたエイベック研究所の武田隆代表の台詞がWeb業界の核心を突いています。
「ソーシャルメディアがすごいすごいと発言している方は、その多くが(ソーシャルメディア自体を収益源とするなどの事業を担っているがゆえの)ポジショントークです」
平たく言えば「我田引水」。私を「トンチンカン」と罵った方もそのポジションでした。
参考文献 週刊ポスト平成22年4月23日号抜粋
http://msdn.microsoft.com/ja-jp/aa973533
エンタープライズ1.0への箴言
「SNSは日本企業向けではない」
宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。
筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは