プリンタや複合機などの情報通信機器を中心事業とするブラザーグループ。その国内マーケティングを担うブラザー販売では、2013~2014年にかけて営業担当者を中心に業務用携帯電話をフィーチャーフォンからiPhoneに切り替え、さらにパソコンをシンクライアント(端末のデスクトップ環境をネットワーク経由で提供するクラウド型サービス)に移行し、モバイル型のワークスタイルを導入した。

外出先でもオフィス内と同等のパソコン業務をこなせるようになった結果、営業の業務効率が向上し、担当者によっては訪問件数が週3件も増える具体的な成果につながっている。

Windows XPのサポート切れを機にシンクライアントを導入

2014年4月のWindows XPサポート切れを前に、同社は業務用パソコン(300台超)をWindows 7搭載モデルに切り替える必要に迫られていた。当時の状況を経営企画部 情報化推進G シニア・マネージャーの中園勲氏は次のように振り返る。

経営企画部 情報化推進G シニア・マネージャー 中園勲氏

「パソコンの大量入れ替えに際して重視したのは、情報漏えいを防ぐセキュリティ強化策です。外出の多い営業担当者はノート型パソコンを社外へ持ち出しますので、紛失・盗難時の情報漏えいリスクを低減するために、パソコンに一切データを残さないシンクライアントの導入を検討しました」(中園氏)

シンクライアントでは、ユーザー個々のデスクトップ環境やストレージ機能はすべてクラウド上のデータセンターで稼働させ、端末側はデスクトップ画面がモニターに表示されるだけとなり、端末を紛失してもデータ漏えいのリスクはなくなる。マウスやキーボードからの入力情報や結果画面の送受信についても、VPNで保護されたセキュアなネットワークを介して行われる。しかし、シンクライアント導入の意図は、セキュリティ向上にとどまらないと中園氏は続ける。

「シンクライアントを導入すれば、セキュリティを確保したまま、いつでもどこでもオフィスにいるのと同等のパソコン環境を利用できます。例えば、移動中の空き時間にSFAへの入力業務をこなすなど、外出の多い営業担当者の業務効率化が見込めます。ここで課題として浮上したのは、外出先でのネットワーク確保でした」(中園氏)

同社では営業グループごとにモバイルルーターを配付し、複数の営業担当者が共用する環境だったため、営業担当者全員にモバイルルーターを配布するには追加投資が必要となるうえ、運用するデバイスが増えれば管理部門の業務負荷も増加する。

また、業務用電話機として利用していたフィーチャーフォンから社内メールを見ることはできたが、操作性が悪く、送信は一言メールが返せる程度の利用しかできていなかった。さらにフィーチャーフォンからメールの添付ファイルは確認できなかったので、外出中に受信したメールの対応は、帰社後に自席のパソコンから行うという状況だった。

シンクライアントとスマートフォンによる業務効率化

「こうした業務環境を改善するため、パソコンのシンクライアント化に先立って、業務用電話機をフィーチャーフォンからiPhoneに切り替えました。iPhoneならば社内メールを直接開けるほか添付ファイルも確認でき、お客様からのメールにはその場から返信できます。また、急ぎの場合、iPhoneの画面から承認・申請処理ができます。さらに、iPhoneのテザリング機能を利用することで、全営業担当者が外出先でもシンクライアントを利用できるネットワーク環境が整いました」(中園氏)

同社の実際の利用方法は、以下の動画ようなものだ。


iPhoneとシンクライアントによる「いつでも、どこでも、マイオフィス」を目指した同社の取り組みは、営業担当者の業務をどのように変えたのだろうか。中部ビジネス営業部で法人向けの営業活動を担当する仲澤遼氏は、新しいワークスタイルの効果について、次のように語る。

中部ビジネス営業部 仲澤遼氏

「外出中のメールチェックは、ほぼiPhoneで行っています。お客様からのメールにもiPhoneから返信できるようになったので、お客様から『レスポンスが早くなったね』といわれるようになりました。法人営業の場合、お客様からメールで見積書などを添付ファイルでいただき、内容を確認してお返事するケースは少なくありません。フィーチャーフォンのころは、会社に戻ってからでないと添付ファイルは確認できなかったので、いただいたメールへのレスポンスは遅れ気味でした」(仲澤氏)

iPhoneのテザリング機能も業務改善に大きく寄与しているという。モバイルルーターを共用で運用していたころは、数が限られており部署内で共用するため、使える機会は少なかったという。外出中のパソコン利用は、提案資料を作成するなどのオフライン作業に限られていた。

「現在は外出中でもシンクライアントを使ってデスクトップ環境を開けるので、空き時間にSFAを入力するといった時間の有効利用が可能になり、帰社後に行う業務は確実に減っています。その結果、お客様へ訪問する時間を余分に確保できるようになり、平均すると週に3件ほど訪問回数は増えました」(仲澤氏)

商談によっては、価格提示などで至急に社内承認を得たい場合でも、モバイル環境から承認申請が可能になり、商談のスピードアップにもつながっている。また、顧客対応以外にもシンクライアントのメリットはあるという。出張や会議で他拠点を訪問する際に、シンクライアントの起動用USBメモリさえ持参すれば、現地のパソコンを借りて業務できるので、わざわざ自分のパソコンを携帯する必要はない。シンクライアント導入で想定した営業担当者の業務効率改善は、確実な成果に結びついているようだ。

USBスティックを使ってシンクライアントを起動する(左)。導入したのはソフトバンクテレコムの「ホワイトクラウド デスクトップサービス」だ。ログインすると通常のWindows OSが利用可能となり、Excelで作成した見積書などを編集できる

情報システム部門の管理業務も効率化

情報システム部門にとってもシンクライアント化のメリットは少なくない。以前の貸与パソコンでは社員が自由にソフトウェアをインストールできたため、年に2回の利用ソフトウェア監査を実施する必要があった。シンクライアント環境では情報システム部門がアドミン権限を持つため、社員による自由なソフトウェアのインストールはできない。

「シンクライアント導入前に、利用中のソフトウェアをヒアリングしたところ、フリーウェアも含めて1000個以上のソフトウェアが利用されていました。現在では必要最低限の有償ソフトウェアのみをインストールして、フリーウェアは原則禁止としています。こうした管理を一元的に行えるのも、シンクライアント化のメリットだと感じています」(中園氏)

シンクライアントの使用感について社員の反応は「若干遅く感じられるが、慣れれば特に問題ない」とおおむね良好だという。外出先でこなせる業務が増えたので、「直帰する回数が増えた」「残業が減った」といった肯定的な声も聞かれるという。iPhoneのテザリングについては、「LTEを使えば、Wi-Fiよりも速く感じる」など通信速度にも不満は出ていないようだ。

今後のICT施策について中園氏は、BCP対策を優先的に進めたい考えを示した。現在は基幹系システムを名古屋の本社で運用しているが、東海地方で想定されている大規模地震に備えるため、基幹系システムの冗長化を進める方針だ。これが実現すれば、シンクライアントと相まって、大規模災害発生時でも電源と通信ネットワークさえ確保すれば最低限のコミュニケーションは継続可能になる。

またモバイル環境を導入した営業担当者のさらなる業務効率化については、一定期間の運用後にヒアリングを実施して課題点を洗い出し、その後の業務改革につなげる方針だという。クラウドコンピューティングやモバイル型情報端末の利用によって、同社のワークスタイルは確実に進化を遂げている。