CPUコアをライセンスするIP(知的財産的な価値のある半導体LSI回路の一部)ベンダのトップメーカーであるARMが、クルマ用途に力を入れ始めた。これまで、携帯電話やスマートフォンなどのアプリケーションプロセッサの中心となるCPUコアにARMの製品が大量に使われてきたが、なぜARMはクルマに参入するのか。
その答えをARMに聞く前に、ARMとはどのような企業なのか、解説しておこう。ARMのビジネスモデルは、CPUコアを開発しそれを半導体メーカーにライセンス供与する。半導体メーカーがそのコアを集積した半導体ICを量産するようになると、ロイヤルティをいただく。何かサービスが必要とされた場合にはサービス料を受け取る。この3つの収入で賄っている。
ARMのIPコアの最大の特長は、性能をある程度確保しながら消費電力が低いことだ。だから、携帯電話やスマートフォン、タブレットなどモバイル用途に多く使われてきた。ARMのCPUコアを搭載した半導体チップの出荷数は2012年末時点で400億個に達したという。また、2012年だけでも87億個を出荷したというから、その勢いはすさまじい。
もう1つの特長は、エコシステムが出来上がり(図2)、しかも大きく成長し続けていることである。CPUコアをライセンスするだけで半導体ができる訳ではない。ソフトウェアの開発、開発ツール、半導体設計ツールのEDAベンダ、製造を委託するファウンドリなど、さまざまな企業が係わってはじめてチップができる。いろいろな産業界が集まって1つの生態系を作っていることから、こういったパートナーシップの関係をエコシステムと呼ぶ。このエコシステム全部がARMコアを利用した半導体チップを完成させていく。
ARMコアと一口で言ってもいろいろある。マイコン向けのCortex-Mシリーズ、演算性能の高いCortex-Aシリーズ、リアルタイム性を要求されるシステム向けのCortex-Rシリーズなど、用途に応じたCPUコアが揃っている(図3)。もちろん、昔からの制御系用途のARM 7、ARM 9、ARM11シリーズもある。加えて、グラフィックスコアのMaliシリーズや、メモリやロジックなどのフィジカルIPもある。IP同士をシリコンチップ上でつなぐバスとしてAMBAやAXI、AHBなども揃えている。さらに半導体ICに組み込むためのソフトウエアの開発ツールやそのデバッガ、なども用意している。
これだけ揃っているとクルマに使える応用は多い。クルマは環境負荷の低減、燃費の改善、CO2削減に加え、安全性の確保、快適といった改善のためにエレクトロニクスが数多く使われてきた(図4)。もちろん、これまでのボディやシャシーなどにエレクトロニクス(ECU:電子制御ユニット)が使われているが、使われるECUの数は増加する一方だ。いろいろなECU同士あるいは、センサからアクチュエータまでの信号経路における通信ネットワーク技術なども普及している。このECU1個1個にマイクロコントローラ(マイコン)やプロセッサが入っているため、ARMの市場はクルマの中に広がっていると見なすことさえできる。クルマ自体が大きなシステムになっているからだ。
クルマというシステムには当然ながら通信ネットワークが張り巡らされている。車内ネットワークでは、インフォテインメントだけではなく、車内でのWi-Fi通信などもこれから使われるようになる。さらにはウィンカーやパワーウィンドウ、ワイパーなどの制御系では速度は要求されないため、CANやLINなどの古くからある通信仕様を使う。高速な通信が必要な所ではEthernetが広がる気配を見せている。また車車間通信やクルマとビル間通信、M2M、テレマティクス、ETCなどの通信(図5)もこれから広がると見られている。
通信ネットワークだけではない。最近ではADAS(Advanced Driver Assistance System)と呼ばれる安全システムにも半導体が大量に使われている。これまでは、エアバッグやクッションによって衝突してもショックを和らげ事故死を防ぐことが主だったが、最近では衝突防止や、白線逸脱検出、夜間人間検出(ナイトビジョン)など事故を起こさないように予防する安全技術も使われるようになってきた(図6)。しかも衝突防止といっても、スバルのアイサイトのように前を行くクルマの輪郭抽出の時間変化から速度を求める方式や、ミリ波レーダーを使って反射から速度を算出する方式など、さまざまな技術が登場しており、高速演算用にCPUコアが必要とされている。
クルマ側で強力な演算処理が求められるインフォテインメントやADASの分野では、なじみやすいHMI(ヒューマン・マシン・インタフェース)や、音声認識、ジェスチャーインタフェースなどに加え、今後はさらに高度なドライバーエクスペリエンス、視線追跡などの演算も必要になってくる。
ARMのIPコア製品ラインアップは、クルマを含む組み込みシステムでの用途が実は増えてきているという(図7)。例えばライセンスの割合は2012年で、モバイル応用が26%なのに対して、マイコン用を含む組み込み応用では33%に上る。このモバイルのライセンスの割合は年々下がっているため、今後も組み込み応用が増えそうだと見ている。特に期待の大きな応用はIoT(Internet of Things)だという。この分野はいろいろなモノがみんなインターネットにつながるという世界になる。ARMでは、主に、ウェアラブルコンピューティングや、M2M(マシンツーマシン)、クルマなどがインターネットにつながる重要なモノになりそうだと見ている。
さまざまなモノがつながるようになってくると、セキュリティを確保する必要がある。これまではTrustZoneと名付けたセキュリティ構造を採ってきたが、これからはさらにCRYPTOと呼ぶ暗号化処理も導入していく。
このようにARMの製品や特長を見てくると、ARMがカーエレクトロニクスを狙う理由が見えてくる。最大の特長である低消費電力とエコシステムは、カーエレクトロニクス市場には実は打ってつけだ。クルマに使われる電力源は、ダイナモすなわちガソリンエンジンを利用した発電機である。消費電力が大きければ大きいほどエンジンに投入するガソリンが多くなり、燃費は悪くなる。バッテリを多用するハイブリッドカーや電気自動車ではなおさらだ。だから消費電力の削減がクルマでも要求は強い。
クルマの安全・快適を追求すればするほど、ECUの数は増え、ソフトウェアが増加しコストも上昇するようになる(図8)。ECU全体に組み込まれるソフトウェアの行数は数1000万行にも及ぶ。ARMは、演算効率を上げるアーキテクチャを開発してきており、ARMコアの採用により、複雑になってくるソフトウェアやハードウェアのコスト上昇を抑える切り札になるかもしれない。プログラムの開発しやすさや、デバッグの見つけやすさなども必要になってくるが、ARMにはエコシステムが揃っている。開発してくれる仲間は多い。こういったエコシステムもクルマに参入しやすい強みとなる。