今回は「スフィンクス(猫の種類)の魅力、スフィンクス以外で惹きつけられる猫の種類と魅力について」である。

猫はすべからく可愛く、尊いものである。もし猫という存在がなかったら、今頃世界は第2兆次大戦ぐらいに突入しているし、窓の外ではジープに乗った悪漢が跋扈し、私の髪形もとっくにモヒカンになっていることだろう。そんなゴッドオブゴッドフィーチャリングゴッドな猫であるが、天使にもラファエルとかミカエルとかがいるように、猫にも種類がある。

これはさまざまな種類で猫好きを楽しませてくれている、というわけではない。むしろ、あらゆる手段で我々を葬りさろうとしていると言っていい。トラ猫の可愛さに耐えたところで、後ろから三毛猫に出てこられた日には、我々に出来ることは断末魔の叫びをあげることだけだ。手裏剣を全部よけたのに、後ろからトラックが突っ込んで来たようなものである。このことから、神は明らかに猫を動物というよりは兵器として創造しており、猫の種類というのは白猫なら「ミサイル」、黒猫なら「ダイナマイト」のようなカテゴリでわけられるべきものなのだ。

そんな世界を揺るがす最終兵器、いやむしろ彼らこそが世界…宇宙…コスモ…、とにかく尊すぎる存在である猫を選り好みするなんて、「嵐の中で結婚するなら誰か」を一人で真剣に考えるぐらいの愚行であり、先ほどから、タイプの猫について語ろうとする自分と、猫は全部可愛いと主張する自分が殴りあいのケンカをしており、もうすぐ両方息を引き取るところである。しかし他ならぬ読者からそういう質問が来たなら答えざるを得ないだろう。仕事なら仕方ない、猫ならわかってくれる、猫とはそういう奴だ。

カレー沢氏が愛する"レア猫"「スフィンクス」

まず、スフィンクスとは何ぞやと言う人もいるだろう。そういう人は「スフィンクス」で画像検索してみてほしい。するとエジプトにある像の画像がたくさん出てくると思う。もちろんそいつではないので次は「スフィンクス 猫」でググってみよう。見ての通り毛のない、無毛種という種類の猫である。

もちろん、猫は全部かわいい。だが、本当に僭越かつ申し訳ないので、土中に縦に埋まって首だけ出しながら言わせてもらうと、子猫より成猫、長毛よりは短毛、太った猫よりはシュッとした猫が好きである。それら全てを過剰に満たしているのが、スフィンクスという猫なのだ。

毛が短いというか無いし、スタイルが良いというか、スタイル丸出しである。はじめてスフィンクスという猫の存在を知りその姿を写真でみた瞬間、「いいのか」と思った。あまりにも余すところなく魅力が凝縮されすぎていて、何らかの条例に反している気すらしたのだ。つまり一瞬で心奪われたのだが、スフィンクスは猫の中でもかなりのレア猫である。読者の方々も、毛のない猫が街中を闊歩しているところはあまり見たことがないだろう。そしてペットショップでも取り扱っていることが稀、というか見たことがない。

そんなスフィンクスの実物を私が見たのは十数年前、世界の珍しい猫が集まる催しがあり、その中にスフィンクスがいると聞き、喜び勇んでオシャレして一人で行った。するとスフィンクスはガラスケースの中で完全に毛布に埋没していた。毛がないので寒がりなのだ。当たり前のことである、納得しかできない。

しかし、スフィンクスを見に来たのにスフィンクスの姿が見られないことに関しては納得いかなかった。すると隣にいたおっさんも納得できなかったようで、係員にスフィンクスを見せるように頼んでいた。寒がっている猫ちゃんの毛布をはぎ取れとは、こいつは鬼、悪魔、もしくはダース・ベイダーである。私はすぐさま、こんなこともあろうかと持ってきていたライトセーバーでおっさんを退治しようとしたのだが、もしかしたらライトセーバーの光は猫ちゃんの目に悪影響かもしれぬと思うとすぐさま行動に移れなかった。

そうこうしている内にスフィンクスは係員によって毛布を取られ、その姿を現した。それはライトセーバーよりも光り輝いていて、もしかして毛布がかかっていたのは、我々の網膜が焼けてしまわないための配慮だったのかもしれないと思った。そして、すぐにまたスフィンクスには毛布が掛けられた。むしろあのおっさんがいなかったら、小心者の私はスフィンクスの姿を見られなかったかもしれない。今思えば彼は神だったのかもしれない。

それがスフィンクスとの初邂逅であったが、数年後また同じような催しがあると聞いて、私は会場にはせ参じた。すると今度は「500円払えば好きな猫を抱いてツーショットが撮れる」というコーナーがあったのだ。目を疑った、5万の間違いではないかと。私は係員を捕まえ、その胸元に500円をねじり込み、スフィンクスを抱かせろと所望した。それがスフィンクスとの初めてのふれあいである。一言でいうと温かかった。毛がなく、直接皮膚に触れるので当たり前だ。それはとても温かく、今抱いているのは猫ではなく、生命そのもの、いや宇宙、コスモ…と思った。私がコスモを感じている間にさっさと写真を撮られ、スフィンクスはさっさとカゴの中に帰っていってしまったが、その写真は今でも宝物である。

つまり、スフィンクスの魅力は「猫の中でもよりコスモ」だということだ。続いてスフィンクス以外の猫の魅力についてだが、現時点で完全に文字数をオーバーしている。それについては、私が病院に入れられなかったら、またの機会に書きたいと思う。

カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中、9月18日よりWeb連載漫画「ヤリへん」を公開開始。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は10月13日(火)昼掲載予定です。