デザインに求められる“問いを立てる力”とは?

深澤氏の「違和感を感じている人が多いものほど、直していく作業は進むと思う」という発言を受ける形で、工学博士の川上氏は、先だって山口周氏が語った「パッシブになってしまった」という言葉を踏まえ、「今の、違和感を持つ人が多いほど、社会がよくなるという課題が先にあるという事を考えると、本質的に社会デザインとはパッシブなものなのではないだろうかと思う。ウスビ・サコ氏のアートシンキングとデザインシンキングの対比でいうと、デザインシンキングはパッシブで、アートシンキングはアクティブに当たるのかなと思っている」とパッシブとアクティブの違いに対する見解を述べると、サコ氏も「デザインにせよ、アートにせよ、問いを立てられる力が求められるのだと思う」と同調した。

さらにスプツニ子!氏も議論に加わり、「問いを立てるデザインという事でいうと、私は専門がスペキュラティブデザイン(議題について考えるきっかけを提起するデザイン)で、デザインを通して問いを立てられるのではないかという視点でずっと活動してきた。例えば男性が生理を体験できたらどうだろうという問いからマシンをデザインするといったことをしてきた。問いを立てるデザインをやってきた中で“design for debate”という言葉がよく出てくる。デザインを通して議論するという意味だが、今のような不確定な状況でたくさんの未来へのきっかけがあるからこそ、たくさんの問いを立て、議論していくことが重要だと思う。山口絵理子氏がやられていることはまさに”問いを立ててビジネスを作る“ということなのだと思う」と”問いを立てる”という行動の具体例を示した。

  • 川上氏

    社会デザインは本質的にパッシブなものなのではないかとした川上氏(異種格闘技戦の配信画面をキャプチャしたもの 以下すべて同じ)

コロナ禍で一番売れたバックを作るきっかけとなった“問い”とは?

スプツニ子!氏の話を受ける形で山口絵理子氏は、「私も新型コロナの影響で前が見えなくなったことがあった。本来であれば3月は一番バックが売れる時期で、当初はトートバックを作成する予定で進んでいたが、私自身ちょっと違うのではないか、今バックなんて買いたくないと思うのではないかと思った。その時、私は“今ものを買うよりもタンスを整理したい”と思った。

そこで、いらなくなったマザーハウスのバックを回収します! という告知を出した。すると790個のバックが集まった。そのバックを解体し、端切れを利用してリメイクバックを作成した。工場がある途上国に新型コロナの影響で行けなかったので、日本の工房にお願いしたが、すごく面倒な作業だった。そうこうしながら作ったバックが今一番売れているバックとなった。このバックはお客さんの買い方も面白くて、端切れを組み合わせて作ったバックのため、一つとして同じものがない。そのため、お客さんは店舗をはしごして自分だけのバックを探して購入する。私も問題を探すのが大好きで、PDCAを小さな投資で踏めることが生き残る戦略だと思っている」と、自身の体験を披露した。

  • 山口氏

    コロナ禍で試行錯誤した経験を語る山口絵理子氏

快適な“不便”と、快適ではない“不便”

山口絵理子氏が話を終えるとサコ氏が、「主体性の問題も常に重要だと思う。私は大学で教えているので、コロナ禍でキャンパスって誰のためにあるのだろうと考えた結果、私は学生のためだという結論に至った。ただ、今までのキャンパスは本当に学生のためになっていただろうかとも思った。若者を育てるのにどういった環境が必要なのかと考えていただろうか? デザインも一緒でこの社会の中で、主体性の置き方が新型コロナ以前は経済や便利さが主体となり、人間自体が主体ではなかったように思う。コンピューターサイエンスは便利なものだが、果たして人間主体のコンピューターサイエンスとなるのか疑問がある。その点を専門家の暦本先生はどのようにお考えか?」と暦本氏に疑問を投げかけた。

それに対し暦本氏は、「便利、不便の話があったが、私は快適な不便と快適じゃない不便があると思う。通勤は快適じゃない不便にあたると思うが、そういった快適じゃない不便こそテクノロジーで取り除けると思っている。例えば歩いて通勤したとして、歩くのは不便だが歩いて風景を見たりするのが心地いいと感じるならば、それは快適な不便となる。自分が選び取りたい不便さを選べるためにテクノロジーやバーチャルテクノロジーが支えてくれると思っている」と、何をもって不便とするのかといったこと自体も主体性に関わってくることを指摘。スプツニ子!氏も、「私もそういう意味で、上空から画像認識技術を使って、四葉のクローバーをかたっぱしから見つけるドローンを作ったことがある。これは完全に皮肉で、これ、欲しいですか? と考えさせるために作った」と述べ、便利とはなにか、ということに対する疑問を呈した。

  • 不便益

    ”不便益”について議論する山口周氏(左)と川上氏(右)

この流れに山口周氏も、「クーラーがある時代に薪ストーブが流行ったり、1980年代から初めてレコードの売り上げがCDを抜いたというニュースが少し前に話題になっていたが、これもある種の心地のいい不便益という事だと思う。そういうのが色々な所で起こっているのを見ると、便利にすれば価値が高いかというとそうでもないという事が分かる。ビジネスと考えるとすごく難しい塩梅だと思う」と、社会情勢的にも、便利とは何かに揺らぎが生じていることを挙げた。

これに対して“不便益”の提唱者である川上氏が、自身の研究を通じた経験を踏まえ、「物事のとらえ方として不便益というときには、そういった情緒とか価値が不便益に入ると思うが、私は不便益を新しい物事の設計論にしたいと思っている。その時には単に過去に戻れば不便でいいというのとは違うとあえて言っている。新しい出来事を作るための知見が含まれていてほしいと思っている」と、不便に対する考えを披露した。

と、ここで異種格闘技戦'20の議論は制限時間となってしまい、一応の終わりを迎えることとなった。参加した有識者たちからは、本当の議論はこれからだ、といった空気が感じられ、さらに深堀りされていくことが期待される流れであっただけに、もっと話を聞けなかったのが悔やまれる。最終回となる次回は、残された時間で行われた視聴者からの質問に対する有識者たちの答えをお届けする。

(次回は11月18日に掲載します)