中国 海南島の三亜で開催されていたBRICS首脳会議が、「三亜宣言」を公表して閉幕した。ブラジル、ロシア、インド、中国の4ヵ国に、今回から南アフリカ共和国も加わり、"BRICs" が "BRICS" となった。報道によれば、注目すべきはエネルギー政策となっている。新興国の立場として、原子力発電所の建設を進める政策を維持する方針を示した。宣言は日本の原発事故を踏まえながらも、急速な経済成長を続ける新興国の事情を反映し、原子力発電が不可欠と認めた。ドイツなど先進国で広がる「脱原発」の動きとは一線を画した。

マンゴーの里に巨大原発建設計画

インド最大の都市 ムンバイの南250kmにあるジャイタプールは豊かな町だ。土壌は建材として国内各地に送り出され、最も高価なアルフォンソ・マンゴーの産地でもある。夏の暑い盛りにインドに行きたいとは思わないが、それでもアルフォンソ・マンゴーを食べるのは楽しみである。マンゴーを食べずにインドに行っても仕方がない。しかし今、このマンゴーの里が揺れている。

ブルームバーグや先週のニューズウィーク日本版での報道によると、世界最大の原子力発電所建設計画に対して、地元住民の反対運動が盛り上がっているとのことだ。

この原子力発電所は、全体で原発6基、計990万キロワットの建設計画となっている。インド原子力発電公社(NPCIL)は最初の2基について、欧州加圧水型炉(EPR)の建設契約を世界最大の原発メーカーであるフランスのアレバと結んだ。しかし、強制的な農地の接収や地震の危険地帯であること、世界各地で明らかになったアレバの加圧水型炉の欠陥などに対して、住民の怒りが爆発しているのだ。ここは豊かな地域だから、毛派のテロの心配はない。現時点では地元農家2000軒強のうち112軒しか補償金を受け取っておらず、残りの農家は受け取りを拒否している。

ニューズウィークの報道は常にインドに対して辛辣であるが、今回も「インド流デタラメ原発の悪夢」と評している。

40年間で原子力発電を100倍に - インドのエネルギー政策

インドはアジアで最も早く原子力研究に着手した国であり、原発の歴史は古い。

社団法人 日本原子力産業協会の資料によると、インドの原子力研究は1945年のタタ基礎研究所の設置が始まりである。1956年にはアジアで最初の原子炉が稼動した。1969年には、初の原子力発電所がタラプールで運転を開始した。また、インド国内にウラン資源が乏しいため、豊富なトリウム資源を使用した「トリウム・サイクル」というインド独自の核燃料サイクルを採用している。これだけの独自技術を有する国でなのである。

しかし、発電量そのものは多くない。2008年における原子力によるインドの発電設備容量は412万キロワットであり、これはインド全体の発電量の2.7%にすぎない。再生可能エネルギーの割合が8.7%であることを踏まえると、随分と少ない。だが、インドは深刻化する電力不足に対して原発の拡大に大きく舵を切った。

2008年、インド政府は原子力発電の目標値を「2020年までに20ギガワット」から「2050年までに275ギガワット」に引き上げた。さらにその後、「2050年までに455ギガワット」(現在の発電量の100倍)にまで目標値の引き上げを行った。

インドは福島と同じ道を歩むのか

この目標値の引き上げは、少し信じられないような拡大幅である。

インドのことだ、学者はいくらでもいる。いや、発電量が増えても学者を増やす必要はない。しかし、実際に原発を設計、構築、運用する技術者はどこにいるのか。

福島の原発事故を見ていても、好き勝手に規定をいじる学者と役人の存在は見えるが、実際に運用できる技術者の姿が見えない。非常用電源を2台同時に定期点検する? こんなことは技術者の発想としては有り得ない。電源車を用意したまでは良いが、プラグが合うかどうかはわからない? これは典型的な学者の考えだ。パッキンを逆に付けてしまったのは仕方ないとして、それをチェックせずに非常用電源として運用していたというのはどういうことか?

焼け石に水の、言葉どおりのヘリコプターによる海水の散水や新聞紙で放射能汚染水の流出を食い止める……原発の周囲には役人と学者と作業者、これしかいないのかと思えてしまう。

とことん技術的な課題を追求し、障害時の運用を確立・訓練した技術者でしか現場は支えられない。筆者も技術者出身である。汎用コンピュータの障害対策機能開発とシステム運用の最前線に20年間携わっていた。おかげさまで、少々のトラブルには動ぜずに対処できるようになった。これは頭ではできることではない。現実の修羅場を経験した回数が重要になる。技術者はそうやって育つものなのだ。

コンピュータの世界がそうであれば、原発などは「絶対に失敗が許されない環境」という、より過酷な経験が要求されるはずだ。

メーカーに発注すれば発電所は作れる。しかし、それを支える技術者は自分たちで育成する必要がある。東電も日本政府もそれを怠ったとしか思えない。そもそも「想定外」などという言葉からして間違っている。自動的に対処できる障害と、運用者の手動による対処が必要な障害を切り分けるのは必要だ。空想の世界で「こういう障害が起きたら」と思いつく障害は必ず起きるものだ。「想定外」に対しての手動での対応マニュアル確立と操作員の訓練を怠ったとしか思えない。

インドの計画はもっと極端だ。夢物語である。いや、いくらなんでも「想定外」が多過ぎる。すでにインドでも何回も原発の事故が発生している。メルトダウン寸前にまで至ったケースもある。ここで書いているときりがないが、1点だけ書いておこう。

2004年12月に、スマトラ沖地震とそれに伴うインド洋大津波が発生した。この災害では、南インドでも数千人の人々が犠牲となった。この時、チェンナイ近郊のカルパカムにある原子力発電所が大津波に襲われ、原子炉が緊急停止するなどの影響が出た。つまり今回の福島と同じ状況である。それほど大きな津波だったのだろうか? いや、決してそんなことはない。

筆者の知人の家はチェンナイのマリーナビーチ沿いの道路に面している。砂浜から高さ1メートルほどの道路の向かい側である。ちょうどその時、知人は寝ていたが、外がうるさいので起きてみると、砂浜はいたるところで陥没し、人々が津波に飲み込まれた後だった。わずか1メートルの高さの道路を津波は越えなかった。延々と続くビーチのために津波は増幅しなかったのだろうが、それでも原発は大事故寸前の状況にまで至った。これが実情だ。

普段は平和なマリーナビーチ

本連載の第10回「『保守』が苦手なインドに原発を供給してもいいのか?」でも書いたが、インドの技術は優れている。しかし運用・保守は無理である。いや、もはや日本も偉そうなことは言えないか。

今回の津波で三陸のホヤが壊滅したと聞く。残念だ。少なくとも4年間は食べられない。その上にアルフォンソ・マンゴーまで食べられなくなるのは止めてほしい。

ベンガル湾の波の谷間に隠れた寺院。津波のときは全貌が現れた

著者紹介

竹田孝治 (Koji Takeda)

エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「(続)インド・中国IT見聞録」も掲載中。

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