カラオケに行った時、「これ練習ね」と言いながら歌いだす奴がいる。これはこの世で最も意味のない練習だが、逆に必ずやらなくてはいけない練習やテストも数多くある。

飛行機や車など人命を預かるものはもちろん、今では人が関わるものすべてに安全性テストが必要だと言っても過言ではない。菓子類など、食いすぎたら太るというテスト結果が出ているのに、何故未だに販売が制限されないのか不思議なくらいだ。

ともかく、ジャンボジェットなどのデカくて速い乗り物がぶっつけ本番で来られても困る。「俺、本番に強いっすから」とアピられても、とても乗る気にはならない。だが、必要なこととはいえ、毎回毎回、せっかく作った飛行機が叩かれたり曲げられたり爆破されたり、塩で揉まれたりすると、開発者たちも人の子なので、心が折れてくるだろう。それに金もかかる。

デジタル世界の「影武者」

そこで、ホンモノの代わりにテストを受ける、影武者徳川家康的存在が、今回のテーマの「デジタルツイン」である。ツイン(双子)という名の通り、本物の機器やその部品と全く同じものをデジタル上に作り出し、その双子が変わりにテストを受けてくれる、というわけだ。

このテストというのがセンター試験とかなら事件だが、耐久テストなら、本物を爆破するより大幅なコストダウンが見込める。このような技術は前からあったそうだが、毎度おなじみ、モノをインターネットに繋ぎまくる「IoT」の普及により、デジタルツインも急速に広まっているようだ。

また、デジタルツインの用途は上記のようなテストだけではない。安全でないと困る乗り物の代表格、飛行機のボーイングは、タービンにセンサーをつけ、稼動状態や温度変化をデジタルツインで可視化することで、適切なメンテナンス頻度を予測できるようになったという。わざわざ実物を見に行かなくても、デジタル上のツインを見れば状態がわかるというのは便利である。

この技術、人間にも使えないだろうか。機器の部品は人間で言うと内臓などである。これが可視化され、「そろそろ肝臓が替え時」だとわかれば、すぐに取り替えられる、……ということは難しいだろうが、具合の悪い自分の肝臓のツインをスマホの待ち受け画像とかにしておけば、少しは酒を控える気になるだろう。冬の腋毛とか、人間は外から見えない所はどうでもいいと思ってしまいがちだが、それが目に見えることにより、意識が変わるかもしれない。

しかし、人間には「ヤケクソになる」という機械にはない機能があるため、目に見えて増えていく自らの内臓脂肪を見て、「もっと増やす方向で」という方針を採ってしまう可能性がある。

ならば部品といわず、完全体の自分のデジタルツインを作ってみたらどうだろうか。そのツインに、「バイト全員がダブルピースをキメている写真に『アットホームな職場です』と書き添えるような求人広告を出している居酒屋」でバイトするシミュレーションをさせてみて、なじめたら応募する、病んだら、応募も働くこと自体も見合わせる、といった具合だ。人生も、デジタル上で先にテストができれば、いらぬ選択ミスが減るのではないだろうか。

しかし、人間にはもうひとつ、機械にはない「奇跡を信じる」という機能が搭載されている。競馬だって、「この馬が勝つ確率は極めて低いです」と、ご丁寧にオッズで表示してくれているのに賭ける人間がいるのだ。それと同様に、仮にデジタルツインがデジタル上で失敗したとしても、「テストと本番は違う」「ワンチャン」とか言いながら、結局自分のしたいようにしてしまうのである。不倫をやめるつもりがないのに、不倫の悩みを相談してくる女となんら変わりない。

結局、デジタルツインで人間を可視化しても、改善策ではなく「無視する」「見なかった事にする」という機能を発動させる可能性が極めて高いため、それなら最初から見なくても良かった、ということになってしまう。

「IoT」が「すべてにインターネットを繋ぐ」ではなく「モノ」と限定しているのは、海原雄山が「馬鹿どもに車を与えるな」とブチ切れたのと同じく、「そこに馬鹿(人間)を入れるんじゃねえ」ということなのかもしれない。

それに、自分のデジタルツインが、デジタル上でありとあらゆることに失敗、挫折するのを見たら、もうリアルで何もトライする気がなくなってしまうであろう。

飛行機の場合「結果がどうなるかわかんねえけど、とりあえず飛んでみる」では困るが、人間の場合、結果がわからないからこそ、飛べると言ってもよい。その結果、空中爆発してしまうかもしれないが、それを予期した上で爆発するより、していないほうが苦しむ暇もなくて良いだろう。


<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年~)、コラム集「ブス図鑑」(2016年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。本連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より絶賛発売中。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2017年8月29日(火)掲載予定です。