東京都飲食業生活衛生同業組合(以下、組合)は、所属する店舗のうち、30ほどの飲食店が各店舗に1台のiPadを導入し、FaceTimeを利用した魚の仕入れを開始した。東日本大震災の支援を目的に始動したこの取り組みにより、岩手県大船渡市の鮮魚店では出荷先が増加。東京の飲食店ではより新鮮な魚をより安く仕入れられるようになった。
「震災前から店頭での販売は尻すぼみの傾向にありましたが、東日本大震災での被害で漁にも出られない日が半年続き、地元の人たちは大きなスーパーで買い物するようになってお客さんは離れてしまいました」
震災当時をこう振り返るのは、大船渡で「鮮魚 シタボ」の店舗を営む村上勝弘氏だ。同氏は約30年前に自身で店舗を立ち上げた。地元のお得意さんは被災により他の地域へ避難した人も多く、地方への宅配業務などもしながら現在も店舗経営を続けている。
被災により出荷先が減少した大船渡と東京をつなぐFaceTime
東日本大震災の起きた2011年3月11日以降、その被害により出荷をストップせざるを得ない時期が続いた大船渡では、必死の復興により漁ができるようになった今、出荷先の減少という悩みを抱えていた。
そんなとき東京都の組合と連携し、東京の飲食店へ鮮魚を直接販売しないかという話が持ち上がった。
「今まで使ったことのないiPadのFaceTimeでやりとりするのに最初は戸惑いましたが、電話と違って相手の顔が見えると商売しやすかったです。魚の状態を映像で見てもらえるのでこちらとしても嘘はつけないですし、良い緊張感が生まれています」(村上氏)
東京の飲食店では魚一尾は使いきれないため少量で欲しい、といったニーズもある。
「今日獲れた魚を翌日届くように発送しているので宅配の時間は常に意識していますが、それに間に合う範囲で魚をさばいた状態での販売もやります。要望に応じて、おろした刺身の状態で送ることもあります」(村上氏)
また大船渡では見慣れた魚で人気がなくても東京では珍しい場合もあり、「東京で喜ばれそうな魚があれば、積極的にFaceTimeで見せてこちらから発信するようにしています」と同氏は東京への販売に意欲を見せる。
遠隔地からの安くて新鮮な仕入れが実現
大船渡で水揚げされた魚は現地の漁港でセリに出され、一部が築地へ送られる。そして築地でもセリが行われ、買い付けたられたものがお店でさばかれてお客様へ提供される。この工程には通常2日間かかり、間に入る卸業者や仲買人などの数だけマージンも発生する。
「FaceTimeを使った仕入れでは、今日発注したものが翌日の朝お店に直接届くので鮮度がいいですし、日持ちします」と利点を話すのは、10月から試験的にiPadを使った仕入れを始めた吉祥寺の和食屋「大鵬」の専務取締役、原田由尚氏だ。
また、「仕入れでは築地に行くのに労力がかかります。週に最低2回、朝7時には首都高を使って車で向かい、お店に戻るまでに3時間ほどを要します。往復1,400円なので、交通費は月1万円以上です。この時間とコストが削減できるのも大きなメリットです」(原田専務)
「iPadでの仕入れで必要な魚の7割くらいをまかなえます。そのため築地に行く回数は半分以下になりました」(原田専務)
築地市場が豊洲に移転されればますます移動距離が長くなるため、iPadによる仕入れが重宝しそうだ。
iPadによる仕入れが現状打破の一手に
東京都飲食業生活衛生同業組合の理事長である原田啓助氏は大船渡の友人から現地の状況を聞き、何か手助けできないかと思案しiPadのFaceTimeを使った仕入れを思いついた。
「東京の飲食店が2、3店舗名乗りをあげても大船渡の鮮魚店での売り上げはあまり変わりません。しかし組合に所属する飲食店を取りまとめて動けば対象数は一気に増えます」(原田理事長)
2012年末からこの構想を実現すべく準備を始め、2013年11月に本格始動へこぎつけた。
11月からは約30店舗でのiPadによる仕入れがスタート。FaceTimeは1対1でのビデオ通話のため、同じ時間帯に複数店舗が大船渡とFaceTimeをしたい、といった重複を防ぐ必要があった。組合ではGoogle AppsのGoogleドライブを使った予定管理を行っている。大船渡、東京都の飲食店、組合で同じ予定表を共有し、組合は大船渡の店舗の予定を聞いて内容を更新。飲食店は事前に仕入れをしたい時間帯に店舗名を記入する。大船渡では予定表を閲覧・確認している。毎日連絡を取り合うと決めず、こうした運用にすることで大船渡では拘束されることなく事前に予定を立てられる。
組合が率先して大船渡とのFaceTimeによる仕入れを促すことで、大船渡の出荷先が増加する。組合に所属した飲食店であることが信頼にも繋がり、大船渡の店舗では安心した取り引きが行える。万が一料金未納などのトラブルがあっても、組合に相談できるからだ。101支部、約10,000人を擁する組合では、2014年春ごろまでに100店舗の参入を目指し、この取り組みを促進している。
以下は、東京都飲食業生活衛生同業組合のiPad活用シーンを紹介する動画だ。
飲食店でのIT活用を推進する計画
大鵬では、以前からiPadを使ったメニューで売上向上に取り組んでいるが、スマートデバイスでのクレジット決済を実現する「PayPal Here」も導入。専用端末をiPadに接続し、クレジットカードのサインはiPadの画面で行っている。
「以前は明細書が印刷されるのに時間がかかり、サインしていただくのは小さな紙でしたが、今は明細書もすぐ出て、サインはiPadの大きな画面に書いていただけます。ご年配の方でも見やすいので好評です」と語るのは、大鵬で女将を勤める松井靖子氏だ。
組合に所属している組合員には年配者も多く、IT活用に積極的でない人も多いという。
「iPadのFaceTimeによる仕入れを組合員に紹介した際も、最初は『パソコンもできないのにiPadなんてわからない』という反応が大半でした。集会で実際にiPadを見せ、タッチして簡単に操作できる利便性を説明すると、やっと理解を示してもらえ『これならできるかも』と反応が変わりました。こうした気持ちの転換により、苦手意識を払しょくしてIT活用を促進したいんです」(原田理事長)
抵抗なくiPadを利用できる組合員が増えれば、それはすなわち大船渡の出荷先増加に直結する。大船渡でもこのシステムを利用できる鮮魚店や漁師を増やし、輪を広げていきたいと原田理事長は今後の展望を語った。