この連載ではここまで、カシオ計算機が注力する「関数電卓市場」、および同社の生産拠点である「カシオタイ コラート工場」における自動化ライン「箱庭」の紹介をしてきた。第3回目にして、同社の取り組みの紹介としては最後となる今回は、第1回に少しだけ触れた、カシオの「中学・高校教育現場における関数電卓の活用」を促進する活動について紹介する。

向かったのは、工場から少し離れた場所にあるタイの学校「Pakchong School」(パクチョンスクール)。中高一貫校で生徒数は約3000人の、タイの中でもかなりのマンモス校だ。

  • カシオ 教育事業 タイ Pakchong School

    「Pakchong School」の外観。中高一貫校で、生徒数は約3000人。タイの学校の中でも、かなりのマンモス校だ

タイの数学教育をアップデートできるか

カシオが目指す、「タイにおける中学・高校教育現場での関数電卓の活用」に共感し、同社と二人三脚で活動している人物が、同校で教師を務めるジャムロエン氏(Jamroen Anantathamros)だ。同氏は、どのような想いで関数電卓を教育に取り入れているのだろうか。

  • カシオ 教育事業 タイ Pakchong School Jamroen Anantathamros氏

    「Pakchong School」で教師を務めるジャムロエン氏(Jamroen Anantathamros)。高校2~3年生の生徒に授業をしている

--まずは、関数電卓を数学教育に活用しようと思ったきっかけを教えてください

2016年に、カシオから関数電卓の使い方を学ぶ勉強会に招待されたことがきっかけです。そこで教育現場における関数電卓の使用方法についての話を聞き、興味をもった私は、2度開催されたその勉強会に、どちらとも参加しました。当時はまだバンコクにいたのですが、その時の校長先生に相談し、関数電卓を20台導入しました。

その後、現在の学校に移ってからは、カシオのプログラム(関数電卓を利用したい人が、カリキュラムをカシオに提出し、それが評価されれば無料で関数電卓が貸し出されるというもの)を利用し、無料で関数電卓を使わせてもらっています。

  • カシオ 教育事業 タイ Pakchong School

    ジャムロエン先生の話を伺ったのは、「数学教室」。日本でいうところの「理科教室」のようなもので、数学専用の教室だ

  • タイ Pakchong School

    数学教室には、プロジェクターが用意されている。ここに関数電卓を表示し、授業するのだという

関数電卓は授業でどう使われるのか?

--「関数電卓を授業に活用する」と聞いても、あまりイメージが湧かないのですが、具体的には、どのような機能を使って教えているのでしょうか

関数電卓にはさまざまな機能があり、使用方法は多岐にわたります。例えば、累乗の計算を教える場合には、これまでは「25×23」という計算が合った場合、それを計算させて「256」という答えを得ていました。しかし、関数電卓を用いれば、回答は「28」とも表示することができます。その場合に、この「8」という数字はどこから出てきたと思う? などと質問をし、「答え」から「解法」を考えさせる、という新たな教え方ができるようになりました。

  • カシオ 関数電卓
  • カシオ 関数電卓
  • 授業の様子。スプレッドシートを用いた計算や、累乗の計算などのデモンストレーションを実施してもらった

ほかにも、連立方程式の問題では、数字を入力し、QRコードを表示させ、それをスマートフォンで読み込むことで、グラフを表示させることができます。生徒はほとんどがスマートフォンを持っているため、この機能はよく使っていますね。

  • カシオ タイ Pakchong School 関数電卓
  • カシオ タイ Pakchong School 関数電卓
  • カシオ タイ Pakchong School 関数電卓
  • 「2x-5y=-3」「-3x+y=7」という2つの式を入力し、QRコードを表示させてスマホで読み込むと、その連立方程式の解、およびグラフが表示された。たしかに、連立方程式のイメージが湧きづらい生徒であっても、このようにグラフで表示されたものを聞くと、理解の促進につながりそうだ

--話を聞いていると、関数電卓を用いれば、計算をする手間も省けて、計算ミスもなくて済むために、問題を比較的容易に解くことができそうですね。教育現場での関数電卓の利用に関して、反対意見はないのでしょうか?

賛成されないこともありますが、その理由の多くは、そもそも関数電卓の使い方を知らないことや、機能を理解していないことが原因であると考えています。

関数電卓のメリットは、ただ「計算する手間」が省けるということだけではなく、生徒の頭の中で「計算を解けるイメージ」が生まれることや、1つの問題に関しても複数の計算方法があるということを知ってもらえること。そういったメリットをしっかりと理解してもらえたら、否定の意見も減っていくと思っています。

「関数電卓の教育現場での使用には反対」という声もありますが、教師側で教える方法を深く考え、適切なカリキュラムを組むことができれば、電卓を使用しても、教育への悪影響はなく、むしろよりよい教育につなげることができると思っています。

--「苦手な数学も、関数電卓があれば解けそう」と思わせることで、生徒のやる気も引き出せそうですね。

  • カシオ タイ Pakchong School 関数電卓

    余談だが、椅子に座って、プロジェクターに表示された数式を見ているときは、高校生に戻った気分だった

関数電卓を授業で使うメリットは?

--先程、メリットをもっと知ってもらえれば、否定の意見も減ってくるだろうと話していましたが、関数電卓を使用する上での1番のメリットについて教えてください

1番は、生徒が楽しく学べるようになることでしょうか。これまで、数学に興味がなかった学生であっても、関数電卓を使用することで授業を真面目に聞くようになったり、これまでテストを白紙でしか出さなかった生徒も、しっかりとテストに取り組む姿勢が生まれるようになりました。学生が数学を楽しむようになるきっかけ、という意味でも関数電卓を使用するメリットはあると感じます。

--関数電卓を使用し、既定の数学のカリキュラムに沿った授業を行うことができるのでしょうか

すべてをフォローすることはできませんが、約7割のカリキュラムは、関数電卓を用いて教えることができます。そして現在、関数電卓に合わせて教えるために、先生向けのカリキュラムをつくっている状況です。私は高校2、3年生の指導を担当しているのですが、このカリキュラムでは、中学1年生~高校3年生までのすべての学年において、それぞれ2個ずつ、つまり12のテーマで関数電卓を活用する予定です。

  • カシオ タイ Pakchong School 関数電卓

    関数電卓を使用し、スクリーンに表示させるジャムロエン氏。実際に関数電卓を使用するのではなく、カシオ計算機が提供しているPC向けのソフトウェアを利用し、その画面をプロジェクタで投影している

--各学年で2個ずつ、ということはすべての学年の生徒が少なからず関数電卓を使う、ということになるのですね。先生が実際に授業で関数電卓を始めてまだ1年ほどだと伺いました。使い始めてからの生徒の反応はどうですか?

生徒からの評判はいいと感じています。高校3年生になっても数学がまったくわからない、という生徒は多く、授業をしていても、集中して授業を聞いている人は1割~2割ほどです。しかし、関数電卓を使用するようになって、集中する生徒の割合が増えました。誰か1人が問題を解けるようになると、連鎖的に「あの人ができるなら自分も」という考えからか、やる気をもって授業に参加する学生が増えましたね。

また、数学に興味を持っていなかった生徒も興味をもってくれるようになりました。例えば、テストをしても、何も回答せず、真っ白で提出していた生徒も、「関数電卓があれば解けるのではないか?」という想いからか、回答してくれるようになりました。

--そう聞くと、関数電卓は、ボトムアップに貢献しているのかも知れませんね。関数電卓を使用し始めて、生徒の学力の向上を感じることはありますか?

まだ2017年5月より導入して1年程度なので、明確な結果がでているわけではありませんが、授業で行っている30点満点のテストでは、結果が良くなりました。関数電卓を使用していないころは、点数が15点以下であった生徒は、118人中15名であったのに対し、現在では4名程度にまで減少しました。

なにも、関数電卓があるから、問題が簡単に解けるようになったというわけではありません。問題は、しっかりと学んだことを理解していないと、解くことができません。 これは、関数電卓によって計算できると思った人が、自分にもできるかもしれない、と思うようになったことが理由であると考えています。

  • カシオ タイ Pakchong School 関数電卓

    関数電卓が学力に与える影響を説明するジャムロエン先生

--貴重な話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

タイの「センター試験」が学力向上の指標となる?

タイでは、日本で言うところの「センター試験」に似た、「O-NET」という試験がある。これはタイの国家試験であり、大学進学の際には受験必須で、その点数が学校や、教師の評価につながるという。ジャムロエン氏に取材した3月中旬の時点では、すでに2018年に実施されたテストは終了していたが、まだ結果は発表されていないとのことだった。数学教育における関数電卓の有用性を測るには、この試験の結果が、関数電卓の導入前と比べてどのように変化したか、というのも気になるところだ。

「電卓」がカシオの事業の柱になる日

カシオ計算機の関数電卓にまつわるさまざまな挑戦の道程を辿り、同社が現在、教育事業で取り組んでいる「ニセモノ対策」、「商品開発」、「生産の効率化」、「ユーザー層の拡大」などへのアプローチ方法を知ることができた。

このような取り組みが功を奏してか、2017年度 第3四半期(10~12月)における同社の教育事業の売り上げは、前年比で8%の増収(売上高156億円)を実現している。ちなみに売上構成比は、電卓:55% 、辞書:15%、楽器:30% と電卓が多くの割合を占めている。

しかし、ここまでの話で取り上げた「完全自動化ラインの実現」や、「タイの中学・高校教育現場における関数電卓の普及」などといった挑戦は、まだ道半ばだ。教育事業を、時計事業につづく第2の柱とすることを目標として掲げている同社。今後も、さらなる事業の拡大を目指して、"世界に挑み"続けていくことだろう。