6月にJR東日本が発表したメンテナンス部門、建設部門へのiPad導入。同社はこれまでにも乗務員や駅員向けにタブレットを導入してきたが、携帯キャリアの違いや、そもそもの利用想定シーンも大きく異なる。導入経緯と導入後の利用状況について話を伺った。
「2012年の12月頃から導入の構想を練り始め、意思決定までに10カ月程度かかりました。しかし、意思決定から1万4000台のiPadを導入するまでは5カ月程度で済んでいます」
こう話すのは、東日本旅客鉄道 総合企画本部 システム企画部 副課長 輸送・設備システム管理グループの三井 良裕氏。同社では2013年にiPadを乗務員向けに導入しており、「乗務員以外の技術系部署でも活用したい」「駅での利用拡大を行いたい」という観点から導入にいたったという。
鉄道の現場で働く技術系の社員は、膨大なマニュアル書がつきもの。定期的に行われる研修や社内規程書類、機器類のマニュアルなど、部門によって様々だが総計1万コンテンツに及ぶという。これまでは時や場所に合わせてマニュアルを持参していが、当然ながら分量もかさばるため「ペーパーレス化」をかねてより検討していた。
「恐らく、社外と比較しても弊社のマニュアルは非常に多い。タブレットに置き換えたいというニーズがあることはわかっていました」(三井氏)
iPadによって、資料の置き換えは果たせたが、問題は運用方法。企業がモバイル端末を管理する際に問題となるのはコンテンツ保護をどのように行うか。技術系の作業員が道端でiPadを落とす可能性は低いとはいえ、リスク管理の観点からすると端末にそのまま保存という形は望ましくない。
「データの配信サーバーは短期間の構築だったこともあり、クラウドで構築しました。アプリは端末をリースしていただいているKDDIさんからもお話をいただいたのですが、自分たちで別のアプリを利用しています」(三井氏)
資料を共有する際には、デバイス認証を用いており、登録端末以外からのデータ閲覧はできないようになっている。また、IPアドレス制限もかけており、二重にセキュリティの高度化を行っている。
「クラウドのメリットは短期構築という点だけではありません。オンプレミスであれば設備投資も馬鹿にならない。オンプレミスで導入が一年遅れてしまうよりは、スピード感を持って『まずやってみよう』と。自社構築のアプリについても、かなり短い時間で作り上げています」(三井氏)
携帯キャリアを決めた理由
JR東日本が1万4000台のiPadをKDDIに決めた理由はどこにあったのか。
携帯各社はそれぞれ、広いエリアをアピールしているものの、どうしても電波が届かない"不感地帯"は残ってしまう。そうした地域の改善という点で、同社の手厚いサポートがあったという。
「回線と端末はもとより、側面のサポートも充実していたんです。いくら電波のエリアが広くても、多少の"不感地帯"はある。そこを適宜連絡することで、対応していただきました。
ほかにも、ユーザーサポートの仕組みはたいへん助かっています。法人企業ですから、ユーザーの『使い方がわからない』といった声は社内のIT部門に上がってきます。ただ、社内のヘルプデスクでは捌き切れないこともある。そこで、社内でさばけないものはKDDIがバックエンドで回答してくださるようになっています」(三井氏)
これに対してKDDIのソリューション事業本部 ソリューション営業本部で副本部長を務める那谷 雅敏氏も、電波対策の重要性を語っている。
「デバイスによって対応バンドのサポートが変わりますし、日々モバイルネットワークのトラフィックも変化しています。ユーザーが求めるものを提供するのが事業者ですし、『ユーザーのために』という意識でネットワークの構築を行っています」(那谷氏)
また、携帯キャリアのサポートといえば"端末の故障"を忘れてはならない。
iPadという端末は、端末管理の容易さやアプリの多様性など、他OSより先進的な面が多い。もちろん、端末自体も高級感あふれるデザインなど魅力の一つだが、その一方で国内メーカーの端末が兼ね備えている「防水」「防塵」「堅牢性」といった耐久性では、一歩落ちてしまうのが実情だ。
「正直な話をすると、とにかく雨に濡れても大丈夫なものが欲しいですね(笑)。現場社員がメンテナンスを行う場合、雨や雪、風といった悪天候の時こそ出動するケースが多い。そこで苦労しています」(三井氏)
しかしそこは現場社員、転んでもただでは起きない。
「でも現場で実際に働いている人間は凄いです(笑)。防水ケースなどがよく売られていますが、高価であったり、せっかくのスリムな端末も一回り大きくなってしまう。そこで、100円ショップとかでzipロックなどのビニール袋を買ってきて使っていたりします。雨が降った時だけ使えばいいから、普段はそのまま使うといった使い方もできますし、良い方法を考えたなと思いました(笑)」(三井氏)
また、当然のことながら鉄道の現場は、レールとバラストという地面の上で作業をするため、iPadを落とすとほぼ確実に壊れてしまう。導入から半年ほどたち、ショルダーバッグを利用するなどして落下破損は減ったものの、それでも月に数台は破損事故が起きている。水濡れや落下破損は一般ユーザーでも多い端末の故障原因だが、キャリアとしてはどのようにサポートしているのだろうか。
「導入される部門が部門だけに、事故率は高いだろうとある程度想定していました。実際に高かったわけですが、私たちは『事故を起こさないように』というよりも『壊れた時に、お客さまが欲するタイミングで端末をいつ提供できるか』を重要視しています。一定数が壊れるという想定で、JR東日本管内の協力会社支社内に半分キッティング済み(企業アプリケーションを端末にインストールした状態)のiPadを置くという取り組みをJR東日本様と協力し、行いました。ですので、壊れたと連絡があってから早ければ当日中に提供できるようにしています」(那谷氏)
マニュアル管理以外のメリットとは
現場作業におけるiPad活用のメリットは、当然マニュアル管理以外にもある。
「Web会議をできるようにソリューションを導入しています。『ワークスタイル改革のために』と言うと他社でもやられているとは思いますが。V-CUBEのソリューションを元々使っており、それを活用しています」(三井氏)
また、鉄道会社ならではの取り組みとして、「異常時情報共有システム」がある。これまではフィーチャーフォンで現場の様子を撮影し、状況を確認していた。
しかし、メールに添付して送信するため、レスポンスが遅れてしまったり、画質を重視してデジタルカメラで撮影した場合には現場から戻って会社PCで転送したりと「現場ですぐに内容を確認したいのに、見られなかった」(三井氏)という。
それを解決したものがこの内部ソリューションだ。写真を撮影すると自動で自社サーバーにアップロードされ、社内のイントラネットでも画像をすぐに確認できる。また、写真にコメントを付けられるため、簡潔に現場の状況を上長などに伝えられるようになった。
「撮影位置情報も付加しているため、『ここで問題が起きた』ということがあとから振り返ってもすぐにわかります。ただ、メリットはこれだけではありません。鉄道会社というのは、縦系列で物事が動きます。でも今は横にも情報が簡単に共有できる時代ですし、このシステムを入れました。
駅で車両故障があった時に、駅業務を行う社員が故障箇所を撮影。技術系の社員がそれを見てダウンタイムの短縮が図れたという実例もすでにあります」(三井氏)
システムとしての取り組みはマニュアル管理や情報共有システムだけだが、社員が自ら積極的に利用している機能として「FaceTime」がある。
「かなり好評ですね。ライブ中継的な利用が多いようです。技術支援目的で、上司が工事の立ち会いに応えられないケースがある。現場の若い人間が初めて遭遇したケースでわからない時、先輩社員などに見せながら指示を出してもらうわけです。これまでの連絡手段はメールでしたから、作業効率が大きく向上しています」(三井氏)
アプリは自由に、現場の考えを尊重して
ここまで話を聞いてみると、社員がiPadを自由に利用し、新たな使い方をしているように感じた。社員が自由に使える環境は、生産性の向上に繋がる一方、業務外利用など、企業にとってあまり好ましくない状況も生まれる。JR東日本としてアプリ管理はどのように考えているのだろうか。
「技術系の職場では1人1台、駅社員は共同利用という運用体制です。駅の主目的利用はお客様へのご案内。こちらはマニュアル閲覧よりも、お客さまに旅行の御案内や構内図のWebページを見せて御案内するといった運用が多いです。こちらで現場の声として良かったものは筆談アプリを追加していたこと。お客さまによりわかりやすくという形で現場から声が上がっています。
一方で建築系の社員は工事を行う際の建材コストがわかるアプリを入れていたりします。ほかにも、簡単な構造計算ができるアプリやCAD図面が見られるアプリ、地図に情報を書き込めるアプリなど、本当に多様なアプリが入れられています。
私達としては、現場からの活用方法を水平展開できるようにできるだけ情報を吸い上げようと取り組んでいます。実際に受けた声は社内情報誌といった形で紹介しているほか、今後は社内イントラのWebサイトで情報提供を行う予定です」(三井氏)
もちろん、アプリの導入は完全に自由というわけではない。
「アプリのダウンロード自体は自由にしています。背景としては、JR東日本として現場社員の発意を大事にしたいという思いがあるんです。社員の皆さんの発想が実現できるためなら、という思いで私たちも頑張りました(笑)。もちろん、フルに自由にしているわけではなく、セキュリティの確保はしっかりやっています。
アプリを利用したい場合は申請してもらうようにしており、申請は毎月300件ほどとなっています。支社から本社のIT部門へと申請を行う場合、承認まで時間がかかってしまうため、駅長や技術系部門の所長権限でインストール可否を判断しています。ただ、管理者層はスマートデバイスに対する認識が追いついていないケースやアプリも膨大にあるため、どのアプリを許可して、どのアプリを否認するかというガイドラインはこちらで用意しました。
また、二重のチェックが行えるように、MDMでインストールアプリをこちらで管理しています。仮にIT部門から見て駄目なアプリが許可されてしまっても、こちらで把握できるため、利用箇所へアプリ削除を指示しています。ゲームやSNS、クラウドサービスアプリなどがまれにインストールされていますが、確認して指導しています。みなさん、ついインストールしてしまうケースがあるようです」(三井氏)
最後に、今後の運用方法について尋ねた。
「私達が導入している資料共有ソリューションでは、動画も取り扱えます。現時点で利用しているケースは少ないのですが、KDDIさんからお話があった際、JALさんの導入事例としてマニュアルの動画化なども見せていただきました。作業の動きが見えるというものは、学習効果が非常に高いので、活用できる機会があればもっと増やしていきたいです。
(6月の発表を受けて)それほど多くはありませんが、導入の話を聞きたいという法人の方はいらっしゃいます。もちろん、JR東日本グループが多いんですが(笑)。鉄道業界であっても、もし共有できる情報があれば、積極的に行っていきたいと考えています。JRと私鉄は似て非なる文化があります。ただ、私たちが作ったものは、ほかの会社さまでも使いたいと言うことがあれば協力できることがあると思っています。
2020年には東京でオリンピックがある。そこに向けて、同じ取り組みを進めていける関係性があっても良いんじゃないかと。私たちではできないことをほかの会社さんができているのであれば取り入れたい。そんな風にお互いに情報を共有できたら嬉しいと思っています」(三井氏)