今から約170年前の1851年、地球の自転を初めて実験で証明したフーコー振り子。フランスのアマチュア科学者レオン・フーコーが着想、実験しました。そしてそのシンプル&エレガントさに「いや、それだれも思いつかなかったんかい!」と科学者がツッコミをいれまくった実験でございます。

このフーコー振り子が初めて振られた日は、1851年1月8日深夜2時ごろとのことです(1月3日にも実験したがその日は振り子を吊るワイヤーが切れて失敗)。冬の寒いパリで地球の自転が証明された。そんな話をちょっと紹介いたします。

フーコー振り子は、ニューヨークの国連本部にも常設されている実験装置です。長大なワイヤの先に錘になるボールを吊り、どの方向にも自由に振れるように1点で支えます。装置としてはそれだけです。恐ろしくシンプルですな。

  • ニューヨーク国連本部のフーコーの振り子

    ニューヨーク国連本部のフーコーの振り子 (C)UN Photo/BG

そして、ワイヤーがたるまないようにしながら錘のボールを横に引っ張り、そっと離します。

ボールは前後運動をはじめます。そしてしばらく見ると、その運動方向がズレていきます。下の図は、錘のボールの運動方向を矢印(⇔)で、地面をメッシュで表しています。時間がたつとこういう変化があるのでございます。

  • フーコーの振り子

これは、振り子が横に動いていくように見えますが、実際は私たちが立っている振り子の下の地面が、地球の自転で回転していくからですな。

  • フーコーの振り子

振り子の振れる方向は、力が加わらなければ変化しない。「振動面の保存」と物理屋さんがいう現象を、上手に使って、地面の回転=地球の自転を証明したのがフーコー振り子でございます。

ちな、回転のペースは北極点なら24時間で一周。赤道だと変化なし。日本やパリ、ニューヨークなどなら、1/sin(緯度)×24時間になります。たとえば、日本では北緯35度くらいなので42時間くらいになります。

また、南半球と北半球では自転が逆なので、振り子の振れる方向の変化が変わります。南北半球で実験をして向きが変われば「うむ! まちがいない! 証明できておる!!」という話になるわけです。

さて、そういうフーコーの振り子でございますが、最初に実験されたのは、発案者のレオン・フーコーの自宅です。パリのセーヌ左岸のルクサンブール公園の東、アッサス通り近くの地下室がそれでありました。グーグルマップで見ると、その近くの壁にフーコー振り子の記念のレリーフがあることがわかります

フーコー振り子については、Wikipediaが非常に充実しています。早川書房のアミール・D・アクゼル「フーコーの振り子」では着想から一か月ほどの試行錯誤で、ワイヤーがねじれないような工夫をしたすえ、長さ2mのワイヤー重さ5kgの錘を使って実験をしたことが書かれています。

1851年の1月3日に実験してワイヤーが切れて失敗。1月8日に再調整した振り子を使って今度は1時間ほど、天体の日周運動と同じように南にむいて右回りに振り子の振動方向が変化するのを認めたそうです。

しかし、寒いパリの冬。クリスマスと正月を挟んだ時期に、黙々とこの作業していたんですね、フーコーさん。彼は当時は科学雑誌の記者でした。ただ、フーコーの回転鏡による光速度の測定に成功したりしており、特に実験技術がうまく、プロの科学者にも認識されていたのでございます。

で、知遇があったパリ天文台台長のアラゴ(地球の子午線の一周の長さを測定させ、メートル法の礎を築いたことでも有名)に依頼し、公開実験を行います。

今度はリクサンブール公園をはさんで西側の、パリ天文台の子午線ホール(現存します)で10mのワイヤー、5kgの錘で行い、集まった科学者が「おい、なんでこれだれも思いつかなかったんだよ」といわしめることになります。2月3日のことでした。この5kgの錘は今でも、パリの工芸美術館に展示されています。

さらに、その評判を聞いた時の大統領ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)が、パリで最大クラスの施設、ソルボンヌ大学近くのパンテオンのホールを使い、67mのワイヤー、28kgの錘で一般公開実験を行われ、たいそうな話題となったそうです。また、パリ万博でも出展され、これまた話題になりました。以降、パンテオンでは断続的にフーコー振り子の実験が行われています。なお、パンテオンの地下にはキュリー夫妻なども眠っておりますので、サイエンス好きならちょっと行ってみてもよいかと思いますよ。新型コロナがおさまったらね。

また「南半球なら逆になるんじゃね」ということもふくめての検証が多数され、ロンドン、ニューヨーク、もちろん南半球のブエノスアイレスでも、世界各地の科学者によりすぐに追試験が行われます。これにより、フーコー振り子は間違いなく地球の自転を証明しているということが確立しました。

さて、そんなフーコーの振り子のフーコーさん。後に皇帝となるルイ・ナポレオンやフランス天文台長のアラゴなどの後押しもあり、技師としてパリ天文台に雇われます。そして望遠鏡に関する様々な改良や開発をして、天文ファンにも「フーコーテスト」などで名前を知られることになります。また、英国にも行き、憧れのファラデーにあったりしたのですが、なんというかこれほど知られているのに「数学の正式な教育を受けていない」「数学ができない」ということで、アカデミーにもなかなか入れなかったりしたのですな。

いまは、実験と理論は対等なものでございますが、自然哲学の流れをくんだ当時は数学ができないとダメということでフーコーさん、いや、栄誉はいろいろ受けてはいるのですが、当時はイマイチな扱いをされているようで気の毒なのでございます。

170年のそんな時代状況に思いをはせつつこの辺にいたします。