フランス最大手の通信会社France Telecomの社員が自殺するという事件が相次いで起こった。9月11日、32歳の女性が「私で(自殺者は)23人目」とメッセージを残してパリ市内にある同社オフィスから飛び降りて命を絶つ。それから3週間もしないうちに、今度は51歳の男性が自らの身を投げた。遺書と思われる家族宛のメッセージには、「職場でのプレッシャーが苦痛」と残されていたという。
France Telecomはもともと国営通信会社で、2004年に民営化された。既存の固定電話事業のほか、ISP、モバイル事業などを展開し、ISPとモバイルはともに同国最大のシェアを誇る。ブランド名「Orange」と聞くと、ご存知の人もいるだろう。「iPhone」をフランスで最初に提供したオペレータだ。
同社はインターネットが世界的に普及する前に、「Minitel」という画期的な情報サービスを開発/提供するなど、高い技術力を誇る優良企業だ。従業員は10万人以上。世界に展開しており、欧州ではモバイルは3位、ブロードバンドISP事業では最大のシェアを誇る。
その同社の社員が2008年2月以来、次々と自らの命を絶っている。数にして24人。未遂に終わったケースは13件以上あるという。人が自らの命を絶つのにはさまざまな理由や背景があるだろうが、23人目の女性のように実行場所にオフィスを選んだ人が複数いることから、職場が一因となっているのは明らかだ。たとえば24人目となった51歳の男性は、事業目標が達成できなかったためコールセンター業務にまわされたという。コールセンター業務への異動は一種の左遷であり、厳しく管理された成果主義を導入しているという。この男性は同僚に対し、「自分には向いていない」と漏らしていたとのことだ。なお、パーテーションで仕切られた孤独なオフィス、トイレに入退室するにも許可を求められるなど、コールセンター担当者は過度のストレスにあると話す社員もいる。
労働組合によると、France Telecomは2004年の民営化以来進めている大規模かつ長期的なリストラの過程にあり、この間、全従業員の約10%に相当する1万人の社員が強制的に部署を異動させられているという。同社のCEO Didier Lombard氏は、2011年までに17億ユーロ(約2,230億円)のコスト削減を掲げており、人員削減はその中心となる。民営化を果たしたものの、最大株主はフランス政府で、社員の65%が民営化前に雇用された公務員。全体としては、公務員気質の会社といえるだろう。
言うまでもないが、通信事業者は花形分野であると同時に、技術革新/規制緩和が進む激動期にある。2000年に崩壊したITバブル、欧州では通信バブルといわれており、3G免許オークションでの高騰によりFrance Telecomをはじめ多くの通信事業者が大きな痛手を受けた。業績が回復しつつある一方で、技術はどんどん進む。それだけでなく、WebベースのVoIPサービスなど、競合はどこから出てくるのかわからない。
これまで安定した収入を得ていたFrance Telecomだが、固定電話は縮小の一途をたどっている。ISPやモバイルなど新規事業を見ても、同社は確かにブランドや既存顧客など有利な立場にあるが、トリプルプレイ(インターネット、電話、TVをセットにしたバンドルサービス)など大胆なサービスや価格を打ち出す新規参入企業の後を追うイメージだ。同社は先に、英国でモバイル事業部をDeutsche Telekomの「T-Mobile」と合体する計画を発表、大きな方針転換を図っている。
このように、通信事業はダイナミックな業界ではあるが、そこで働く社員によってはストレスにもなりうる。
体質改善/スリム化を狙うFrance Telecomの経営陣は、一部従業員に部署を転々とさせていたようだ。France Telecom側は地元経済紙に対し、部署異動に非協力的、早期退職の奨励、週35時間労働の範囲内スケジュール管理の難しさ、管理者と従業員間の対話のなさ、などが自分たちの問題点と説明しているが、部署異動や成果主義は「社員が辞めたくなるように仕向ける"いじめのアプローチ"」と労組は表現する。たとえば9月、異動を言い渡された社員がその場で自身の腹部を刺した事件も報告されているし、この5年で20回も部署が変った人もいるという。70人いるという同社の勤務医は、自殺はドミノ現象化しており、対策はすでに手遅れであると指摘しているという。
英国、米国とは異なり、フランスは基本的に社会主義の国だ。成果主義、スピード、効率化などのアングロサクソン的な労働は、彼らのネイティブではない。たとえば数年前に議論されたCPE(初期雇用契約)。雇用を促進するための制度だったのだが、リスクが大きい経営者向けに解雇しやすくする条項を盛り込んだことから、学生、さらには労組が大反対し、学校が閉鎖されるという事件にまで発展した。France Telecomの社員が抱えるストレス/苦悩は、フランスが直面する苦悩でもあるのだ。
Reutersなどによると、France TelecomのCFO Gervais Pellissier氏は、24時間365日メールが読めるという、別の「ストレス」を指摘しているという。固定ブロードバンドの普及に加え、「BlackBerry」など容易に会社のメールをチェックできる端末が登場している。以前は職場を離れるとプライベートに戻っていたのが、境がなくなりつつあり、これがストレスにつながっているという。
数値としてみると、フランスの自殺率は人口10万人につき17.6人(世界保健機構調べ、2005年)。欧州では高いほうで、抗うつ剤服用者数も世界でもトップレベルといわれている。France Telecomが民営化に向けた準備を進めていた2000年には28人、2002年には29人の社員が自殺しているとのことだ。France Telecomに限らず、RenaultやPeugeutなど自動車メーカーでも、職場が関係した社員の自殺が話題になったことがある。さらに拡大するならば、仕事が原因で自殺する人はフランスに限らず成長国で共通して増加傾向にあるという。
労組は改善を求めるとともに、CEOの退任を要求している。事の深刻さを受け、政府も介入に乗り出しているが、先にCEOと会合を持った財務大臣Christine Lagarde氏は「現CEOを信頼している」とコメントしている。France Telecomは今後、10月末まで人事異動は行わない、自殺予防ホットラインを設ける、などの対策を明らかにしている。
週35時間労働、長い夏季休暇、おいしい食事、充実した文化環境、過ごしやすい気候と、フランス人の生活の質は高いと世界的に評価されていると思う。だが、それを維持するには仕事(=お金)が必要だ。それを支える職場が揺らぐと、リラックスしてはいられない。France Telecomの一件は、企業や労働者が内包する問題を示しているように見える。