ゼネコンの業務は、事業主(施主)を獲得する営業を始点として、事業主のニーズを形にする設計、専門工事業者と協力して工事を実施する施工、設計図どおりに工事が進んでいるか検査する品質監理、そして完成・引渡し後の維持管理となる。その間、社内の各部門間での情報交換はもちろん、事業主や施工業者など社外との情報交換も頻繁に行う。こうした業務全般を改善するためにiPadの導入を検討していた熊谷組では、まず設計と品質監理を担当する設計本部に試験的な導入を行った。2011年9月のことである。

ペーパーレス会議を手始めに、次々と設計本部の業務改善が進む

一般にiPadの試験導入は若手社員に任せ、職位の上位者へ順次エスカレートさせていくことが多いなか、熊谷組では設計本部長をはじめとする幹部の役職者3人がまず業務での有用性を検証したという。「若手に任せるといろいろとバイアスがかかるから」というのがその理由だ。試験導入に当たった設計本部 執行役員 副本部長 飯田宏氏は、iPad導入決定の経緯を次のように語る。

「iPadで基本的に何ができるか、特に設計本部としてどうやって活用できるかをテストしました。その過程でペーパーレス会議への利用は効果的だと確信し、さらに情報活用にも有効だと判明しました。この2つのメリットがiPad導入を決めた出発点です」(飯田氏)

熊谷組 設計本部 執行役員 副本部長 飯田宏氏

当時、朝会と呼ばれる日次会議では全案件のスケジュールを網羅した一覧表を紙で配付して情報交換していたが、試験導入から3カ月後には朝会に出席するライン部長全員にiPadを配付し、直後からペーパーレス会議に移行した。その後、グループ部長まで配付範囲を拡大し、この段階で設計本部に約50台のiPadが導入された。現在では設計本部のすべての会議はペーパーレスで実施されている。

会議で使用する資料は、担当者がパソコンで作成したものをPDF化して、クラウド型のファイル共有サービスを使って会議参加者に配付する方法をとっている。事前配布はしているが、ダウンロードにかかる時間は非常に短いので、会議が始まってからダウンロードしても問題ないという。紙やコピー機のコスト削減効果に加え、スケジュール表を常に手元で参照できる利便性向上も好評だ。

iPadによる情報活用について、同じく試験導入に参加した設計本部 品質監理部長 渡辺勝紀氏は、ワークスタイルの変革による効果を強調した。

熊谷組 設計本部 品質監理部長 渡辺勝紀氏

「以前は朝出社したらパソコンを立ち上げてメールをチェックするという流れでした。それがiPadの導入後、会社にいなくてもメールを受信できるようになったので、通勤時間中にメールをチェックして問題点や状況を把握できます。会社に着いたらすぐに必要な指示を出せるようになり、業務の迅速化が実現しました」(渡辺氏)

これ以外にも、通勤時間に経済紙の電子版を読めるようになった、あるいは新聞・雑誌の読みたい部分だけPDF化してiPadで読める、といったメリットも明らかになる。役職者は多忙な時間をやりくりして、常にビジネス情報をキャッチしなくてはならない。iPadはこうしたマネージメント層の情報活用ツールとして有効であるようだ。

設計という専門業務にiPadをどう活用できるのか?

ペーパーレス会議と情報活用の次段階として、本業である建設の専門的な業務でのiPad活用法を見つけるのが、新たなテーマとなった。特に設計本部への展開では、「監理分野については、他社でもiPadを活用している事例が出始めていたので、ある程度の利用イメージはつかめていたのですが、設計についてはほとんど手探りの状況でした。設計業務はWindowsパソコンを中心に行ってきた歴史があり、例えば図面の正確さなどは非常に重要なので、はたしてiPadを使って大丈夫なのかなど、多くの不安がありました」と飯田氏は振り返る。

iPadの何が設計業務に使えて、何が使えないのかを模索するところから始めた結果、「プレゼンテーション資料を簡単に作れる点は非常に評価でき、また大量の資料をiPadに取り込んで持ち運べるのも便利」(飯田氏)であることが判明した。この2点から、顧客先でのプレゼンテーションにかなり有効だと評価したという。

Keynoteで作成したプレゼンテーション用資料

設計の業務は、ともすると一日中パソコンに向かって設計図を引いているイメージを持たれがちだが、実際には設計本部員のほとんどは、日中は外出して顧客と打ち合わせをしているという。そこで新たに決まった仕様を付け加えるために、社に戻って設計図を修正する。若手は社内で作図する機会が比較的多くなるが、管理職になると顧客や施工現場との打ち合わせが主たる業務だ。

iPadを使えば、打ち合わせに必要な設計図や資料、施工物件の完成写真などをすべて入れて持ち運べるうえ、相手が少人数ならiPadだけを使って対面でのプレゼンテーションができる。もちろん大人数ならプロジェクタや大型ディスプレイにつないで本格的なプレゼンテーションも可能だ。状況によっては、モバイル型プロジェクタを携帯してiPadの資料を投影することもある。資料作成は、設計部が作った図面をもとに広報部が見栄えのいいイラストを作成したものを再利用するなどで、各自が「Keynote」を使って作成しているという。

状況に応じてモバイル型プロジェクタも持参してプレゼンテーションを行う

導入から約1年経過した2012年9月には、設計本部の本部長から、「今後はノートパソコンを止めてプレゼンテーションはすべてiPadにするように」との指示が出され、そのための研修も始まっているという。また部長以上に限定している配付範囲を、今後は課長クラスまで拡大する準備を進めている。課長のほうが設計実務に携わっている割合が大きいので、iPadによってさらに業務改善が期待できる。

品質監理部では、不具合報告の迅速化・視覚化に大きな改善効果

品質監理部とは、施工現場の作業が設計図どおりに施工されているかを監理するのが役目である。iPadの業務利用で最初に効果を実感できたのは、図面の電子化による可搬性の向上だった。現場に持ち込む設計図は、本来A1サイズで作成された図面を縮小し製本した状態で、数百ページにもなる。これの製本された設計図が大規模物件であれば、「意匠」「構造」「設備」「電気」の4冊分必要になる。

製本された設計図(左、中央)、それを電子図面に変換してiPadに取り込んだ(右)

「従来はこの設計図を持って、現場を検査のために回っていました。重くてかさばるのはもちろんのこと、縮小版では細かい部分を確認するのが難しいという問題がありました。また照明工事が済んでいない建物の中や、屋外で夕方になったりすると、暗い状況では製本図面はとても見づらいものでした。いまはiPadの中に図面をすべて電子化して格納してあるので持ち運びは非常に楽になり、細かい部分も拡大して確認できるようになりました。ディスプレイも明るいので、暗い現場での視認性も格段に向上しています」と渡辺氏。

常に手元のiPadで図面を確認できるほか、電子図面を開くアプリに「GoodReader」を利用しているため、図面に直接メモやコメントを書き込めるのも便利だ。

「GoodReader」のファイル管理機能を使ってすべての物件ごとにフォルダ分けして電子図面を格納(左)、図面上にメモやコメントの書き込みが可能だ(右)

こうした図面の電子化によるメリットに加えて、検査時に発見された不具合報告にも大幅な改善効果が生まれている。

「従来の不具合報告は、まず電話で一報を入れてから、規定のフォーマットに沿って文書で行っていたのですが、言葉による説明だけだと伝わりにくい部分も多かったのです。iPadを工事監理者全員に配付して以来、問題個所を発見したらその場で写真を撮って本部へメールで送信することが可能になり、不具合発生から本部での情報共有までのリードタイムが大幅に短縮され、状況の把握も正確にできるようになりました」(渡辺氏)

不具合報告以外にも、会議の席で施工経過をiPadの動画で撮影して関係者に見てもらうといった使い方も定着している。

「例えば競馬場の大型スクリーンのような大きな建物になると、写真では臨場感が出ないのですが、動画を撮影することでリアルな報告が可能になります。動画撮影時にナレーションも加えると周囲の状況が分かって、工事の進行がより具体的にイメージでき、言葉だけの説明よりも臨場感があります」(渡辺氏)

従来では、デジカメで撮影してからパソコンのある作業所まで移動してパソコンに取り込んでメール送信といった面倒な作業が発生していたが、iPadなら現場からすぐにメール送信できるようになった。

競馬場の大型スクリーン施工現場をiPadで撮影した動画。周囲の状況を動画で記録すると、現場の状況をよりリアルに伝えられる

施工現場への配付を経て、iPadの全社展開を目指す

iPadを使った業務改善は順調に進んで、設計本部以外も含めた熊谷組全体で約250台のiPadが稼動するようになった(2012年10月現在)。これは内勤者で業務改善効果の期待できる部門にはほぼiPadがいきわたっている状況だ。

そして今後、iPadの展開先として検討を進めているのは、施工現場に設置する仮設作業所での活用だ。現在は3つの現場にトライアルとしてiPadを導入して、作業所に設置したファイルサーバに格納した図面にiPadからアクセスできる環境を構築している。

既存のiPhone/iPadアプリには、建設業を想定した工程管理ソリューションが多数リリースされており、同社でも各製品を評価しているというが、いずれも「帯に短し、たすきに長し」の状況だ。施工現場の工程管理と監理部門が実施する検査業務をiPad上でうまく連携でき、それをネットワーク経由で本社のパソコンにも反映できるようなシステムが構築できれば、大幅に業務を改善できると渡辺氏は指摘した。

同社ではトライアルの結果を踏まえつつ、既存の活用ノウハウを援用して施工現場でのiPad活用法を探っていく構えだ。内勤から現場まで業務フロー全体にiPadを浸透させられれば、これまでにない建設業のワークスタイルが見えてくるだろう。