JR東日本は、2013年6月より全乗務員に対し、iPad miniの貸与を順次開始し、列車遅延時の迅速な対応や乗客案内など輸送品質・サービス品質向上に効果を上げている。
同社は、これまでも首都圏の主要駅・地方の乗換拠点駅にタブレット端末を配備し、乗客への案内などに活用してきた。今回の取り組みは、列車の運行という鉄道事業の根幹部分に踏み込んださらなる業務改革への挑戦だったと語るのは、iPad mini導入を指揮した運輸車両部 戦略プロジェクトの鈴木勤氏だ。
「何らかの事情で列車の運行に遅延が生じた際、ダイヤの乱れに応じて、乗務員は予定していた列車と異なる列車を運転することがあります。その際、問題となるのが急遽乗務することになった列車の時刻表をどうやって乗務員が入手するかです。時刻表がなければ、乗務員は列車を運転することができず、その手配に時間がかかれば、列車の遅延が増大してしまいます」(鈴木氏)
乗務員の手配方法については、長年紙による運用を行っていた同社だが、今回、iPad miniが世に出たことで、これを活用すれば列車の復旧時間短縮に役立てられると考えたと、運輸車両部 戦略プロジェクトの石田賢嗣氏は語る。
「列車運行に関わる業務フローの改革は、万が一の間違いが人命に関わる大事故に繋がる恐れもあり、鉄道会社にとっては、非常に慎重な判断が必要です。日々決められた業務フローに沿って間違いなく業務することで安全な運行を保っている現場からも、業務フローや使用ツールが変わることは敬遠されがちです。しかし、iPad miniなら十分改革に耐えうるツールであり、導入効果が見込めると判断しました。乗務員手配が運転再開を決めるすべてではないですが、重要な要素の一つ。そこで、まずはこの部分にiPad miniを活用しようと、プロジェクトがスタートしました」(石田氏)
時刻表がなければ運転再開できない
主要駅には、「乗務員区所」と呼ばれる乗務員のための勤務事務所がある。乗務員は所属する乗務員区所に出勤し、その日の乗務シフトに従って列車を運転している。乗務員のシフト管理は、「区管理者」が行う。乗務員は出勤すると、まず区管理者から必要な時刻表・携帯電話・iPad mini等を貸与される。そして、その日の乗務シフトに計画的な変更や天候による速度規制等がないかを確認し、区管理者と点呼で相互に確認を行った上で担当する列車へ向かう。乗務員区所によって担当する列車はさまざまだが、例えばある運転士は、1つの勤務で8本の列車を運転する。担当列車を乗り継ぎながら往復運転し、所属する乗務員区所へと戻るのだ。
列車遅延により担当列車が変更になると、乗務員区所にいる区管理者が、輸送障害発生時のダイヤ変更に合わせて臨機応変に乗務員の手配を行う。iPad mini導入前は、紙の時刻表に時刻・番線に誤りがないかを確認後、乗務員に配付していた。この時、乗務員が乗務員区所に待機中であれば手渡しが可能だが、運転中や他の駅事務所等で待機している乗務員へはFAXで受け渡しを行っていた。
乗務員は区管理者より電話で変更連絡を受けると、FAXを受信できる駅の事務室や最寄りの乗務員区所まで出向いて時刻表を受け取っていた。ホーム上に乗客が溢れかえって混雑している駅では、乗務員が移動するのも困難になるため、FAXを取得するのも容易ではない。
主任運転士の沖裕介氏は、列車遅延時の状況についてこう語る。
「お客さまに呼びとめられたり、階段が混雑して歩ける状況でなかったり、普通の速度では歩けませんので、FAXを受取りに行くだけで10分かかることも普通でした。輸送混乱が非常に激しかったときなどは、私自身は列車を運転してホームに到着できていたのに、隣のホームのFAX機に届いている時刻表を受取りに行かねばならず、運転台に戻るまで20分もかかったこともありました」(沖氏)
「例えば、A駅に待機している乗務員に変更後の運転時刻表を送る際、A駅のFAX受信担当の社員を経由して時刻表を乗務員に渡していました。しかし、輸送障害時は現場も混乱し、多くの情報が錯綜しています。そんな混乱時では、FAXを受け取る側のA駅社員も即座にFAXの到着確認ができないこともあります」と、FAXでの運用の課題を語るのは区管理者の新宿運輸区 助役 笛木則子氏だ。
FAXは、機器が紙切れや紙詰まりを起こして受取れないリスクもある。
「うまく受信できたか到着確認の電話が必須なのですが、輸送障害時は電話も非常に混雑します。事務所へ確認の電話を入れてもなかなか繋がらないという状況がありました」(笛木氏)
iPad miniで乗務員へダイレクトに時刻表送付が可能に
そこで、このアナログ的な運用をICT化したのが今回の取り組みだ。概要は以下の動画の通りだ。
「T-CREW」という時刻表送付機能アプリを開発し、必要な時刻表はデジタルデータとして担当乗務員のiPad miniへダイレクトに送付できるようにした。
「先程の例を挙げると、A駅のFAX管理担当者を通さずに直接乗務員へ時刻表を送ることができるようになり、手間と時間が大幅に短縮されました」(笛木氏)
運用方法は、こうだ。区管理者は、変更後の紙の時刻表をスキャンする。これにより時刻表のPDF化と、担当乗務員のiPad miniへのデータ送信が行われる。次に、乗務員の携帯電話に直接連絡し列車の変更と時刻表データ送付を連絡する。乗務員側では、その場でiPad miniから時刻表を確認し、すぐに変更列車へと移動することが可能になった。
「個人的な感覚ですが、運転士手配までの時間が半分以下に軽減されたと感じます。乗務員とダイレクトにやり取りできる効果は非常に大きく、業務効率が格段にあがりました」(笛木氏)
「お客さまを待たせることなく、自分も落ち着いて運転できるので安心感があります」と乗務員の沖氏もより業務に集中できるようになったと語る。
ホーム上でもiPad mini活用
同社では、iPad mini導入に際し、もうひとつアプリを導入した。
「J-Shelf」というアプリを導入し、マニュアル類を電子化した。乗務員がホームを歩く際に見かける黒かばんには、国土交通省令に基づいて携帯必須の社内規程類やマニュアル類がぎっしりと詰まっている。乗務員が乗務する列車の種類によって携行すべきマニュアルが定められており、かばんは最低でも2キログラム程度の重さがあった。iPad mini配付後は、マニュアル類はすべて「J-Shelf」から閲覧できるようになり、検索機能を使用して必要な情報を素早く取り出すことも可能になった。
「ふと確認したいことがあった場合でも、紙の規程やマニュアルは膨大な量から目当てのページを探していかねばならず非常に時間がかかっていました。iPad miniは、これ一つにすべてのマニュアルが集約されているうえ、閲覧や検索も非常に簡単にできるようになり重宝しています」(沖氏)
見習い期間の運転士にとっても、iPad miniは効率的な学習ツールにもなっている。
「見習い運転士とペアで行動する際は、iPad miniは本当に便利です。質問を受けても、その場でiPad miniを開き、規程の○ページを開いて勉強しようかという流れになります。乗務かばんに入りきらない膨大な資料がすべてiPadに入っていますので、いちいち取りに行ったり調べたりする必要がなく、時間を有効に使えています」(沖氏)
この他、乗客とのコミュニケーションツールとしても、iPad miniが活躍すると沖氏はいう。乗客からの問い合わせに、筆談アプリを活用して無事目的地まで案内できたり、外国人客との対話には翻訳アプリが役に立つ。日々利用機会は多いという。
今後さらなるICT化を目指して
今後は、通常時の時刻表の電子化にまで活用範囲を拡げる構想もある。列車の運行上の時刻やホーム番線など、もし誤りがあれば大事故へとつながりかねない基幹システムとの連携にはさらに慎重な対応が必要であるが、「最終的な時刻表アプリのスタイルは通常時の時刻表もiPad mini で運用するスタイルです。まだまだ越えるべきハードルは高いですが、そういった運用に繋げていくのが最終的な目標です」と鈴木氏は今後の取り組みにも意欲をみせている。