ダイバーシティよりもインクルージョンを
日本ではいまだに「ダイバーシティへの対応が必要だ」と言われることが多いですが、海外ではもうダイバーシティは死語になりつつあります。日本のメジャーなマスコミ(どこかはいいませんが)でも、私が4月に受け取ったメールで「企業にはダイバーシティへの対応が強く求められており、その一環として『女性活躍推進』に取り組む企業が増加しています」と述べられており、日本の遅れにちょっと笑ってしまいました。
今海外では、ダイバーシティの代わりに「インクルージョン(Inclusion)だ!」と言われています。多様化を指すダイバーシティは多様な人材で組織を構成しようということでしたが、組織内の人材構成だけを変えてもあまり効果がなく、多様な人材をインクルージョン、すなわち「包含しないといけない=活用しないといけない」と分かったから、この流れが起きているのです。インクルージョンはダイバシーティより一歩進んだ考え方です。
最近のボストン・コンサルティング・グループやマッキンゼーが取り上げる話題を見ても、サステナビリティとインクルージョンが中心になってきています。要するに、近代の企業には、環境、社会、ガバナンスの3つを柱にするESG経営をすることが求められるのです。ESGのKPIの中に、女性の比率、マイノリティの比率などのインクルージョン関係の指標が含まれています。それだけ見ると、ダイバーシティと変わり映えしませんがね。
そもそも、多様な人材と言っても2つの側面があります。考え方や経験といった内面的なものと、性別や人種、年齢などの外的なものです。日本は民族の多様性が高くないので、どうしても性別を中心とした議論になりがちで、上記のような「女性活躍促進!」みたいな、インクルージョンの観点からは少し狭い話題になる場合が多いです。
内面的なものをどう考えるか、どう数字で表すかは、難しいですからね。ただ、女性活躍はそれはそれで重要なことだとは思います。2018年にボストン・コンサルティング・グループが行った調査では、女性の割合が多い企業は、少ない企業に比べて収益性が高く、革新的な製品やサービスをより多く開発しているという結果が出ています。
同様に、ハーバード・ビジネス・レビューの研究によると、女性が経営層にいる企業はイノベーションにおいてより成功している可能性が高いと報告されています。ただ、女性のリーダーを単に増やせばいいということではないと容易に想像はできます。インクルージョンで活躍してもらう文化や環境を作る必要があります。
ちなみに、私が働いているグローバル企業のマーケティング組織はいつも90%以上は女性で、会議をするといつも女性に囲まれます。この環境にはもう慣れました。そして、人種はさまざまです。
インクルージョンが大事な3つの理由
なぜインクルージョンが大事かというと、以下の3つの理由が見えてくると思います。それは、「イノベーションのため」「意志決定において人間の偏見を緩和するため」、そして「より良い製品を開発するため」です。
イノベーションの有名な話として、経済学者のヨーゼフ・アロイス・シュンペーター氏は初期の著書『経済発展の理論』において、イノベーションではなく「新結合(neue Kombination)」という言葉をいわゆるイノベーションという意味で使っています。要するに、違った知識を結合して、新しいものやことを生み出すという意味です。
結合するその違った知識同士の距離が遠いほうがイノベーション度合いが高いと言われています。インクルージョンを促進することで、違った知識や経験をもつ多様な人が活躍すると、この「新結合」が生まれる可能性が高くなるということです。上記の女性の割合が多い企業がイノベーションにおいてより成功する可能性が高くなるのも、ここからきていますね。
2つ目の「意志決定において人間の偏見を緩和するため」ですが、われわれが日々行っている意志決定には「認知バイアス」と呼ばれる偏見があります。認知バイアスとは、物事の判断が直感やこれまでの経験に基づく先入観によって非合理的になる心理現象を指します。特定の人、特に声の大きい人の直観だけに頼ると、意志決定の際にリスクが生じるということです。
認知バイアスには、次のようなものがあります。
類似性バイアス
例えば国や出身地、学歴、趣味、性格など、自分に似ている属性に影響されて、好意的に感じてしまう心理状態です。このバイアスがインクルージョンによって一番解消されるかもしれません。
確証バイアス
自身の先入観や意見を肯定するために、それを支持する情報のみを集め、反証する情報は無視または排除する心理作用をいいます。やりがちですね。
アンカーリング
最初に与えられた情報によって最終的な意思決定が左右される心理作用のことです。最初にいかりであるアンカーを下して、そこから離れられないので"アンカーリング"といいます。カルガモが最初に見た生き物を親と思うようなものです。
損失回避
人は無意識に、得することよりも損することを避けようとする心理です。日本企業にありがちな、石橋をたたいても渡らないというやつですね。
インクルージョンによって認知バイアスを軽減できます。多様な考えを持つ人の意見を出し合い、意思決定の適切な選択肢を増やし、最適な決定をするということです。ただ、場面によっては経験をもとにした直観も重要なので、筆者は大事にしています。
インクルージョンでイノベーションを起こすために
製品の開発や改善にもインクルージョンが生かせます。マーケティングの世界には、大家セオドア・レビット氏による「ドリルを買いに来た人が欲しいのは、ドリルではなく"穴"である」という格言があります。ユーザーは用事を済ましたいだけで、そのための道具は何でもいいということです。
しかし、道具を作る側はドリルの最高回転数だとか、ドリルの刃の硬度とか、そういう観点でついつい見てしまいます。もちろん、道具を買う際に感情的なかっこいいデザインの物が欲しいとは思いますが。
インクルージョンをデザイン思考に取り込むことで、多様な人を中心にした体験をデザインし、より幅広い層に道具を買ってもらう可能性が高まるということです。その中には、製品やマニュアルの多国語化、アクセシビリティの対応、各地域の文化に合わせた異なる広告の実施などが入ります。
このように、インクルージョンは大事ですが「言うは易く行うは難し」です。ボストン・コンサルティング・グループの最近のレポートを見ると「ほとんどの企業は、インクルージョンの進捗を確認したり、自信を持って軌道修正したりするのに苦労しています。従業員にとって重要な感情や経験について思い込み、定量的かつ統計的なデータを用いてそれらの感情の要因を特定することを怠り、さらに重要なことに、インクルージョンがビジネスに与える影響を見落としていることです」とあります。みなさん苦労しているということです。
測れないものは改善できないように、インクルージョンの定量的かつ統計的なデータをどうするか、企業文化をどう作り上げるかがカギになりそうです。現在の日本では、人口減の問題とともに外国人の比率が増えているという現状があります。厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所は4月26日、2070年の総人口(外国人を含む)が8700万人に減少し、外国人の比率が10.8%になると発表しました。当たり前の流れです。今後は日本の社会にも一層インクルージョンが求められ、ひょっとするとそれがイノベーション促進につながるのかもしれません。