ステップ5 - メンターとしての心得とエチケット

メンタリングは、上司としてただ仕事を教えるプロセスではない。メンティーが自分のビジョン(夢、やりたいこと、なりたい姿、etc…)を明確にし、実現に対して何が必要かを把握できるように手助けしていくプロセスである。山崎のチャレンジは、上司部下の関係(管理する立場上、命令が通用する)から、メンターとメンティーというパートナー関係で付き合っていくことである(メンティーは自分の抱えている問題などを直属の上司に話すのはなかなか難しいため、通常は、自分とは直接に利害関係のない人物がメンターを担当する場合が多い)。

したがって、メンターは次のことに留意することが重要である。

  • 上司としての権力、権威を使って命令しない。命令ではなく、質問を通して必要な情報を得たり、気づきを与えたりしながら、メンティーが自律的に行動に移していけるようにする
  • 一生懸命に傾聴してあげる。自分の考えややり方について話をする前に、メンティーの考えややり方を興味をもってよく聴いてあげる。自分の経験から「くだらない」と思うことでも、まず、メンティーの話をよく聴くこと
  • 自分の考えを押し付けない。自分のアドバイス、提案に対してすべて従う必要はないことを前もって伝えておく
  • お互いに決めた時間は尊重する
  • 自分をオープンにする。自分自身も「常に学習者」であることを忘れず、固定観念にとらわれることなく、新しい見方に対して自分自身をオープンにしておく
  • 人の成長には時間がかかることを肝に銘じる
  • メンティーとの1対1のミーティング以外のとき、たとえばふだんの職場でも自分がメンティーのモデルとなっていることを忘れず、言動に気をつける
  • 自律性とやる気は、説教ではなく質問を通して引き出す。メンティーの幸せを実現するパートナーとして相談に乗ってあげるようにし、このような過程を通してメンティーの「幸せ感」を醸成させる
  • メンティーの幸せ感と会社の価値創造が結びつく部分を、質問を通して探す手伝いをする
  • 話し合いの内容によっては私的な部分に及ぶ場合があるので、お互いに承諾なく、話の内容を他言しない

上記のメンターとしての心得は山崎にとってかなり高いハードルで、「こんなこと今の自分にできるのかな」とまた心配になってきた。しかし、「これは心得だから、自分自身が意識しているだけでも違うかも」と思い直すことにした。

この時点で大事なポイントは、「自分にできるかどうか」ではなく「自分にやる気があるかどうか」である。

ステップ6 - 田中との1対1の最初のミーティングを設定し、メンタリングをスタートする

思い直した山崎は、ともかく田中と1対1で話をする場を設定することにした。できるだけ早くスタートするほうがいいので、さっそく今日から始めることにした。とは言っても、突然に2時間もの時間を取るのはどうかと思い、今日は15分ぐらいにして、以下の2点だけに注力することにした。

  • 話しの切り出し方としては、以前に考えていたように、ともかく正直に「メンターとして育成をすることが今の自分の役割であること」「自分にはメンターとしての経験があまりないこと」「田中に成長してほしいと願っていること」「自分も成長したいと願っていること」「お互いにパートナーとしてやっていきたいこと」を感情をいれずに伝えることにした。そして、このことに対して、田中の同意を得ること。
  • その後、自分が勉強したメンタリングのプロセスと心得について共有し、1年間のメンタリング期間に対して自分もコミットすることにしたが、田中のコミットメントも大事であることを告げ、田中からメンティーとしてのコミットメントをとること。

午後、山崎は田中と会って、自分の計画したことを実行に移してみた。しかし「ヨーシ」という山崎の勢いとは裏腹に、田中は、ただ「はい、はい」と、わかっているのかわかっていないのか気のない返事をするばかりである。ふだんからあまり反応がない田中なので、ある程度覚悟はしていたものの、やはり、自分がこれだけ一生懸命にやってあげているのにと思うと少し腹が立ってきた。

しかし、昨日読んだ心得の「人の育成には時間がかかること」を思い出し、これもプロセスのひとつであることに気づいた。「田中のために自分がどれだけやってあげているかを理解しているかどうかは、今の段階で大事なことなのだろうか?」と自分に質問してみた。ここで山崎が自分の感情に囚われず、何が大事なのかを自分自身に質問するという行動ができたということは、ステップ3&4で学んだ「自分のビジョン実現に何が必要かを把握するスキル」を、山崎が使い始めたということである。その結果、「ここで大事なのは、メンタリングのプロセスについて共有し、田中のコミットメントをとっておくこと」で、「人の立場を理解できるような田中であれば、メンタリングなんて必要ないんだ」と思い直すと、田中に対する腹立ちの気持ちは薄れ、メンタリングプロセスにエネルギーをシフトできた。山崎は最後に、次のミーティングは明日の午後4時から1時間半ぐらいやりたいことを告げた。

山崎は帰りの電車の中で、「あいつ、はいはいと気のない返事ばかりしていたが、本当にわかっているのかな」とまた心配になってきた。が、同時に、気のない返事ばかりが来たということは、自分が田中に「Yes/No」の回答を求めるような質問だけをしていたということに気づいた。心得の中に、「傾聴する」とか「質問を通し、気づきを通して」という内容があったことを思い出した。読んだときはわかった気になっていたが、実際に行動に移していなかったのである。知らぬ間にやはり、上司としての口調で話をし、田中が自分の考えや気持ちを話すように仕向ける質問をしていなかったのである。「では、どんな質問をすれば、田中がもっと自分の考えを話すようになるのだろう?」- 山崎は、質問の仕方を考えるなんて面倒くさいな、という気持ちと同時に、コーチングスキルの必要性に気づきはじめていた。

上司が部下のメンターになると「お前のためにここまでやってあげているんだぞ」という状況になりがち。メンタリングは、メンターとメンティーが対等のパートナーであり、メンティーとともに成長するプロセスだということを心に留めておきたい

(イラスト ナバタメ・カズタカ)