今回与えられたテーマは「なんでそれに萌えるの?」と聞いてくる輩への対処法である。

正直に言うと、私にそんな事を聞いてくれる人は一人もいない。

オタク趣味は「沼」?

そもそも、こういうことを聞いてくれる人は輩でもなんでもないし、むしろ現人神と言ってもいい。それぐらい、オタクにとっては僥倖とも言える質問だ。そんな事を聞かれた日には、やおら胸ポケットにいつも忍ばせているペイズリー柄の赤バンダナを額に締め、かけていないメガネを光らせながら「オウフwwwいわゆるストレートな質問キタコレですねwww」と、ページ数にするとこち亀全巻ぐらいの萌え語りを展開してしまうだろう。

このように、多くのオタクは自分の萌えについて語りたくてたまらないのだ。しかし、オタクが嫌われる最たる理由のひとつは「いつもは地蔵のごとく喋らず、こっちの話には乗って来ないくせに、いざ自分のフィールドに話が及ぶと一方的に喋りだす」という点にあると思う。

オタクであるかどうか以前に、人の話を聞かずに自分の喋りたいことだけ喋る人間が嫌われるのは当然のことであり、それが相手には全くわからないアニメやゲームの話だったりしたらなおさらだ。

そのため、オタクは円滑に萌え語りができる、趣味を同じくする仲間を常に求めており、いないなら力ずくでも作りだす。具体的には、ハマって欲しい漫画を全巻貸す、アニメDVDを貸すなどの行動をとり、時には貸与に留まらず贈与することもいとわない。

私なども「モンスターハンター教」の会社の人に「ソフト代を半分出すからモンハンやろう」と言われたので曖昧にうなずいたら、「じゃあ今から買いに行こう」と業務中にもかかわらず車に乗せられ、ゲーム屋へ連行されたことがある。オタクは布教活動のためなら出資を惜しむことが全くなく、その行いに一切のためらいは無いのだ。この時も、やりとりの途中から「もしかして、モンスターハンターとは中毒性の高いおクスリの隠語なのでは」と思うぐらいであった。

このように、自分の好きなジャンルに他人をはまらせることをオタクの世界では「沼に引きずり込む」と言う。しかし、これが本当のおクスリだったらまさに泥沼だが、モノは漫画やゲームである。「趣味が増えるのは良い事だし、沼などと言わなくてもいいんじゃないか?」と思われるかもしれないが、オタク活動というのは完全に沼なのである。

具体的に言うと、金と時間がかかる。東で限定グッズが出たと聞けば走って買いに行き、西で舞台があると聞けば、親が死んだことにしてでも飛んでいく。また、ソシャゲで嫁キャラ(オタクは自分の好きなキャラを男女問わず「嫁」と呼んだりする)のレアカードが出るガチャがあると聞けば、すぐさまクレジットカードと相談だ!となるのである。とにかく、端から見ればクレカよりお医者さんに相談した方がいい状態になってしまうのだが、恐ろしいことに削られるのは時間や金だけではない。

例えば漫画であれば、原作での嫁キャラの一挙一動に一喜一憂しなければいけなくなる。もし嫁キャラが命でも落とそうものなら、一週間は飯が食えなくなる。それでもまだ結果が出ているだけいい方で、嫁キャラが2、3年原作に登場せず、今後出てくるかどうかも分からないまま、いわば「萌えの餓死」寸前に追い込まれることもあるのだ。

オタクがそのジャンルを離れる原因は「飽きた」からというのもよくあることだが、「疲れた」からということも多々ある。そのぐらい、オタク活動というのは全身全霊を使う趣味なのだ。

なぜオタクはオタク活動をやめないのか

しかし、それでもなお人がオタク活動を続けるのは、苦しみを遥かに凌駕する喜びがあるからだ。「萌え」が与えられた時のオタクの行動は様々である。PCの前に突っ伏して動かなくなる者もいれば、部屋中を転げまわり、机の角で頭をぶつけて動かなくなる者もいるし、ただひたすら、顔中の穴から液体を流し続ける者もいる。表現方法は様々だが、そんなオタクたちの脳裏には好き、嫌い、果ては萌えという感情すら超え、ただ「尊い…」という言葉だけが浮かぶのである。

なので「なんでそれに萌えるの?」と聞かれたら喜んで半月ぐらいかけて説明するつもりだ。しかし、冒頭のテーマはもしかしたら、否定的な意味でそう聞かれた場合どうするか、という質問だったのかもしれない。つまり、「私はあなたの萌えが全く理解できないし不快である。あなたの描いた私の好きなキャラの絵を見て気分を害したので、描くなら私の目が触れないところでやれ、もしくは今後一切描くな、わかったか?」と聞かれた時にどうするか、ということだ。

そういう場合は最後まで聞かずに、相手の口に馬糞を詰めてやるのがベストアンサーである。

これは聞かれる方もそうだが、聞く方にとっても完全な時間の無駄だ。二次元における趣味嗜好、解釈の違いにおける抗争は昔からあるし、おそらくなくなることはない。誰にだって好き嫌いぐらいはある。

しかし、ノーマルカップリング派の人間を完全論破し、頭に電流を流すなどして、腐女子へと改宗することに意味があるだろうか。逆の例で言えば、ノーマルカップリング派の人間が「腐女子狩り」を敢行し、腐女子にボーイズラブコミックを踏絵として踏ませたとしても、屋根裏に「BE×BOY」とかをしこたま隠し持つに決まっている。

人の趣向というのは、信仰と同様に変えがたいものであり、変えようと思ったら膨大な時間と根気、時には化学の力さえ必要であるし、それでも変わらない場合の方が多いと思う。

だったら、そんなことに時間を使うより、最初から趣味の合う人間同士で好きな物の話だけをした方が良い。だが、趣味が同じと思っていた者でも、1ミリの解釈の違いでハルマゲドンに突入してしまうこともある。

つまり、仲間が一人もおらず、誰も聞いてない萌え話を時折Twitterでつぶやき、否定も肯定もひっくるめてリプが1件も来ない私が、オタク界のラストマン・スタンディングなのである。


<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「負ける技術」(2014年)(文庫版:2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品は「猫工船」、「やわらかい。課長起田総司」(単行本1~2巻)、「ニコニコはんしょくアクマ」(単行本1~2巻)。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年1月19日(火)掲載予定です。