高齢化社会が進む日本では、通院が困難な患者に自宅で医療サービスを提供する在宅医療のニーズが高まっている。末期がんで治療が困難になった患者が残された時間を自宅で過ごすケースもあれば、認知症や脳梗塞などの脳疾患による寝たきり、食物や飲料の経口摂取ができない胃ろうなど、さまざまな症状を抱える患者が自宅で投薬治療を受けている。

こうした在宅医療を支えるのは、定期的な往診を行う医師や看護師、日常的なケアを提供する介護スタッフ、そして医師の処方に基づき薬を用意し患者宅に届ける在宅薬剤師である。

東京・神奈川を中心に46店舗の薬局を展開する徳永薬局では、2010年3月に在宅部を設けて、10名ほどの在宅薬剤師を4つの拠点薬局に配置し、在宅医療の一翼を担っている。

地域の在宅医療をサポートしている徳永薬局 相武台在宅センター(左)。ここには通常の薬局にはない「無菌調剤室」があり、点滴薬剤の調合といった高度な調剤業務を行っている(右)

患者宅で服薬指導や体調チェックを行う在宅薬剤師

在宅医療では、医師が定期的に患者宅を訪問して病状の管理、および必要な薬を処方し、看護師は主に医療処置を行う。訪問薬剤師は、医師の処方した薬の服薬指導や助言といった患者の支援も重要な任務のひとつだ。

「単に薬を配達しているだけではありません。患者様やご家族と会話をしながら、薬を正しく服用できているか、副作用は出ていないか、体調に変化はないかなどの情報収集も大切な仕事です。処方した薬が効いていなければ、医師に別の薬を提案することもありますし、新たな症状が出ていれば必要な薬の処方も提案します」と語るのは、徳永薬局の在宅部 統括部長 小林輝信氏だ。

一人の患者宅あたりの滞在時間は15~45分ほど。薬局でその日に訪問する患者の薬をピックアップし、車で移動しながら1日平均10件ほど訪問する。一般の薬剤師は終日薬局での勤務となるが、訪問薬剤師は移動や患者宅での指導など負荷の高い業務を行うことになり、なかなか担い手が増えない現実があるという。

在宅医療を支える人材が不足している現状

自らも訪問薬剤師として活動している経験を踏まえ、小林輝信氏は次のような課題を指摘する。

在宅部 統括部長 薬剤師 ケアマネージャー 小林輝信氏

「在宅薬剤師は患者様と直接触れ合う中で感謝の言葉をかけられるなど、日々やりがいの感じられる仕事です。一方で、急に容体が変化した患者様に薬を届ける緊急対応があったり、帰社後に作成するべき書類仕事が一般の薬剤師より多かったりと、業務負荷は高いのです。そこを何とか改善できないかと、常々考えていました」(小林氏)

通常の薬剤師は投薬内容を記録したカルテ(薬歴)を作成するだけでよいが、訪問薬剤師はこれに加えて、医療機関に提出するための報告書および記録簿を作成する義務がある。訪問時には食事内容や睡眠、排泄、運動などをヒアリングしてメモ用紙に手書きで記録しておく。

「薬局に戻ってメモの内容をパソコンに打ち込んで3つの書類を作成するのに、毎日2~3時間を要していました。ところが、3つの書類に記入する内容の多くは重複しています。せめてこのペーパーワークの負荷を軽減できるようなツールを作りたいと思い、iPadを使った専用アプリの開発に踏み切ったのです」(小林氏)

以前はパソコンに保存したWordやExcelのテンプレートファイルから書類を作成していたが、緊急対応時に担当以外の薬剤師が該当の患者ファイルを開けないといった情報共有に課題があった。患者宅で入力が完了し、そこから3つの書類フォーマットを生成でき、さらに訪問薬剤師のチーム内で患者情報を共有できるツールが求められていた。

患者宅で情報入力するデバイスとしてiPadを選択

リンク株式会社 代表取締役 藤澤智宏氏

患者宅を訪問した際に、その場で情報を入力できることを前提としたため、デバイスは起動が速くバッテリー稼働時間の長いiPadが最適だった。開発を担当したリンク 代表取締役 藤澤智宏氏は、WebアプリではなくiOSアプリにした理由を次のように説明する。

「患者様のベッドが家の奥だったりすると電波が届きにくいこともありますから、ブラウザベースではなくアプリとすることで、極力オフラインで操作できる仕様としました。アプリのインタフェースはシンプルですが、患者様への質問の順序や回答用の選択肢など、現場での使い勝手を改善するために、何度も薬剤師に同行して患者様宅を訪問し、実際の業務を体験することに努めました」(藤澤氏)

在宅医療支援アプリ「ランシステム」のトップ画面(左)。患者宅でヒアリング時に使用する入力画面(左)はシンプルな操作感を追求している

患者の中には、タブレットのタッチキーから文字を打ち込んでいる間を不快に感じる人もいるという。そこで手書きノートアプリ「7notes」(提供:MetaMoJi)を組み込み、できるだけ患者から目を離さずにメモをとれる工夫も盛り込んでいる。タブレットであっても、手書き入力ならば患者の抵抗感は低減されるのだという。また、ヒアリング項目は、訪問薬剤師の業務に不慣れな人でも、アプリの質問項目を順番に聞いていけば、必要な3つの書類を不備なく作成できるように構成されている。

アプリには手書きノート機能も実装(左)。必要項目を入力後は、自動的に3つの書式に整形された報告書を写真付きで出力できる(右)

「iPadを使った新しいアプリ『ランシステム』のおかげで、帰社後の書類作成業務に費やす時間は半分程度に軽減されました。導入から1年ほどたち、現在は40台のiPad miniをすべての訪問薬剤師と拠点の薬局に配付して、業務効率化に活用しています」(小林氏)

在宅医療の情報連携システム「ランシステム」を利用した患者宅訪問。薬剤師は持参した薬を届け、患者の健康状況や薬の副作用などをチェックし、その場でiPadに入力していく

iPadで撮影した写真をアプリに取り込んで報告書に添付できるのも、このアプリの特徴だ。寝たきりの患者には床ずれが生じやすい。また、急に腫物ができたと訴える患者もいる。以前であれば、症状をデジカメなどで撮影し報告書に貼り付けるなどの面倒な作業を要していたが、このアプリならiPadで撮影した画像をワンタッチで取り込める。

薬剤師の小林氏と開発ベンダの藤澤氏がタッグを組み、繰り返し現場に出て改良を重ねたアプリは、薬剤師をはじめ医師や看護師からも、「在宅医療を分かっている人が作ったアプリ」と好評を博している。

在宅医療に携わる関係者がSNSを活用して情報共有

そしてこのアプリは、在宅薬剤師間の情報共有にとどまらず、チームとして在宅医療に携わる医師、看護師、介護スタッフとの情報共有機能も盛り込まれている。その仕組みは、ソフトバンクテレコムなど数社が共同開発したタイムライン形式によるSNS形式の情報共有システム「メディカルケアステーション」をアプリと連動させることで実現している。

このSNSはWebアプリで提供されるため、iPadやiPhoneなどのスマートデバイスのほか、医師や看護師は医療施設のパソコンから利用できる。セキュリティに配慮した非公開型SNSであり、患者ごとにタイムラインを立て、その患者を担当する医師や看護師、介護スタッフ、在宅薬剤師に限定して公開し、各自が投稿していく形式をとる。それぞれの立場から患者宅で得られた知見をタイムラインに書き込むことで、効率的な情報共有が実現しているという。

ヘルスケアSNSサービス「メディカルケアステーション」の利用イメージ(ソフトバンクテレコムのWebサイトより転載)

「リアルタイムで文章や写真を共有できるのは在宅医療には非常に有効です。また、職域間の垣根を取り払ってくれる効用もあります。医師は何かあったら遠慮なく電話していいと言ってくれますが、ヘルパーさんなどは患者様の小さな変化に気づいても、担当医に連絡をすることに気兼ねしてしまいます。SNSなら、どんな小さなことでも遠慮なく医師に報告し指示を仰げますから、より緊密なコミュニケーションが実現しました」(小林氏)

実際のiPadの導入効果は、以下の動画ようなものだ。


今後、在宅医療の利用者は増加する一方、医療従事者の人手不足はさらに深刻化するだろう。医療従事者の業務負荷を減らすICT活用は高齢化社会を乗り切る切り札のひとつといえる。