そもそも、どうして装備を国産化するのか?
そもそも、どうして装備を国産化するのか?――この話を始めると、「そもそも軍備なんていらない、防衛産業も不要!」と主張する人が出てくるのはお約束だが、本連載の趣旨から逸脱するので措いておく。そこまで極端でなくても、「すでに実績がある海外メーカーの製品を輸入すればいい」という主張もあり、まだしもこちらのほうが議論の俎上に載せられる。
工業製品は基本的に「たくさん作るほうが安くなる」という傾向があるから、多くの国に対して大量に生産・販売している製品のほうがイニシャルコストを抑えやすい。もっとも、その後の維持・整備・補修に費用がかかることもあるので、ライフサイクルコストという話になると、そう単純には割り切れない。
しかし、そうしたコスト面の問題もさることながら、国産化を主張するのには別の理由がある。それは「いざという時にモノが手に入らないのでは国防の役に立たない」という点に尽きるだろう。本連載の第37回で取り上げたイランのように、政変や外交関係の変化が原因でパーツの入手が滞り、せっかく輸入した戦闘機が飛べなくなってしまった例があるので、この主張にも説得力はある。
さらに、「他国の製品では我が国の国情に合わないので、自国の国情に合ったものを自力で開発・製造しなければならない」という理屈もある。これにも一理あるが、後になって別の問題を引き起こす場合も出てくる。それについては後述しよう。
また、日本にはあまり関係ない話だが、国によっては防衛産業を工業化、あるいはハイテク産業育成の牽引車と位置付けている場合もある。この場合、自国向けの需要のみならず、対外輸出によって外貨を稼ぐところまで視野に入れているのが通例だ。最近になって勢力を伸ばしてきている新興武器輸出国は、大抵このパターンに該当する。
そんなこんなの事情により、「防衛産業基盤は国家の存率に不可欠だから維持すべき」という議論が出てくることになる。
産業基盤維持には需要が必要
いずれにしても、本連載の第34回で取り上げたように、いったん立ち上げた産業基盤を維持するには継続的にしかもソロバンが合う水準で、需要を確保し続ける必要がある。自国だけで十分な需要を確保できるのであればよいが、それができなければ外国への輸出によって需要を確保するしかない。何も防衛産業に限らず、どこの産業でも同じことだ。本連載の第14回で取り上げたように、ヨーロッパのメーカーが次々にアメリカ市場への進出を目指したのも、同じ理由による。
ところが、そこで問題が出てくる。最初から輸出向けの商品として開発したものであればともかく、自国の需要に合わせて開発・製造したものを後から輸出商品に仕立てようとすると話が違う。当初に「他国の製品では自国の国情に合わない」といって自力開発したモノは、他国の国情に合わないという話につながる。したがって、輸出商品としての商品性が低くなり、結果として買い手が付かないことになりやすい。そうした例の典型としては、スウェーデンのサーブ37ビゲン戦闘機が挙げられそうだ。
反対に、最初から輸出向け商品と割り切り、顧客の要望に応じるためにカスタマイズの余地を広く持たせた例もある。これは艦艇の分野において顕著な傾向で、古くはドイツのMEKOフリゲート、近年ではフランスのゴウィンド型コルベットなどがそうだ。「さまざまなサイズの船体を用意して、搭載する兵装もお好み次第」というわけだ。何だかBTOパソコンみたいだが、考え方は似ている。そうやって輸出需要を確保することで、メーカーの仕事を確保している。
フランスの艦艇メーカー・DCNSのWebサイト。輸出用に開発したゴウィンド型コルベットを取り上げているページで、「運用・整備が容易」「さまざまな任務に対応可能」「ヘリコプターや無人機の運用も可能」「艦橋からの視界は良好」などとアピールしている。まるで家電製品のカタログみたいだ |
では、「日本の防衛関連企業で同じことができるか?」となった時に出てくるのが、例の「武器輸出三原則等」による縛りである。当初のコンセプトと比べても厳格に運用されていることから、結果として「輸出は原則としてまかりならぬ」と解されているのが実情だろう。
だからこそ、アメリカと弾道ミサイル防衛システムの共同開発を行う場合は、わざわざ例外と位置付ける必要があった。日本が開発に関わったコンポーネントが米国のミサイル防衛システムに組み込まれれば、それはやはり「輸出」という形になってしまうためだ。米国に限らず、他国との共同開発・共同生産に関われば、同じ問題が起きる。