トヨタとJAXAが共同開発する月面車
JAXAとトヨタが月面車の開発を検討する目的は何といっても、国際的な月面探査で、月面の水資源を確認し、将来の月面水採掘基地建設地点を決めるためだ。
国際宇宙探査ロードマップ第3版(GER3)に挙げられた月面探査を整理すると、こういうことになる。
- 4人乗りの月着陸船で、有人月面探査をする。
- 月着陸船の前に、2人乗り月面車2台を着陸させる。
- 4人で42日間の月面探査をする。
- 宇宙飛行士が帰還した後、月面車は次の有人月面探査の場所へ移動し、繰り返し使われる。
といったことが記載されている。この月面車をJAXAが開発する想定で検討が行われ、さらにトヨタが検討に加わったわけだ。
トヨタが加わったのは2018年で、現時点ではまだ基本的な検討をしている段階に過ぎない。発表された想像図もイメージ図であって、必ずしも図の通りの形になるとは限らないとのことだが、求められている機能や用いられる技術はよく練られたものだ。
想定では、2台の月面車は2029年に月面へ搬入され、2034年までの間に5回の有人月面探査を行う。1回の探査で数百kmの範囲を走行、次の探査地域へ移動するのを繰り返すため、6年間の走行距離は1万kmと見積もられている。
月面車はマイクロバスより一回り大きく、内部は四畳半ほどの広さがある。ここで2名の宇宙飛行士が最長42日間生活し、月面を1千kmも旅をする。真空の月面で、車内では宇宙服を着ないで生活できるよう生命維持装置を備えたキャンピングカーであり、仕事をする移動研究所でもある。むしろ「移動可能な月面基地」と言う方が適切かもしれない。
月面探査する宇宙飛行士は4人チームのため、2人乗り月面車を2台利用する。4人乗り1台としないのは万一1台が故障したとき、もう1台に4人乗って月着陸船へ引き返すためだ。これまでに説明した通り、貨物搭載量10tの着陸機で月面へ搬入されるため、1台の重量は5t以内にする必要がある。
月面で「1泊2日」の過酷な旅
月の自転周期、つまり1日の長さは地球の28日に相当するので、月面探査が42日間というのは、ちょうど月の1日半に相当する。これは月の日の出時刻に着陸し、夜を経て翌日の日没時刻に離陸する計画だからだ。
月面車はまず、14日間続く月の昼の間、数百kmの探検に出て、出発地点の月着陸船近くに戻ってくる。ここで14日間の夜を過ごしたあと、再び14日間の昼の旅に出る。従って月面車は、オフロードを数百km走れる燃費性能と、14日間の夜を過ごす能力を兼ね備えていなければならない。
月の夜は過酷だ。表面温度はマイナス170度という、南極よりはるかに寒い環境になるため、人間はもちろん機器類、特に液体を使うバッテリーなどが破損してしまうからだ。保温のためにエネルギーが必要だが、夜間は太陽電池も使えない。南極観測での「越冬」に対して、月面の「越夜」とも呼ばれる、高いハードルだ。
トヨタはこの「燃費問題」と「越夜問題」を、燃料電池で解決することにした。日中は燃料電池の電力で走行し、夜間はヒーターの電力として利用するわけだ。既にトヨタでは燃料電池自動車「ミライ」などを販売しており、月面車もこの技術を利用する。地球上の燃料電池車は水素と空気中の酸素から電気を生み出すが、月面車は水素と酸素の両方をタンクに溜め、燃料電池に供給する。反応して生成された水は、地球上では捨ててしまうが、月面では宇宙飛行士の飲み水などに利用できる。燃料電池本体は基本的に、地球上で市販する自動車用のものを使えそうだとのことだ。
燃料電池は使用する水素と酸素は、月着陸船で宇宙飛行士と一緒に持ち込まれ、月面車に装着される。探検走行を終えて戻ってくると、宇宙飛行士の手で新しいものとタンクごと交換される様子が紹介された。
さらに月面車には太陽電池も備えられる。月面車は常に走っているわけではなく、移動しては宇宙飛行士が月面へ降りて調査することの繰り返しになるし、宇宙飛行士の睡眠中も月では昼間が続くので、停車中の電源として太陽電池は有用だ。太陽電池を使ってバッテリーを充電すれば燃料電池の節約にもなるだろう。
ただ先述の通り、液体を使うバッテリーは凍結で破損する可能性がある。保温すればそれ自体が電力消費を増やしてしまう。電解液を使わない次世代のリチウムイオン電池「全固体電池」は、凍結に強いほか短時間で充電できるため次世代電気自動車用として開発が進んでいる。筆者は、トヨタの月面車で全固体電池を使用するかと質問したが、「聞かれるだろうと思っていたが、未定」と苦笑しつつ答えた。おそらく今回の発表でのアピールポイントは、燃料電池技術だったのだろう。
「第六の大陸で鍛える」トヨタが月面を目指す意義
トヨタ自動車の寺師茂樹副社長は、月面を「第六の大陸」と呼んだ。自動車は道路での走行やモータースポーツなどで走行し、その経験によって技術が鍛えられる。「トヨタのクルマは五大陸の道で鍛えられてきた。月面という第六の大陸でさらに鍛えられる」と月面車の意義を語る。過酷な月面の旅に耐える技術を持つメーカーのクルマ、というのは大きなアピールになるに違いない。
過酷なのは月面の環境だけではない。トヨタの月面車の走行予定距離は1万kmで、アポロ計画の月面車の走行距離が30km程度であったことを考えると破格の長距離だ。また、トヨタの関係者からは「距離以上にミッション期間が6年もあることが課題」との声も聞かれた。月面車は6年間、昼夜の過酷な温度差や放射線に耐えなければならないうえ、宇宙飛行士による整備や修理はごく限られたものにならざるを得ないからだ。
また、月面車は有人探査を終えると、翌年の有人探査予定地点まで無人で移動しなければならない。ここに自動運転技術が応用されるということだが、地上では主に他の自動車や歩行者との事故防止が注目される一方、月面ではオフロード走行なので地形や路面状態を自動判別することが重要になるだろう。また地味なところではGPSが使えない(GPSは地球を周回する衛星を利用しており、月面では利用できない)ため、月面の地形などをもとに現在位置を知る技術も必要になる。
無人移動中も途中で科学調査が行えるよう、調査機器が搭載されることになるだろう。また次の探査までの期間は1年前後と長いため速度はかなり遅くて良いから、燃料電池を使わずに太陽電池とバッテリーだけで走行したり、太陽電池を使って水を電気分解し水素と酸素を作っておくこともできるかもしれない。そうすれば次の有人探査で地球から持ち込む燃料を減らすことができるだろう。
こうして月面を移動した月面車は、地球から飛来する有人着陸機を待ち構えて、新たな42日間の月面探検の旅に出る。これを4回繰り返し、5回目の探査を終えると月面車はようやくお役御免になる計画だ。
以前にも書いたように、有人月面探査以降の計画はまだ構想段階で、国際調整が済んでいない。だからこのJAXAとトヨタの月面車開発計画も、現時点では日本が担当すると決まっているわけではない。当然、アメリカなどでも月面車の研究は長年行われているし、月面車を開発したい企業はトヨタ以外にもいるだろう。
しかし、世界最大級の自動車メーカーであるトヨタが月面車開発に名乗りを上げたことの影響力は大きいだろう。実際に開発される場合にはある程度の国際共同開発になる可能性もあるが、コアとなる車体や走行装置などがトヨタ製となれば、月面「探査」に続く「開発」の時代でもトヨタが一歩リードできるだろう。
そしてもうひとつ、重要な点がある。月着陸船の着陸機と、月面車。この2つの重要機材を日本が中心になって開発するのであれば、少なくとも第1回の月面探査に日本人宇宙飛行士が参加しないことは、ほぼ考えられない。10年後の2029年、57年ぶりの人類月面着陸で、日本製月着陸船から日本製月面車へ乗り込む日本人の姿を見ることができるだろうか。