前回は、産業基盤の維持に必須となる需要の確保と対外輸出、それに絡んで我が国ならではの制約要因となる武器輸出三原則等について言及した。今回は、その武器輸出三原則等の問題について、もうちょっと突っ込んで考えてみよう。
日本は本当に「武器輸出をしていない」と言えるのか?
「武器輸出三原則等があるのだから、日本は武器輸出をしていない平和国家であり、これは守り続けなければならない」という主張がある。この主張の是非あるいは武器輸出三原則等の存在が日本の安全、世界の平和をもたらしているかどうかも議論する必要がある思うが、それは本連載の趣旨から外れるので措いておくとして。
実のところ、「日本は武器輸出をしていない平和国家」という点からして怪しい。というのは、本連載の第20~23回で取り上げたCOTS(Commercial-Off-The-Shelf)化の問題があり、民生品として輸出したものが軍事転用される事例が相次いでいるからだ。
なるほど、「武器」と名のつくものは輸出していないにしても、「武器としても利用可能な民生品」なら輸出事例はたくさんある。本連載の第20回で取り上げた「タフブック」が近年の顕著な事例だが、双方の陣営がトヨタ製のピックアップトラックや四輪駆動車を活用したことから "TOYOTA War" と呼ばれたチャド内戦のような事例もある。
では、輸出を解禁してもよいのか?
「実質的に形骸化している部分もあるのだから、いっそのこと武器輸出三原則等なんて止めてしまえ」という人が出てくるかもしれない。さらにエスカレートして、「家電製品や自動車と同様、日本のハイテクを駆使した最新兵器なら他国にもどんどん売れるに違いない」とおめでたいことを言う人までいる。しかし、その考えはとてつもなく甘い。
何だかんだいっても、冷戦構造崩壊後の武器輸出市場は基本的に「買い手市場」である。買い手の立場が強いので、売り手はオフセット(第3回を参照)、技術移転、相手国への投資など、さまざまな優遇条件を持ち出し、国のトップが先頭に立ってセールスを展開して、それでもなかなか受注に結びつかないことが多い。しかもその一方で、性能的にはたいしたことないが、低価格で相手を選ばないことを武器にして攻勢をかけてくる新興武器輸出国もある。正に板挟みだ。
そんなところに、実戦経験も実戦での実績もない(それ自体は幸福なことなのだが)日本のメーカーが参入して、「技術的に優れているから」といってパッと売れるほど、この市場は甘くない。ちょっと乱暴なことを言ってしまえば、武器輸出三原則等を廃止したところで、それほど変化は起きないのではないか、と思うぐらいだ。
輸出を解禁するにしても、それによって日本という国の評価が下がるような形では問題がある。有体に言えば「買ってくれるなら相手構わず、国連が輸出を禁止していようが気にしない」という某国みたいなことをすれば、評価が地に墜ちるのは間違いない。また、国家ではなく非国家主体、つまり反政府ゲリラ組織とか国際テロ組織とか、そうしたところに武器をバンバン売ってしまう某国のようなことをしても同じことになる。それはダメだ。
つまり、「輸出しても競争力を発揮できるようなもの」で、かつ「輸出する相手を選ぶ」という形でなければ、国益にかなうような武器輸出にはならない。これは日本に限らず他国でも同じことだ。だから、米国ではFMS(Foreign Military Sales)などの枠組みを使った武器輸出の際に議会に通告して、議会が「これは米国にとってマイナスである」と判断した場合には輸出を阻止できる仕組みを作っている(第16回を参照)。
また、武器輸出を行うのであれば、武器輸出管理制度を整備するのは必須の作業である。売っていいものと悪いもの、売っていい相手と悪い相手を峻別して、国益を損ねないようにすること。そして、武器輸出が結果として世界情勢に悪い影響をもたらさないこと。こうした制度の整備は必然である(第17回を参照)。しかし、その一方では前述したように輸出によって仕事を確保しなければならないという命題もあるので、両者の板挟みになって苦労する例は少なくない(第18回を参照)。
反対に、買い手の側からすれば、「そうした制約をかいくぐってでも欲しいものを手に入れなければならない」と必死になることもある(第19回を参照)。
こんな複雑怪奇で魑魅魍魎がうごめく世界にいきなり参入して、「技術的に優れているから勝てる」なんて考えるのは、ちとおめでたすぎると言わざるを得ない。しかも、動くおカネが巨額で政治との関わりも必然なだけに、時には汚職疑惑に巻き込まれてスッタモンダする事態にもなる。