コロナ禍のポジティブな変化とは?
これまでの連載では、異種格闘技戦’20に参加した有識者たちそれぞれがデザインしたい未来やデザインとはなにか? についての議論の様子をお届けしてきたが、最終回となる今回は、視聴者からの質問に対する有識者たちの答えをお届けする。
多くの視聴者から、「未来を見通すためにみんな一人ひとりが今心がけることはなんでしょうか?」、「これからのアナログレス社会において、アナログ派の人たち・デジタルに順応できない人たちにとっての『美しい社会」とはなんでしょうか?」などさまざまな味のある質問が並ぶ中、1つ目に取り上げられたのは「コロナ禍によって、価値観や生活スタイルが変化しつつあります。変わってよかったことってあると思いますか?」という質問である。
スプツニ子!氏が期待している変化は、「どこに住んでいても大学の授業ができ、住居が選べる事」だという。これに対し、山口周氏は企業の採用競争に触れ、「住む場所を指定してしまうと、才能のある人を採用する機会を逃してしまうことにつながる。世界中の労働市場から人をとれる社会になっていくと思う」と返答。スプツニ子!氏も「これまでは女性が転勤についていくなど、女性がキャリアを諦めてしまう事も多かったがそれがなくなることも期待できる」と働き方の変化が良い方向に進むことに対する期待を示した。
また、山口周氏は、人の移動とお金の動きに着目し、「いままで移住するとなると、お金の動きまで移す必要があった。例えば、軽井沢に住むとなると軽井沢でお金を稼いで、軽井沢でお金を使ってといったような、富の移転が起こっていた。これからは東京の会社で稼いで、住んでいる軽井沢にお金を落とすといったような富の移転を主体的に起こすことができるようになる。人が移動するとお金の循環も移動してしまっていたのが、それがなくなると非常におもしろい変化が起こるのではないかと思う」とした。
“デザイン”とは何なのか?
時間いっぱいまで議論が交わされた異種格闘技戦’20の最後は、1人ずつ今回の議論のまとめという名の感想を述べてフィナーレを迎えることとなった。
深澤氏「デザインというのがかなりいろいろな部分に入ってきているが、まだ入っていない部分がある。法律や規制を決める際や政治、リーダーを決めるときなどの際にもデザインというものが入ったほうが良いと思っている。クリエイティビティやデザイン的思考が社会的システムの中に入っていくといいと思う」
川上氏「いまの深澤さんのデザインシンキングという話は、もともとのプロダクトデザインの考え方を、サービスデザインやビジネスデザインに使えるという話だと思う。今日は格闘技戦というので身構えて来たのだが、色々な意味のデザインに関わっている方がいらっしゃって、この先に、サービスやビジネスにも活かせるのかなと感じた」
サコ氏「デザインは定義があいまいで難しいが、歴史の中であったやり方を変えずにどんどん便利なものや変化を求めてきてしまった。だからいまだに古いやり方が残ってしまっているところがあると感じた。まだまだデザインの本質をつかめていないと感じた」
スプツニ子!氏「デザインは日本では狭義な意味でしか使われていなかったが、やっと法律のデザインなど、デザインを通して問いを立てるという事が伝わってきたところがあると感じている。デザインは何もないところから模索して答えを出すという力がある。ただ、デザインがどういった世界、未来、インターネットを作りだすのかという問いをたくさん立てる必要がある。今日のこういった議論をする場というのはとても貴重であった」
暦本氏「デザインとは問題を解決するものであるが、問題解決のレイヤーがコロナ禍で変わってきたと思う。通勤の満員電車をなんとかしようという問題があったが通勤そのものがなくなってしまうかもしれない。そういった意味でどのレイヤーの問題を解決するかというのが多様になると思う。私は一番上のレイヤーの課題を解決していきたいと思っている。その時に一番大事なのは人間の感情だが、それ以外の制約などは変えられると思っている」
山口絵理子氏「私もバックを15年デザインする中でお客様の問題を解決したいとずっと思ってきた。リュックをだしたり、トートをだしたり、2Wayや3Wayのバックをだしたりしてきたが、最近は単純にすごく好きな形を出すのが重要かもしれないと思っている。私はパンダがとても好きでシャンシャンの誕生日にパンダのポーチをだしたらすごく売れた。そういったマニアックな偏愛がすごくパワーがあると最近は感じている。それは正しさからは生まれず、心の中から生まれるものであるからブレない。他の人は全然気にしないが自分の中でこだわっているところを武器にこれからもやっていきたいと思っている」
あなたも社会という作品に携わるアーティストである
最後、有識者たちの話を受けてモデレーターを務めた山口周氏が以下のような総括を行った。
「各領域の中で最先端を走っている皆さんがコロナ禍の中でどうしていきたいか議論したわけだが、わからないという答えも多かった。本当にその通りで正解はわからないものだが、立ちすくんで恐れているだけではだめで何かを動かさなくてはならない。その中で、川上氏が述べた“パッシブって実は重要なことなのではないか”という言葉は非常に重要だと思った。人間の中で自然に湧き上がる喜怒哀楽といった素直な感覚に照らし合わせたときに出てくる違和感を糸口に社会の在り方を考えていくしかないのだなと思った。まさに、答えのない問いを問い続けるしかないが、“問う”ということはアクティブな行為であり、その問いに社会から何かが返ってきたときに新しい未来がひらけると感じた。
私が尊敬している現代アーティストであるヨーゼフ・ボイスが唱えた概念で“社会彫刻”というものがある。世の中はアーティストとそうじゃない人がいるという認識だが、それは間違っていて、全員が社会という作品の制作に携わっているアーティストの1人なのだから、自分自身がどんな違和感を抱えていて、社会のどんな問題を解決していきたいか考えながら社会に携わってほしいというものである。今回の参加者の皆さんはそれぞれの領域でそれぞれに活動していて、悩みながらも歩みを止めないという方々でまさに社会彫刻だと感じた。私にとってもロールモデルとなる皆さんだと感じた」
議論全体を通し、非常に興味深かった点は、この議論が専門家による「今後はこうなる!」といった“未来予測”ではなく、「今後どうしていきたいか?」という主体的な討議であった点である。討論の中でも出てきたが、この先はテクノロジーの活用によるデジタル化が進み、住む場所や働き方が選べる社会になるかもしれない。そういった時代において本当の意味で人間として求められるのは、主体的にどうなりたいか、という問いを自ら立て、その問いを解決する方法を実践する“デザイン力”なのではないかと考えさせられた討議であった。