日本大学歯学部では今年の4月より、すべての1・2年生およそ270人を対象にiPadを利用した授業を開始した。同学部では従来、必要に応じて数人に一台を貸し出す形でPCを利用していた。一人一台環境を実現するためにはハードウェアの購入コストとともに、電源の確保の問題があった。また、全員が利用することでファンの音が大きくなることも課題であった。
「一人一台デバイスを持たせたいと考えた時、iPadは魅力的でした。音もせず、バッテリーのもちも十分です。教科書と一緒に持ち歩くのが苦にならない大きさで、A4のレジュメがきちんと見られます。授業で活用する資料を閲覧するという意味でもよいデバイスだと考えました」と語るのは、日本大学教授(歯学部解剖学第II講座)の磯川桂太郎氏だ。
日本大学では以前から全学生と教職員に対してGoogle Appsアカウントを発行していた。また、歯学部では学生が利用可能な構内無線LAN環境も整備済みで、学生がiPadを利用することになったとしても対応できるインフラがすでに存在していた。残る課題はiPadの準備方法ということになる。
同学部では当初、学校から配付することも考えたが、最終的には学生自身に用意してもらうことにした。メモリ容量や3G回線の有無、キャリアは問わない。iPadあるいはiPad miniであれば、機種の選択は自由だ。
「学校側からの提供ですと『勉強のためのもの』と意識されてしまいます。すでに個人でiPadを持っている学生にとっては二台目となるわけで、授業用のものは学校のロッカー行きということになりかねません。iPadを自分のものとして愛着を持ち、遊びにも勉強にも利用することで身近に感じてほしい、学び考えることとそのための教材や情報をいつも傍らにというコンセプトで、学生自身が購入する形をとりました」(磯川氏)
タブレット端末の中でiPadを選択したのは、Android端末はメーカーごと、世代ごとに違いがあり、ネットワークの接続性などが一様ではない点が懸念されたためだという。また、磯川氏を含めて担当教授の中にiPadをすでに利用し、その利便性を強く感じている人が多かったことも理由だという。
シラバスやレジュメの配布はiPadへ
iPad利用の取り組みとしては、シラバスの電子化が行われた。2013年度は初年度ということで冊子版も残されたが、今後はデジタル版に切り替えていく予定だ。シラバスは全学年分を1つのアプリとして作成しているため、3年生以上の学生も利用可能になっている。また、教務課からの試験日程告知をメールで一斉配信するなど、従来型の告知との併用ではあるがiPad利用は広がっている。
授業での活用方法は教科によって異なるが、主な使い方としてレジュメ等の配布が挙げられる。従来は印刷の手間やコストの関係から枚数を絞ったり、カラー図版が入ったものもモノクロで印刷していたが、デジタル化することでその制約もなくなった。また、語学系の授業では時事的な記事をインターネットから取得して利用するなど新しい取り組みも始まっている。
「多くの授業ではプロジェクターで資料を投影して学生に見せますが、席によっては見づらいこともありました。iPadに資料を配信することで、学生はどの席にいてもしっかりと確認することができるようになりました。語学系では特に画期的なツールだと喜ばれています」(磯川氏)
iPadを利用開始するにあたっては、ネットワークの接続方法と、Google Appsアカウントでのメールの送受信が行えるレベルまではサポート。iPadの操作方法については、特に教育しなくても学生自身が柔軟に対応しているという。
iPadを顕微鏡代わりにした解剖学実習
同学部のiPadの効果的な使い方としては、実習での活用が挙げられる。従来は学生を2グループに分け、別々の部屋で顕微鏡を使った実習を行っていたが、今年は3グループに分けられ、2つのグループが顕微鏡を使った実習、残る1つがiPadを使った実習を行っている(授業はローテーションにより、すべての学生が同じカリキュラムを学習する)。
「私の実習授業では、顕微鏡の代わりにiPadを利用しています。現在の2年生は他学年に比べて人数が多いため、これまで行ってきた2グループで2つの実習室を使い分ける方法では間に合いません。そこで、iPadで観察が可能な高解像度デジタル化標本を提供しています」(磯川氏)
デジタル化標本は、顕微鏡で従来型標本を高解像度で数千枚撮影し、これらをつなぎ合わせた画像だ。作成には大きな労力を伴う。これらを自動化するシステムは業界各社が提供しているが非常に高額なため、日本大学歯学部ではアウトソーシングすることで料金を抑えている。
先に述べたシラバスアプリ等も含め、こういったシステムの開発を担当したのは日本大学助教(歯学部解剖学第II講座)の山崎洋介氏だ。
「高解像度連続撮影ができる機器は非常に高価ですが、この撮影部分はアウトソーシング可能です。そこで撮影結果を提供してもらい、表示する部分だけを作成しました。4,000~5,000枚の画像をつなぎ合わせて数万×数万ピクセルの画像にするため、単純に1枚に結合させると容量が大きくなり、iPadでは閲覧できなくなってしまいます。そこで、Googleマップのように、その都度必要な部分だけを読み込んで表示する技術を利用したアプリを作りました。ブラウザからスムーズに閲覧可能です」と山崎氏は説明する。
広い画面とオープンな視野で顕微鏡とは違った実習が可能に
取材した実習では、学生が細胞組織を理解するため、細胞の検体写真をiPadで確認しながら特徴的な部分をスケッチしていた。通常の実習では顕微鏡を覗き込み、倍率や位置を調整しながら描くことを繰り返すが、iPadの場合は移動や拡大もスムーズに行える。
「顕微鏡の場合一人しか見ることができません。観察している部分に疑問がある時は、顕微鏡内に表示されるメモリや矢印を利用して教授と学生が交互に覗き対象物を確認しますが、iPadだと同じものを見ているので、直接指し示すことができる点が非常に便利です」(磯川氏)
授業では学生同士で画面を見せ合いながら確認したり、iPadを大型ディスプレイに接続して数人で囲みながら教員から指導を受けるといった、顕微鏡の実習では実現できなかったスタイルでの学習も行われていた。
「顕微鏡実習の場合、これまではさまざまな組織が観察できる標本セットを、学生二人に対し1セット配付していました。そのため、同時に同じプレパラートを利用することがでず、学生は時間をずらしながら観察していました。また、同じ組織であっても利用するプレパラートはそれぞれ違いますから、全く同じものが観察できるわけではありません。iPadで実習が行えるようになったことで、実習室以外での実習教育や自学習が可能となり、実際の標本とバーチャルな標本とを教育効果に応じて使い分けることに意義を見出しつつあります」(磯川氏)
iPadを活かした授業は教員側の工夫も必須
「たとえば、iPadでは1つの資料を見ながら、同時に別の資料も見るということはできません。また、少し前のページへ戻りたいという時には本のように簡単にページを行き来するということもできません。そのため、一部は紙で配布する、すぐにページ移動できるようにインデックスを表示するなど、資料作成と配付のしかたにも工夫が必要です。作成する前に、具体的にどう使うのかをイメージして作らなければなりませんね」と磯川氏は語る。
同学部では今後、さらなるiPad活用に向けて環境を整え、利用範囲を拡大する予定だ。
「標本の電子化は計画的に進める予定です。現在は1・2年生のみの利用となっていますが、来年以降の新入生にもiPadを購入してもらいますし、現2年生が進級するのにあわせて上の学年でも順次、利活用が展開していくと考えています」(磯川氏)
山崎氏も、「iPadでの3Dコンテンツ活用の展開も考えています。歯や顎の複雑な構造を理解するために模型を利用しますが、それを3DCGや立体写真で表示するのです。3Dグラスを貸与する形ですでに一部で試用を始めています」と述べる。
今後はiPad活用とともに、デジタルデバイスの授業への有効利用が進められる予定だ。