山下は、佐々木の話を聴きながら、佐々木の口から今後の具体的な行動計画が出てきたので、この辺で一度まとめておくことにした。ある程度キーとなる行動項目が出てきたときは、タイミングを見計らって、相手と確認をとりながら、行動項目を明確化するというのが、山下のやり方である。コーチングの場合は、会社の会議のように、ホワイトボードを使って議事録をとっていくようなやり方はしないので、タイミングを見計らってまとめておかないと、後で、相手は自分が何を言ったか忘れてしまうことがよくあるからである。コーチである山下も、佐々木の口から出た言葉を使って確認をとることで、自分の意見/考え方を一方的に相手に押し付けることを避けることができるので、時間がかかっても「確認」というステップを忘れないようにこころがけている。

山下は、佐々木が加賀に対してやろうとしていることを、コーチとしての自分のコメントも追加して、次のようにまとめて佐々木に確認した。

  1. 加賀さんにもっと話しかけるようにし、加賀さんの様子を知るようにする
  2. 人前で大声で怒鳴ることはやめる
  3. 話相手の気持ちを尊重する(こちらが下手に出る必要はない)
  4. 相手に自分の気持ちをきっちりと伝える

佐々木は、山下がまとめたものを聴きながら、「加賀だけではなく、他の部下にもやってみるといいかな」と心の中で思っていた。そこで、佐々木は加賀だけでなく、他の部下に対しての行動計画としても実行に移していこうと決めて山下に話した。

佐々木: 今、山下さんがまとめてくださったことは、加賀だけではなく、部下全体に対して実行していこうと思います。他の部下に対しても、自分では気づかずにパワハラをやっていたように思いますから。

この一言は、実は山下が待っていた言葉であった。山下はこのコーチングを引き受ける前に、佐々木の上司である伊東から、「佐々木を訴えることを考えているというのは、女性社員らしい」と内密に聞かされていたからである。佐々木にはこのことについては言えないので、ようやく加賀に対しての行動計画が具体化してきた今、いかにして、この女性社員について話をつなげようかと考えていた矢先であった。

山下: それは、おっしゃる通りですね。部下の皆さんも、きっと感謝されると思いますよ。先ほど、他の部下にも気づかずにパワハラをやっていたかもしれないとおっしゃっていましたが、何か思い当たることが…?

佐々木: そう、パートで雇っている女の子がいるんですが、どうも自分を避けているように思うんですよ。廊下で顔を合わせてもわざとそっぽを向いたりして、下を見たまま挨拶もまともにしないで通り過ぎることがよくあるので、近頃の若い子は行儀も躾もなってないと、気分を害していたことがあったんですよ。

山下: 佐々木さんのほうから、その女性社員に何かパワハラに関係するようなことをおっしゃったりしたのですか?

佐々木: そうですね。入社してまもないころに、「上司にはきちんと顔を上げて挨拶をするもんだよ。おしゃればかり気にして、挨拶もろくにできないでどうする」と廊下で叱ってしまったんですよ。

山下: 佐々木さんの行動計画の2番に当たることですね。最初からこの女性社員はわざとそっぽを向いていたりしたのですか? 誰でもやはり、このような態度をとられるといい気分ではありませんよね。

佐々木: いえいえ、最初からではなかったんです。最初は、顔を合わせたときに下を向いたまま小さい声で頭をチョコッと下げ、形ばかりの挨拶をしたんで、ムカついてさっき言ったように叱ったんです。叱ったから次の日から直るかと思ったら、違うんですよね。よけいに無口になってしまったんです。それでこちらも腹が立って、「挨拶ぐらいしっかりしろ! ろくに仕事もできないくせに」なんて口を滑らせてしまったんです。実際、入社して間もなかったせいか、何をやらせてものろく、仕事のミスが多かったもので、ついそんな言葉が出てしまったんですが。そのうちに、廊下で顔を合わせても挨拶どころか、顔を合わせるのを避けるようにして、下を向いたまま逃げるように早足で通り過ぎたりするようになったんです。

山下: 今、その女性社員の方は佐々木さんに挨拶されていますか?

佐々木: 今朝も、彼女に仕事を頼むことがあったので呼び出したんですが、無言で頭を下げるような挨拶はしましたが、最小限しか話していませんでしたね。いちおう私にはちゃんと敬語は使ってはいるんですが、視線が合うのを避けているようです。以前でしたら、「わかっているのかいないのか、きちんと返事ぐらいしろよな」と言っていたのですが、今朝は加賀のことで自分なりに意識しはじめていたので、自分を抑えてビジネスライクに普通に話をして終えることができました。

山下: ご自分の行動を意識され始めたとのこと、素晴らしいですね。この女性社員に対して、佐々木さんは今後どのように対応していこうと考えていらっしゃいますか?

山下は、佐々木が自分を行動を意識し始めたという、佐々木の一言を見逃さずに、そのことについて触れてから、話を進めている。コーチングによる効果というのは目に見えないものなので、このように、たとえ小さなことであっても、本人が向上しようと努力していることを認めてあげて、前進していることを伝えてあげることは大事である。

自分の過去のあやまちを認めるというのは、けっこう辛い作業でもある。その行いがどんなにひどいものだったとしても、コーチは自分の行動を振り返ろうとしているコーチーを前向きに支援してあげることが肝要である

(イラスト ナバタメ・カズタカ)