いまから60年前の1961年4月12日、人類初の宇宙飛行に挑んだユーリィ・ガガーリンの伝説を振り返る連載。第2回ではヴォストークと、人間の前に宇宙へ行った犬たちの活躍について取り上げる。

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    製造中のヴォストーク宇宙船 (C) Roskosmos

東方プロジェクト

ソヴィエト連邦(ソ連)における有人宇宙船の研究は、スプートニク、スプートニク2の打ち上げられた年、すなわち1957年の3月にまでさかのぼる。まだ人工衛星が存在していないこの時期に、すでに人間を乗せて地球の軌道を回る宇宙機の検討が始まっていたのである。

当初はさまざまな形が検討され、中にはスペースシャトルのような翼をもった機体にする案もあった。しかし、技術的に難しいといった理由により、早い段階で球形のカプセルにすることが決められている。

1958年の秋には設計が固まり、そして1959年5月22日、ソヴィエト共産党中央委員会は有人宇宙船の開発計画を承認、ここに「ヴォストーク」計画が開始された。ヴォストークとは東方という意味で、米国など西側に対する東側の優越を象徴したものだった。

ヴォストークは、人が乗る直径2.3mの球形のカプセルに、富士山を底面で上下にくっつけたような形の機械モジュールが装備されている。同時期に米国が開発した「マーキュリー」宇宙船と比べると、かなり大きな機体だった。

大きな特徴としては、宇宙飛行士が乗ったまま着陸することはできなかったということが挙げられる。この当時の技術では、カプセルと搭乗者を合わせた質量の物体を、パラシュートを使って安全に地表に着陸させることができなかったのである。そのため帰還時には、パラシュートで降下中のカプセルから、射出座席を使って宇宙飛行士を放出し、それぞれ別々に地上に降下するという仕組みを取っていた。このことはのちに、物議を醸すことになる。

またコロリョーフは、人の代わりにカメラを積み、撮影した写真のフィルムをカプセルで回収する偵察衛星「ゼニート」の計画を抱き合わせたうえで提案し、GOサインをもらっていた。純粋な有人宇宙飛行計画では軍の承認が得られないだろうと考えたコロリョーフの奇策だった。

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    ヴォストーク宇宙船の図 (C) Roskosmos

一方、それを打ち上げるロケットは早々に決定した。コロリョーフらが開発した大陸間弾道ミサイル「R-7」は、もともと3000kgの核弾頭を積んで8000kmの射程をもつように開発されたこともあり、かなり強力な性能をもっていた。スプートニクを打ち上げたスプートニク・ロケットも、じつのところR-7ほぼそのままの機体であった。

コロリョーフらはまた、R-7に第3段を追加し、さらに打ち上げ能力を向上させることにも成功。月探査機の打ち上げに使われ、1959年1月には「ルナー1」が月に初めて接近、観測することに成功した。

もっとも、この初期型のR-7は信頼性が低かったことから、コロリョーフらは改良を実施。さらに軽量化や推進剤の搭載量の増加などで性能も向上させ、そのうえでヴォストーク宇宙船の打ち上げに使うこととなった。

コラーブリ・スプートニクと宇宙犬

1960年5月15日、ヴォストークの形をした、しかし無人の宇宙機が打ち上げられた。それが「コラーブリ・スプートニク」である。

「スプートニク」という単語は元々「同伴者」、「旅の道連れ」という意味で、それがのちに「衛星」という意味ももつようになった。「コラーブリ」とは「船」という意味であり、つまりコラーブリ・スプートニクは単に「衛星船」という程度の意味である。

コラーブリ・スプートニクの1号機では打ち上げから再突入までの一連の流れを試験する計画だった。そのため逆噴射ロケットは取り付けられていたが、耐熱シールドはなく、地上へ帰還することは計画されていなかった。

打ち上げから4日後の5月19日、逆噴射ロケットが点火された。しかし、本来なら進行方向に向かって噴射して減速するはずが、逆方向に噴射したため、より高い軌道に乗り移ってしまい、ミッションは不十分な結果に終わった。

その結果を受けてもなお、開発陣は計画を前進させることを決め、そして人を乗せる前段階として、まず犬を乗せることを決めた。ソ連では、初期のロケットの打ち上げ実験や、スプートニク2にも犬を乗せて飛ばしており、宇宙計画にとっては馴染みのある存在だった。

同年7月28日に打ち上げられた次のコラーブリ・スプートニクには、リシーチカとチャーイカという2匹の犬が乗せられた。しかし、ロケットが離昇から28.5秒後に爆発。打ち上げは失敗し、2匹も亡くなった。

8月19日に打ち上げられた3機目のコラーブリ・スプートニクは成功。この船には、ふたたび2匹の犬、ベールカとストレールカが乗っており、打ち上げから約26時間後に無事に地上へと帰還した。

12月1日には、ムーシュカとプチョールカの2匹を乗せたコラブル・スプートニクが打ち上げられた。無事に軌道に投入され、打ち上げは成功した。約24時間後、逆噴射ロケットに点火するが、燃焼が予定より短い時間で終わってしまった。そのため、異常を検知した破壊装置によって自爆。2匹の犬も死亡した。想定外の場所に落下すると事故につながるばかりか、技術や情報が漏れる可能性もあることを考えての処置だった。

12月22日に打ち上げられたコラーブリ・スプートニクも散々な結果だった。この打ち上げには従来から改良されたロケットが使われたが、第3段エンジンが早期に燃焼停止してしまい、宇宙船は軌道速度に達することなく、シベリアに落下した。カプセルにはジューリカとジェムチュージナの2匹が乗っており、極寒の中でカプセルに閉じ込められたまま過ごし、約60時間後にようやく救助された。

こうした試験、そして犬たちの犠牲を経て、1961年の初頭、ついに有人飛行仕様のヴォストーク、「ヴォストーク3KA」が完成。以降のコラーブリ・スプートニクの打ち上げから投入されることになった。

同年3月9日には、このヴォストーク3KAの試験打ち上げが行われた。船内にはチェルヌーシュカという犬1匹のほか、イヴァーン・イヴァーノヴィチと名付けられたマネキン人形が搭載されていた。ミッションは万事順調に進み、イヴァーンは射出座席で、チェルヌーシカはカプセルに乗ったまま無事に帰還した。奇しくもこの日は、ガガーリンの27歳の誕生日でもあった。

3月25日に打ち上げれられたヴォストーク3KAにはズヴョーズドチカという犬と、ふたたびマネキン人形のイヴァーンが搭載された。この打ち上げも順調に進み、1時間46分後、無事に回収された。なお、ズヴョーズドチカと名付けたのはガガーリンだった。

この2機のヴォストーク3KAの試験飛行が無事に完了したことで、コロリョーフらは人が乗っても問題ないと判断。この次の打ち上げでは有人飛行を行うことを、政府に報告している。

前述のように、ズヴョーズドチカが乗ったコラーブリ・スプートニクの打ち上げには、ガガーリンらソチ・シックスの6人も立ち会っている。そして彼らは、1か月もないうちに同じような打ち上げの光景を目にすることになる。ただ一人、宇宙船に搭乗する者を除いては。

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    製造中のヴォストーク宇宙船 (C) Roskosmos

参考文献

https://www.roscosmos.ru/29977/
Hall, Rex, and David Shayler. The rocket men : Vostok & Voskhod, the first Soviet manned spaceflights. London New York Chichester England: Springer Published in association with Praxis, 2001. ・The Vostok (3A No. 3) mission
ESA - Yuri Gagarin
Korabl-Sputnik 2: The First Animals Recovered from Orbit | Drew Ex Machina