今日は最後のコーチングセッションである。佐々木はついに今日が最後かと思うと、少し不安を感じていた。今までは、何かあればいつでも山下に相談できるという安心感があったが、これからは自分で処理していかなければならないからである。オープンに話のできる人間が自分の周りにはいないこと、家族では自分の相談相手にはならないことを考えていた。また、今日はこれまでの評価を行う日だと山下から聞いていたので、まだパワハラ度が高いのではないかという心配もあった。このように佐々木は、不安な気持ちと、何とか最後までやったという達成感の思いとが入り混じった気持ちで、最後のセッションに出た。
山下は、挨拶の後、さっそく準備した評価表を使って、佐々木がコーチング開始当事に設定した目標と、最近佐々木が設定した「これからの具体的な行動目標」を佐々木に示し、比較しながら目標の変化を明示した。その後、山下が評価項目ごとに質問し、それに対して佐々木が口答で評価した。評価表は佐々木の向上度を明確化するためのものであるが、結果は佐々木の想像していたものとは相反して、平均が4.0以上であった。平均最高が5であるから、佐々木は、自分がどれだけ向上したのかに不安を感じていただけに、この結果を山下の口からきくと、安心感と同時に自信が出てきた。この評価のプロセスの中で、山下は、パワハラに関することだけではなく、「リーダー」としての向上度も指摘してくれた。特に最後の質問事項では、「これからの上司に必要なリーダーシップ」とつながっていることを強調してくれたので、今後のリーダーとしての方向性もつかめてきた。
最後に、山下は、3つの質問をした。
「今後、どのようなリーダーになりたいと思われますか?」
この質問に対して佐々木は、評価表にある「お互いを尊重する」「信頼関係を大事にする」「オープンである」「正直である」「部下が働きたい環境を造る」を実践できるようなリーダーになりたいと答えた。表面的な言葉づらではなく、パワハラを行っていた自分の行動をシフトしていく上で、心から「こうあるべき」と思ったからである。
「佐々木さんが明らかにパワハラを行っていたと気づかれた部下の方々に対して、謝罪をする心準備ができましたか?」
この質問に対して、佐々木は即回答できなかった。謝罪したいという気持ちは出てきているが、加賀や女性社員の顔を思い浮かべると、「どうやって?」と悩んでしまう。山下は、佐々木の気持ちを察してか、次のように激励してくれた。「自分が間違っていたと認めて謝罪することは、とても勇気のいることです。でも、自分が真に相手を傷つけていたと気づいたなら、謝罪することは、相手にとっても自分にとっても、お互いの新しい関係を築いていく上で大事なけじめになります。行動を通して相手に対し済まない気持ちを伝えることもできますが、口ではっきりと伝えることも大事です。相手も、佐々木さんが謝罪することの大変さをよくわかってくれると思います。これもひとつのリーダーシップです。大きなハードルだと思いますが、ぜひやってみてください。このハードルを飛び越えると、高く感じていたハードルが意外に次から次へと楽に飛べるようになると思います。佐々木さん、頑張ってください。応援していますから…」
「今後の佐々木さんのリーダーとしての成長をサポートしてくださる方がいらっしゃいますか?」
この質問にも佐々木は答えられなかった。今日、自分がこのセッションに出る前に不安に感じていたことと関係していたので、山下がどう対応するのか関心があった。山下は、支援者として佐々木の上司である伊東本部長の名前を挙げた。佐々木は、最初は「本部長に相談するなんて…」と思ったが、山下は「伊東さんはこのプログラムの推進者で、よく理解してくださっています。私の方からも今後のサポートをお願いしておきますので、佐々木さんからも一言お伝えください。特に、佐々木さんの今後のリーダー像を共有してお願いされると、伊東さんはきっと喜んでサポートしてくださると思います。もちろん、今後も私のほうにご連絡くださることは、問題ございませんが、社内にどなたか成長をサポートしてくださる方がいるかどうかは大事なことです。」
山下は、佐々木に、最後までセッションを続けてくれたことに感謝し、佐々木も山下の一環して忍耐強く傾聴してくれたことに感謝の意を述べ、最後のセッションは終了した。
以下、今回の佐々木のようなパワハラ上司をコーチングする上で山下が行った大事なポイントをまとめておく。
1. 佐々木の抵抗を把握する
- 「自分がパワハラ上司である」事実を受け入れることへの抵抗
- コーチングを受けることへの抵抗
- 女性のコーチにつけられたことへの抵抗
2. 佐々木の抵抗を受け止める
「抵抗」に「抵抗」するために力でものをいわせるような理屈の押し付けは効がない。この段階のコーチングで「説得」「説教」はタブーである。
3. 佐々木という人間をそのまま受け入れる
山下の仕事は、「パワハラに関して佐々木が行動を変える」ことをサポートすることで、「佐々木の人格を変える」ことではない。常に相手に対して人として敬意を払って対応することが、コーチとしての基本姿勢である。
4. 「私は佐々木さんのためのコーチですよ」というメッセージを温かく投げ続ける
山下は、感情や自分の意見をいれずに佐々木の言うことをともかく「聴く」ということに専心し、佐々木の信頼を得、佐々木の心をオープンにする。
5. 一方的に進まずに、共通理解をしているかどうかを確認しながら進める
6.「パワハラに対してどう対応するか」という今後の具体的な行動計画は佐々木本人の口から引き出すようにする
あせって「こうあるべき」という講義をしないこと。
7. 小さな変化も見逃さない
コーチングによる効果というのは目に見えないものなので、たとえ小さなことであっても、本人が向上しようと努力していることを認め、前進していることを伝えてあげる。
8. リーダーとしての自覚を促す
「パワハラ上司」に関するコーチングは、ただ単にパワハラをやっていたことに気づかせ、やったことに対して罪滅ぼしをさせ、今後はやらないように指導することではない。「ボス」から「リーダー」へと成長するよう導くのも大事な仕事である。
9. 期間内の成長を測る評価表を作成する
今回、山下は佐々木がどれだけ成長したかがわかるような評価表を作成することにした。佐々木自身が自分の成長を評価することも大事であるが、佐々木自身では気づかない点をプロとして指摘してあげることも、最後のコーチングセッションでは大事である。
10.「リーダーとして今後どう成長すべきか」まで触れる
- 佐々木が今後リーダーとして成長していくうえでの方向性を示す
- 佐々木の成長をサポートする環境の設定の手伝いをする
(この項、終わり)
実りあるコーチング期間だったとはいえ、いつまでもコーチはそばにいてくれない。ひとりよがりの管理職にならないためにも、社内に協力者を見つけておくことは大切である |
(イラスト ナバタメ・カズタカ)