パワハラ加害者の現状分析

山下は、2回目のセッションで、診断結果に対する佐々木の気持ちを引き出し、佐々木の目標を設定することができた。佐々木は、2回目のセッションの最後に、コーチングセッションの目標を次のようにまとめた。

コーチングセッションの目標

精神的に弱くうつ病になったり、突然の休暇をちょくちょく取ったりする部下、長続きせず辞めてしまうパートの部下がいたが、このことと「パワハラ」がどう関係しているのかを究明する。このような部下に対する対応策としてメンタルタフネスの研修を考えているが、ほかにどのような対応策があるのかを知り、検討してから、上司としてとるべき行動に移す。

まだこの段階では、佐々木は「自分がパワハラ上司」とは認めたくない気持ちの方が強いので、山下は「パワハラに対してどう対応するか」というような具体的な話題は避けている。したがって、佐々木の目標が具体性に欠けていても不思議ではないと捉えている。山下は「佐々木さんの目標の後半部は、今はまだ具体性に欠けるが、おそらく将来はもっと具体化されたコミットメントが出るはず」と期待している。

山下は、2回目のセッションで収集した情報をもとに、パワハラに関する事実とそれに対する佐々木の気持ちを次のようにまとめた。

事実 気持ち
1 部下の1人が精神的に弱く、うつ病になったことがある 最近の若い者は、精神的に弱いのが多い。自分が若いころはもっとタフだった
2 突然の休暇をちょくちょく取る部下がいる この部下は気持ちがたるんでいる。自分は休暇を1年に数えるぐらいしかとっていないし、ちょっとぐらいの病気でも休むなんてことはしない
3 パートで雇った社員は、長続きせず、今までに複数の部下が辞めている せっかくこちらが時間をかけて教えてあげているのに、女性はちょっと叱ったぐらいですぐにすねる。女性社員は甘い考え方の者が多い
4 何かちょっと怒ると、すぐに無口になる女性の部下に対して「性格が暗いのはよくない」と忠告をしてあげた 本人のためを思ってせっかく忠告してあげた。ああいう性格だから嫁の貰い手がないんだ
5 部下が話しているときに、割り込んで自分の意見を述べたことがある 仕事ができないくせに偉そうにしゃべる部下は気に入らない
6 パートで雇った女性社員が失敗をしたので、立たせたままでよく説教をしたことがある 失敗したから教えてあげた。あたりまえのことをしただけ
7 怒るときに周囲の状況を気にしたことがない 部下が失敗をしたときは、そのときにその場で気づかせるのが一番。自分も若いころは上司によく叱られたが、それで成長した

このようにまとめると1番から3番の理由は、4番から7番の佐々木の行動と密接に関係していることが明白である。山下は、これから佐々木にコーチングをしていくうえで、順番として何番から取り上げるべきかを検討することにした。1番から3番について話をすれば、自然に4番から7番についても触れることができるので、厳しい話題ではあるが、1番から取り上げることにした。

犬も人間もウツの理由は同じ!?

3回目のセッションは1週間後に同じホテルのロビーで行った。今回は佐々木は予定の時間より早く来ていた。天気、通勤、家族、犬について、佐々木に質問をすると、佐々木は普通以上に犬好きであることがわかってきた。犬の話になると自分からいろいろと知識を提供してくれるのである。山下も犬を飼っているので、「しつけについてなどわからないのでいろいろと教えてください」という姿勢で質問をすると、「躾のいろは」を伝授しようとする。「犬の病気」について話をしだしたので、山下は、「犬にもうつ病」があるのかをきいてみた。佐々木は、「犬のうつ病」の症状についてこまめに説明をした。その説明の中で、佐々木は犬のうつ病の原因は「周りの環境」「飼い主との関係」におおいに関係していると強調していた。

そこで山下は、「犬のうつ病」から「人間のうつ病」について話題を変えていった。佐々木は今まで、犬のうつ病と人間のうつ病を同じように考えたことはなかったので、目からうろこ的な視点であった。今まで「うつ病は本人の性格に問題がある」と決め込んでいたからである。

山下は、佐々木に、職場でのうつ病の原因になった職場環境や上司との関係について次のような例をあげて、佐々木がこれについてどう思うかを聞いてみた。

  • ちょっとした仕事のミスをとらえられ、「クビだ、明日から来なくていい」といわれた
  • 仕事を与えられず、継続的に無視された
  • 自分だけ過重な仕事を与えられた
  • 時間外の飲み会や趣味を強要された
  • 仕事が終わって帰ろうとすると「俺が残っているのに先に帰るのか」と繰り返しいわれた
  • 「理由なく、俺のいうとおりにしろ」などと強制された
  • 「お前はノロマ」だと他人の前でののしられた
  • 「だめだ、だめだ」などと他社員の前でいわれた
  • 「嫁の貰い手がなくなる」などと仕事に関係のない家族のことまでいわれた
  • 出身校など、学歴をバカにされた

佐々木は、「犬のうつ病」とつなげて考えてみると、「人間のうつ病は周りの環境、上司との関係」に深く関係することを理論上ではなく、感情的にもすんなり納得できるようになった。

環境や相手との関係でうつになるのは人間も犬も同じである。大切に可愛がっている犬がうつになったら、飼い主なら耐えられないはず。同じように「性格が弱い」「ひねくれている」などと言われ続けた部下がどうなるか、想像してみてほしい

(イラスト ナバタメ・カズタカ)