香りは、時に気持ちを動かすこともあります。先日みかけた大正10年生まれの香水のイベントから、化学オンチの東明、すこーし香水にお近づきになりたいと思い、じたばたして楽しんでみました。最終的には、シャネルの5番の話です。

高校の理科で理系に進むならとりあえず学んどけというのが化学でございますな。実際、化学は社会のあらゆるところに登場します。衣食住は化学の関わりがないものはなく、モノの製造はほぼ化学でございます。まさに、どこでもケミストリーです。

なかでも化学がシンプルに、しかし複雑に現れるのが香り・匂いの世界ですな。単一の薬品の分子が鼻に飛び込むだけで、脳みそを複雑に刺激するそれをコントロールするために、人類はまあ長いあいだ格闘し続けているわけです。

ちょっと前には、ゴミの悪臭を別の香料とくみあわせてフルーティな匂いにするなんてのが話題になっていました。シキボウや山本香料のデオマジックですな。匂いは様々な分子が鼻に同時に飛び込むことで感じるわけで、香料でも単独だと悪臭でも、組み合わせてよい香りになるものがあり、悪臭成分だけ抜いた香料を使うことで、悪臭をいい匂いの一部にしちゃうというものです。これはもう匂いハックでございまして、すげーですよね。

さて、最初からいい香りの組み合わせを作るのが香水です。香りが残る時間の短い順に、オー・デ・コロン、オー・ド・トワレ、オー・ド・パルファム、パルファムなどと分かれていますが(オーは「水」の意味ですよー)、なかなか奥がふかく、複数の香水の成分が壊れ、時間がたつと別の香りが優勢になったりするような時間変化までが香水の要素を作っております。この辺は、香水を常用するみなさんは、空気のように当たり前です。が、香水は使わない人は使わないので、最近、香りが変化する柔軟剤なんてのを見て「へぇー」と思ったりするわけでございます。

まあ、香水は目的としてもわずかな時間だけ香りを楽しむものから、身だしなみ的に使うものまで色々です。なお、かつて人口爆発で悪臭が漂っていたパリでそれをごまかすために使っていたなんて話もあるんですが(いや、もっと古代でも香料付けだった時代はあったようですが)、パリの場合それどころじゃない匂いだったそうなので(それに人口爆発というより堆肥を売るため大家がそうしたらしいのですが)どうなのかしらね。

さて、香水の歴史でございますが、溶剤に溶かし込んだ香水は日本香料工業会のWEB解説によると16世紀くらいからだそうです。もちろんもっと古くから香りは利用されております。香りを意味するパフューム(Perfume)は煙という意味ですから、お香的なものからはじまったのでございますな。また、香油はこれまたクレオパトラの時代にはあったわけです。その後9世紀にはイスラム圏でローズウォーターの製造が盛んになります。これはバラの花びらを水で煮だして蒸留して得た水です。ちなみに、蒸留のほかに適当な溶剤につけてしみ出させるとか、絞るとか、まあ香りをとるのは化学実験そのものでございますな。スパイスのような臭み取りもふくめ、香りを求めて世界が動いたのが大航海時代でございますな。

そして、香水でございます。香水のはじまりは15世紀から17世紀にかけてフィレンツェで大富豪になったイタリアのメディチ家から広まったらしいのですが、ミケランジェロやダ・ビンチ、ガリレオのスポンサーだったメディチ家が香水どうやって入手したんじゃい!? という疑問が残ります。まあ、メディチ家は毛織物を染めるために使うミョウバンの生成販売で財を築き、銀行家として大成功をするのですが、そもそもが薬を意味するメディスン、医師のメディックから連想されるように薬学医学関係の一族だったらしく、理系スタートだったのではといわれているようです。ようですって、意外と謎展開だったのね。

さて、香水が登場すると、それに注目したのがフランス南部、コート・ダ・ジュールのグラースの人々でございます。映画祭で有名なカンヌから20kmほど内陸に入ったこの街は、現在も香水の都とされ、国際香水博物館もあるのです。いい香りがするラベンダー、ジャスミンなどの産地として気候があっており、皮革の手袋の匂いを消すために用いられた香水が18世紀から特産となっており、現在もフランスの香水産業の5割、世界の1割がこの都市に集中しているそうです。作るのは花をベースにした天然香料ですな。

ところでチョイと話は横道にそれますが、気球を発明したモンゴルフィエがいたアノネーも南仏、今回のグラースも南仏、先日興奮したeVscopeを開発したUnistellar社も南仏マルセイユです。パリにばっかり目がいっちゃいがちなフランスですが、南仏もなかなかどうしてでございますな。

さて香水がフランスに到着し、グラース市が香水の都となったところで、ようやくサイエンスに立ち戻ります。

香水の銘柄、一つあげるとしたらなんですか? ドルチェ&ガッバーナ? いやちがうでしょ、シャネルの5番ではありますまいか。そう、伝説的な女優マリリン・モンローが、「寝る時に着けるもの? シャネルの5番を少しね」。というコメントでも有名でございますな。

このシャネルの5番は今年が100周年ということでシャネルがイベントをしています。そう、100年も続いているんですな。シャネルの5番は、1921年(大正10年!)にシャネルブランドの最初の香水として登場しています。5番目じゃないのです。そして、このイベントイメージが「工場で生産される」様子なのでございますな。これはシャネルの5番という香水の出自にマッチしたイメージでございます。

で、シャネルの5番です。今でもシャネルのブティックでメインの香水の一つとして売られています。時代が変わり、人々の生活も変わっているのに、変わらないというのはそりゃ、相当なものでございます。ただ、これは「皆になじみやすい」からではなく「革命的な化学工業の産物」だったからというと意外でございますな。

シャネルの5番はエルネスト・ボー(Ernest Beaux)というロシア系フランス人が開発しました。知人を通じてシャネルブティックの主人、ココ・シャネルから依頼を受け作成した10サンプルのうちの5番で、シャネルが5が好きだから採用されたという逸話があります。

さて、シャネルのオーダーは「普通(貴族などではなく)の女性がつける香水」でした。そのためにボーが使ったのは、当時登場したばかりの合成香料アルデヒドC11で、彼が前作ラレの1番(chanel no.5 (review).pdf (yamagata-u.ac.jp))の使用より一桁多く配合したのでございます。アルデヒド系は、バニリン、ムスクなど人工香料になる化合物がいろいろありますが、おおむね獣臭で「お父さんの枕の匂い」と評する人もいるそうです。ところが、これを微量(1/1000とか)入れると、シャープで爽やかに香水全体を引き立たせることができるんですな。合成香料を効果的に使ったことで、従来にはないタイプの香水になったのがシャネルの5番というわけです。まあ大部分はジャスミンなどなんですが、ともかく工場で作られた成分が主役の一つなんですな。

ということで、以降はこれのマネが登場するのですが、なにしろ香水はシャネルの5番以前と以降に分かれるという話もあるくらい(たしかマイナビ出版の香水図鑑に載っていたと記憶しているのですがどっかいっちゃった。実は香水について網羅的な本はほかにあんまりない)です。シャネルの5番は、フローラル・アルデヒドという香水のジャンルを作った革命的な香水だったのです。

ということでシャネルの5番が思ったよりずっとサイエンスで、ずっとすごかったというお話でございました。しかし1921(大正10)年か。はああ。びっくり。