続・ステップ9 - メンタリングスキルの応用
メンターの変化
山崎はまず、田中の緊張感をほぐすことに努め、「今日のランチはどこで食べ、どうだった」とか、当たり障りのない話題でスタートした。
その後、今日の予定を提案し、田中の了承を得てから質問リストを使って質問を始めた。なぜ、田中の了承が必要なのか? それは、メンタリングプロセスはお互いに対等なパートナーであるという関係を維持することが大事なので、一方的ではなく、必ず確認/了承を得ながら進めることが大事だからである。
質問によっては答えにくいものもあるようで、その場合は、例を挙げたり、質問のしかたを変えたりして、田中にともかく話させるように努めた。最初はどうしても、田中の言ったことに対し、自分の意見や経験を話したくてうずうずしてしまうため、質問だけに専念することが難しかった。が、メモをしながら聴いているうちに、準備していなかった質問をして確認をしたり、必要な情報を得たりすることができるようになった。また「聴く」ことに専念していると、自然に質問が沸いてくる。それに質問のしかたによって、田中ののめりこみ度が違う。山崎は、だんだんと「どのような質問をすれば、田中が○○について考えるだろうか」「どの段階でこの質問をしたら、自分の弱みについて田中自身が気付くだろうか」「この質問は今ではなく、もう少し田中の反応を見てからの方がいいかもしれない」と、試行錯誤で実践しているうちに、質問をすることが楽しくなってきた。
「質問すること」と「聴くこと」の意味がわかってくると、「これはガールフレンドとの関係にも使えるな」と思い始めた。田中の話を聴いているうちに、「へえー」と思うことが何度もあり、自分がもっていた印象の田中とは違う側面が見え始め、「コイツ、なかなか面白い発想をもっているんだな」と田中を見直し始めた。
あっという間に2時間が過ぎ、次のセッションの日時を設定してから、田中に準備しておいたメンティー用「自己開発計画表」を次回までに書いておくように頼んだ。次のセッションでは田中の目標達成のための具体的な行動計画について話し合うことを提案し、田中から同意を得た。
メンティーの変化
田中もはじめは、今まであまり考えもしなかったことを山崎に聞かれるので、答え方がわからなかったり、考えがまとまらないので、しばらく沈黙したりということもあったが、山崎が言葉を変えて質問してくれるので、「自分が本当にしたいことは何か」「どのようにすればそれができるようになるのか」「今できないのは自分に何が足りないからなのか」といったことが、誰かに言われたからではなく、自分の中でだんだんとはっきりしてきた。
今まで「何のために働いているのか」などと、あらためて考えたことがなかった。ただ、大学の就職活動を通して、給料と処遇を考慮した結果、たまたま今の会社に決まったというだけである。別に仕事を通して自分の夢実現とか、社会への貢献なんて考えたこともなかった。
上司の山崎がしどろもどろだが一生懸命に質問しようとしている姿を見て、最初は滑稽に思ったが、だんだんとこちらも真剣に答えるようになっていた。命令調ではなく、自分を抑えて対等の立場で話そうと努力している山崎に対し、少しずつ感謝の気持ちも出てきた。また、この質問に答えている過程で、自分の弱いところばかりではなく、強みも少しわかり始めた。山崎が何度か褒めてくれたおかげで「へえ、こんなことが自分のいいところなのか」と、知らなかった自分に気付き、悪い気持ちはしなかった。
田中は今回のセッションで、今まで使っていなかった脳の部分を刺激された感じがした。最初は「お説教じみたことを延々とやられるのかも」と思い、やる気がまったくなかったが、終わった今は、次のセッションが楽しみになった。
最初に覚えたいメンタリングスキル
このセッションがお互いに前向きな形で終了することができたのは、山崎が次のようなスキルを使ってみたからである。
コーチングスキル
- 適切な質問をし、田中が自分の目標を明確化できるようにする
- 自分が聞いたことをまとめて確認をとるための質問をする
- ポジティブなフィードバックを与え励ます
田中が答えたことの内容、話し方、考え方の中から田中の強み、長所として気づいたことを伝える - 田中に建設的なフィードバックを与える
田中のゴール達成にとってどうしても大事だと思うことのみを選んで伝える。向上してほしいと願うがゆえに、あれもこれもと挙げすぎるケースがあるが、焦点がぼけると、本人のためにと思って話したとしても、肝心の本人にとっては「お説教」以外の何ものでもない形で終わってしまうことがよくあるので気をつける必要がある。前向きなフィードバックと建設的なフィードバックの割合は、5 - 1か6 - 1がいいと言われている。
傾聴
このセッションはまだメンタリングプロセスが始まったばかりの段階なので、自分の意見はできるだけ控えるようにする姿勢が大事である。聴いてあげることによって、メンティーは誰のことでもない自分自身のことについて話しているという自覚ができ、それが自律した行動につながっていくからである。どうしても言っておくほうがいいと思ったときは、全部聴き終わってから、最後に「提案してもいいかな?」と訊いてから「自分は○○だと思うが、君はこれについてどう思う?」という言い方を心がける。
メンタリングは「お説教」ではない。メンターが自分の意見を滔々と話し出すなんてもってのほかである。メンティーにいかに自分から話をさせるか、それがメンターの重要な役割である。 |
(イラスト ナバタメ・カズタカ)