2025年の「大阪・関西万博」。開催が来年4月と近づいてきました。万博の中身も少しずつ紹介されていますが、レガシー(遺産)についても話にのぼるようになってきていますな。建物や建材についてはリサイクルの話がちらほらでておるようですが、まあ未来のことはちょっとわからないということで、ここでは2005年と1970年という過去に日本で開催された万博の科学技術なレガシーをチョイチョイ拾ってみたく思います。

万博の方が、オリンピック・パラリンピックよりもレガシーあるんじゃないのかな

日本では、2005年の愛・地球博から20年ぶりとなる万博が、半年後に大阪で開催ということで、さすがに報道も増えて参りました。

なにしろオリンピックとならぶ世界規模のイベントでございますし、開催規模も並のイベントとは違って巨大ですから、波及も大きいってことでございます。ってな話をこれまでもこの連載の第232回とか第270回とかでも書いております。

で、繰り返しになるのでサクッというと、万博は世界中の文物を集めて紹介し、また人類がアクセスできる科学技術の紹介の場でもございます。

万博は現在、5年に1回大きなものが開催され、その間にテーマ博覧会が開催されています。が、かつては毎年のように開催されたり、世界大戦などの影響で長く開催があいたりといろいろありました。まがりなりにもほとんど4年ごとに開催され続けたオリンピック・パラリンピックよりも、難易度が高いことがわかりますな。

ただ、オリンピック・パラリンピックは基本スポーツの選手権であり(本当はスポーツと文化の祭典)、開会式、閉会式の演出、話題になった競技と文化、「選手と関係者向けの」競技場や選手村の建物や部材くらいがレガシーとなる感じとなる一方、万博では「来場者向けの」様々な建物と展示、サービスがレガシーとなるのでございます。

2005年万博のレガシー

最近の日本の万博は、2005年に愛知県で開催された愛・地球博でございます。環境万博で森の精という設定のモリゾー・キッコロという公式キャラクターはなかなかに定着しました。大阪のアランジアロンゾさんのデザインですな。いまだにモリゾーたちは見かけることがあり、キャラクターがレガシーになっている感じもいたします。2025年には20周年祭ということで、またまた活躍するようですな。

愛・地球博では、ゴミの分別収集とリサイクルを定着させたといわれています。リサイクルそのものはもっと前からおこなわれていたわけですが、会場に9分類の分別ゴミ箱がならび、これはどこに入れるというのを多くの人が実際に行ったのが大きいですな。

  • 2005年日本国際博覧会(愛・地球博)の跡地

    2005年日本国際博覧会(愛・地球博)の跡地は現在、愛・地球博記念公園になってます

また、スタジオジブリのサツキとメイの家も話題になりました。コンビニのローソン、ミニストップでチケットを事前発券するというのも話題になりました。いまやコンビニでの事前発券は当たり前ですし、ライブのチケットなどでは行われていたのですが、子どもたちが親や祖父母にねだってやってもらうという光景が登場したのが大きいですな。調べてみるとローソンのLoppiは1997~1998年にローソン全店舗に展開されています。Windows 95の登場でインターネットが普及しはじめてはいますが、スマホのiphoneは2007年に登場。あー、愛・地球博はまだ全員ガラケーやったんか(ブラックベリーがとかは置いておいてデスな)。

ちなみにLoppiはつい先日第四世代に置き換わったばかりということで、そういえばこの間サービス券の発行に微妙に戸惑ったのはそういうことだったのか。

海外に行くと、コロナ禍の名残もあり、イベントや博物館はスマホ等での事前予約制のところが多いのです(まあふらっと入れるところも復活してきていますが)。ほぼスマホでという感じなんですが、スマホでなくとも、事前にという流れを作ったのは大きなレガシーだと思いますな。

なお、今ではサツキとメイの家だけでなく、ジブリパークが愛知県の話題のテーマパークになっていますが、愛・地球博がなかったらこの場所にパークということはなかったでしょうね。

その他、思いつくところでは東京・上野の国立科学博物館にある360度シアター360は、愛・地球博の展示物を転用したものですな。その後、オリジナルのコンテンツも作られまたバージョンも変わっているようです。ちなみに、2005年ごろは、デジタルプロジェクターで星空や宇宙を再現するデジタルプラネタリウムが普及し始めたころで、このシアターもその技術の応用でございますな。

1970年万博のレガシー 交通・建造物

さて、大阪の人に「前の万博は?」と聞くと、還暦以上のみなさんは1970年の千里丘陵で行われた日本万博だと答えます。1990年にも花の万博があったのですが、スルーな感じですが、大阪の人はどうなんでしょうか。

1970年万博のレガシーは、会場だった万博記念公園ですな。その入り口には、1970年万博のシンボルだった、「芸術は爆発だ!」の岡本太郎作「太陽の塔」が健在でございます。内部もパビリオンになっていた太陽の塔ですが、複雑な造形はFRPなども活用され、その後の芸術家に素材に関するインパクトを残しました。また、いまだにこれをモチーフにしたあれこれが話題になりますし、通天閣とならんで大阪のシンボルみたいになっていますな。見るためにはわざわざいかなければいけないのですが。公園を分断して走る中国自動車道からなら見られます(名神高速からは微妙に見られない)。

  • 万博記念公園

    1970年の日本万博の跡地は万博記念公園となってます

交通では地下鉄御堂筋線が万博会場近くまで延伸し、それがいまでも大阪の基幹路線になり、最近さらに延伸して郊外のアクセスがよくなりました。また、会場内アクセスのモノレールはいったんなくなったのですが、新たに世界最長クラスのモノレールが大阪の北西にある大阪空港から、万博会場跡の公園を通って、大阪の南東まで、大阪市を取り囲む半環状線みたいに伸びています。知っているとなかなか便利な路線です。

また、いくつかの建物については再利用をされています。鉄鋼館はそのまま万博を記念する展示施設となっています。また万博公園事務所は当時の万博の本部建物を利用し続けていますが、さすがに古くなりまもなく取り壊しとのことです。

またパビリオンの建築技術も競われ、とりわけ富士グループ・パビリオンとアメリカ・パビリオンに使われた巨大なテントドームは、東京ドームに応用されるなどテントが恒久建築になる流れを作りました。

1970年万博のレガシー 展示されたもののインパクト

1970年万博では、様々な展示物が話題になりました。

最大の呼び物はアメリカ館が展示した「月の石」です。アポロ12号が持ち帰ったものをすぐに展示したもので、アポロによる月着陸フィーバー(1969年)の熱気がすぐに見られるというのが良かったのでしょうね(月の石の展示そのものは、先行してあったが、ここまでのフィーバーにはならなかった)。

このころ日本はようやく初めての人工衛星「おおすみ」を成功させたところでしたが、ソ連館も宇宙展示を大々的にしており、これらがあわさって、宇宙への憧れを「リアルなもの」として強く人々の心に刻み込んでいます。その後、日本が宇宙探査や開発で活躍していく後押しになったのは間違いないでしょう。

また、人気だったのは、サンヨー館が展示した「人間洗濯機」です。実際にスタッフが選択されるというデモンストレーションが行われ、水着の女性が目の前にいるというのにウブな少年たちがびっくりしたってな話もあります。まあ発想とネーミングの勝利ですね。サンヨーはその後も洗濯機ではトップランナーだったわけですが、人間洗濯機は普及したとは言えません。医療用や介護用に一部応用されている部分はあるものの、インパクトが残るという展示だったのでしょう。

他に人気としてあげられるのが、日立館のフライトシミュレーターです。これは飛行機の操縦をモニターテレビを見ながら行えるというもので、子供たちに特に人気だったということです。ただ、いわゆるCGを使ったフライトシミュレーターはアメリカのCGの始祖E&S社が1973年に販売したNOVOVIEWが元祖だとされています。日立館のものは、ミニチュアの模型の中に、ビデオカメラを置き、そのカメラを操縦桿の操作で動かすことで、飛行機の動きのように見せたというものでした

フライトシミュレーターは業務用もさることながら、ゲーム等でもいまでも人気です。もしかしたらこの時体験した人たちが「偉い人」になった時にスポンサーになったり、後押しをしたり、いや自ら開発をしたりしたのではないかと妄想します。

また、いまだに語り草になるのは、電信館で展示された「無線電話」です。携帯電話の元祖とも言えるもので、現在実物が東京の武蔵野にあるNTT技術史料館で展示されています。どこからでも、だれにでも話ができる。今では当たり前になっている光景ですが、その光景の夢が1970年万博にはあったのですね。

さらに、この万博では、コンピュータも活躍しました。普通の人がコンピュータを使うようになるのは1970年代後半のマイコン(パソコン)の登場以降です。それまではメインフレームや一部ミニコンなどMPUでなくICを積み上げて作ったコンピュータが活用されました。もちろん会社や官公庁、大学などでないと運用できない代物ですから、みんなコンピュータなんて見たことなかったんですよね。

それが、1970年万博の会場では、アイビーエム館や古河パビリオン(富士通含む)のコンピュータ体験が売り物になりましたし、日立のシミュレーターもコンピュータが介在していたようですし、万博会場全体の情報共有(情報表示システム)にもコンピュータが使われていました。

また、ロボットも話題になりました。手塚治虫さんがアドバイスしたフジパン・パビリオンでは多数のロボットが楽器の演奏などをして「ロボットがある生活」の夢が広がっています。現在、そのロボットは愛知県の児童館で現役活躍中ということですからびっくりですね。メンテナンスとか大変だろうなあ。うちのルンバでもメンテは結構しないとなのに(部品交換くらいですが)。

また、会場には「電気自転車」「電気自動車」が走り、無線で連絡を取り合う人が大勢おり、なにより海外旅行が珍しかった時代に、多くの外国の人がスタッフや来場者としてその辺にいるわけです「金髪の人初めて見た」なんてのを思い出に語る還暦すぎの人も大勢いるわけです。それも広い世界を意識させたのでございましょうな。

しかし、いろんな夢がひろがっていたんだなぁと思うわけですよ。

一方、振り返ると、最新情報はネットで瞬間に入り、世界のあらゆるものがショッピングモールにあふれ、手元のPCやスマホで疑似体験できる世の中、万博でモノをもってこなくても、わかるけどなあーという話もあります。

しかし、モノを含めた環境というか世界というか、それを体験できるのは万博というイベントならですし、実際モノを見ると「思っていたのと違う-」ってなのもあるし「え、そんなものがあるの」というのはあると思いますよ。やはり、万博は行ってみないとねということですな。

また、近づいてくるといろいろ情報があると思うので、ときどき話題にしますね。

では。