おいしいものを、おいしいと思う。日々感じている「味」、実は舌だけに頼る感覚ではないそうです。実験心理学から「食」をひもとく立命館大・和田教授が、自身のグルメ体験を糸口に、「味わいのキモ」を考えます。
研究者という仕事柄、私は全国、ときには海外の都市で開催される学会や会議にしばしば参加する。東北大学がある仙台にはここ十数年、年に二~三回は訪ねている。学会にはだいたい懇親会がつきものだが、仙台のような美食の宝庫では、可能であれば一人か、二人くらいで抜け出して小さな店で食事するのも楽しみだ。
今年の七月もそのチャンスがやってきた。三陸の初夏といえばなんといってもウニ。友人と横丁の寿司屋に向かった。コンパクトな寿司屋のカウンターでまずはガゼウニ。殻からスプーンですくってほおばると上品な甘味とうま味。えぐ味がない。スゥーと磯の香りが漂う。舌で潰すと爆発的に香りの強度が増し、ぶわっと鮮烈な香りが口内に広がり、甘味とうま味も強烈になる。その後も素晴らしいネタの数々を供され、東北の豊かな海の幸を味わえた。
最高に幸せだったが、この日はホヤが出なかった。まあ明日食べればいいかと、〆のお酒を一杯いただきに近所の居酒屋さんにうかがう。
こちらは女将さんをカウンターでぐるっと囲む、風情のある知る人ぞ知る仙台の老舗。お酒を頼むとつまみが一品ついてくるおもしろいスタイルで、何が出てくるかはお店任せになる。ここで心を読まれたかのようにホヤ。丸ごと酒蒸しして、ぱかっと二つに割ったものが配膳された。これはうれしかったが、生のホヤしか食べたことがなかったので、酒蒸しだとあの独特の風味がとんでしまうのでは、と不安がよぎる。食べる前にくんくんと嗅いでみると、あまり香りが感じられない。疑念を強めながらも厚い皮をはいで一口かみしめてみると鮮烈なホヤの香りと味が噴き出してきた! 水っぽくない分、うま味も凝縮されており、ホヤ特有の舌を刺すえぐ味が抑えられている。これはすばらしい体験をさせてもらった。
さて、このコラムは科学的なおいしさを探求するのがミッションだ。このままうまいものを食べた自慢で終わるわけにはいかない。今回はウニやホヤのように美味とされる食材の「味わいのキモ」がどこにあるのか、考えていきたい。
匂いが食べ物の風味を決める
舌の味覚神経が伝達する狭義での味覚は、「基本味」といわれる甘味、塩味、酸味、苦味、うま味。この中に「ウニ味」、「ホヤ味」は含まれない。
つまり、味覚だけではウニやホヤのような食品が持つ魅力を最大限味わうことはできない。日本の出汁(だし)を形成している鰹節や昆布には確かにうま味物質(イノシン酸・グルタミン酸)が豊かだが、中華のスープでも洋食のスープストックでも同様のうまみ物質は含んでいる。
お味噌汁やお吸い物を飲む前に器を口元まで近づけて深く息を吸うとプーン鰹節の香りが立って幸せな気持ちになる―― といった和食の出汁ならではの特徴は、むしろ匂いで感じるといっていいだろう。このような味覚と嗅覚、さらには他の感覚との組み合わせで感じられる食品の特徴を「風味」という。
嗅覚は、揮発性の化学物質である匂い分子から外界の情報を得る感覚である。日常的に人が感じる匂いは、多数の匂い分子に対する反応として生じる。鼻腔の嗅粘膜にある嗅細胞の嗅覚受容体が、類似した分子構造の匂い分子に反応する。ヒトにはおよそ400種類の嗅覚受容体が存在するので、上記の味覚に比べてバリエーションが格段に豊富なのだ。そこに、多様な食品の特徴を形作る理由があるのかもしれない。
つまり、ウニやホヤの風味を特徴づけているのも匂いである。咀嚼することによって、目の前にある時に鼻孔から嗅ぐ匂いとは異なる香気成分、あるいはより強い香気成分が口腔内で生じることを「フレーバーリリース」という。これが食品の特徴を顕在化する。
風邪を引いて鼻が詰まっているときの食事が、とても味気なく感じたことはないだろうか? これは鼻がつまってのどの奥からこみあげてくる匂いが感じられなくなってしまったためだ。
匂いは鼻腔の受容体の作用で感じるものだが、日常的な食経験では、味との連合の強さから味覚と混同され、味覚と一緒になって口腔内に生じた“あじ”のように感じられているのである。(後編に続く)