部下も自分も大人げない、わかっちゃいるけど変えられない

ミーティングから2日が経った。

林は先日のミーティング以来、高木ができるだけ自分を避けているのを感じ取っていた。朝、顔を合わせてもわざと目線をそらしたりして、必要最低限の会話しかしないようにしている高木の大人気ない態度が腹立たしかった。

林は、先日のプレゼン資料に関して、高木のほうからいつ何を言ってくるかと待っているが、高木といえば、訂正したものをもってくるでもなく、完全に知らぬ存ぜぬの態度である。間違いをしたのは高木なのだから、自分から言葉をかけるのもしゃくであり、林もわざと高木のことは無視しようとした。

しかし無視しようと思っても、自分の席からよそよそしくすました高木の顔がちらちらと見え、気になってしかたがない。「そっちがその気なら、こちらも…」とあてつけがましく他のチームリーダーにプレゼンを作らせることも考えたが、これでは、何のために高木にアサイメントを与えたかわからないと考え直した。

こうして、時間が経てば経つほど、上司である自分に何も言ってこない高木に対する感情の高まりを抑えるのが難しくなってきた。高木の横柄な態度に対する腹立ちもあるが、それ以上に、高木に翻弄されている自分に対する苛立ちのほうが大きかった。「なんで、このオレが、こんな狸親父のためにイライラさせられなくてはならないのか」とますます腹が立ってくる。林は、「自分と高木との関係が自分の努力のおかげで良くなり始めていた」と自負していた矢先だっただけに、先日、高木に対して感情的になってしまい、高木との関係を大きく後退させたことはいまいましかった。せっかくこんなに努力しているのに、自分の思い通りにいかない高木との関係に対して、これ以上努力することが馬鹿馬鹿しく思え、嫌気がさしてきた。

相手の気持ちを考えるのではなく、とにかく"共通の利益&目的"だけを考える

しかし、高木に頼んだプレゼン資料は、社にとって大口の顧客向けのもので、この顧客訪問は1週間後に迫っている。この訪問のためにアメリカ本社からITのトップも来日することになっており、放り投げるわけにも行かない。林は焦りを覚え、友人の安部に相談してみた。

安部は次のようなアドバイスをしてくれた。

君は、エリートコース一本で挫折を味わうことなく能力で勝負することに慣れていて、黒は黒、白は白の世界で生きてきた人間といえる。それに対して、高木は、「黒白」のはっきりしない「グレー」の世界でもまれてきた人間であり、「腹芸」のできる部類に入る。このような人間はいったん「ごねる」と頑固で、なだめすかしの手はなかなかきかない。それに、このようなときは、君も感情的になっているから、自分の自尊心が邪魔して、どうしても自分を下手にもっていくようなやり方はできないだろう。

だからこのような場合は、これをすると高木がどう思うとか、自分の損になるとかいう感情は入れずに、会社のため、顧客のために社員として双方ともに達成すべきゴールは何か、に軌道修正し、社員として今やるべきことに注力しろ。なかなか難しいと思うけど、とりあえず軌道修正ができたら、高木にやってほしいことを自分の頭の中でまとめ、それをきっちりと伝えるようにしないとだめだよ。

君にとっては何でもないことかもしれないが、アメリカ本社のトップの意向を英語で聴く、というのは普通の日本人には大変なことだよ。ある程度英語のわかる社員でもぼやけた印象のまま終わることが多いからね。日本人ばかりの僕の会社でさえ、トップの意向はなかなか下の方の社員には伝わっていないものだよ。ビジョンだ、戦略だなんて発表だけされても、現場のことがわかる誰かが噛み砕いて説明をしてあげないと、飾り物で終わってしまう。ましてや、君のところは言葉の問題だけでなく、物理的にもトップと現場の人間と接触する機会が少ないから、その分をカバーするのは君の仕事だと思うよ。

林は、安部と話をしてから、少し気持ちも落ち着き、次のようにすることに決めた。

  1. トップからの戦略とビジネスモデルを、林が管轄する部の仕事の内容に合わせてわかりやすくまとめた資料を作成し、高木を含めた部下全員に配り、共通理解を図る
  2. 林が高木に対して期待していることを明確に伝える
    • 顧客訪問の目的
    • 高木の役割、責任
    • 高木のプレゼン資料の中にいれておくべきキーポイント
    • プレゼン資料で使う用語についての注意事項
    • プレゼン資料の提出期限
    • 顧客訪問先で、ITトップ、林、高木の役割
  3. アメリカからくるITトップにプレゼン資料作成を担当したのは高木であることを伝えておく

このようにしておくことで、顧客先でプレゼンがうまくいった場合は、林が言わなくても、ITトップの方から高木に対して「感謝の意」を表した言葉が言い渡されはずで、高木も悪い気はしないはずである。この時点で、高木は「ITトップが自分のやった仕事を認めてくれたということは、林が変な邪魔立てをせずに、自分の功を出せるような場を提供してくれたことであること」に気づくはずである。

お互いに感情的になっていないなら、相手の気持ちを考えながらのコーチングは効果的であるが、いったん感情的になってしまった場合は、相手の気持ち云々ではなく、双方が否定することのできない共通目的を探し出して、それに向かって冷静に何をすべきかを判断し、相手に感情を入れずに明確に伝えることが大事である。

お互いに相手のことを意識しまくっているにもかかわらず、感情的なもつれのため、決して口をきこうとしない2人…周囲の空気もよどみます

(イラスト ナバタメ・カズタカ)