AMDを振り切るお決まりの戦略を採ったIntelだったが…
AMD K6の登場後、IntelはPenitiumでは当時PCソフトがコンシューマー向けの多種多様なアプリケーションに対応できるように、MMX(Multi Media eXtention)拡張命令を実装したほかは、クロック周波数を233MHzに上げたくらいで他にはアップグレードせずに、その軸足をPentium IIに早々に移していった。AMDを振り切ろうというIntelお決まりの戦略である。AMDを低価格帯に封じ込めるためのCeleronというブランドも用意した。
しかし、もはやPC市場はIntelがなんでもスタンダードを決められる状態よりもはるかに規模が大きくなっており、カスタマーを含め、マザーボードなどのPCプラットフォームのインフラストラクチャ(このような言葉ができてきたのもこのころである)の人々は、多様化する市場ニーズに応えるため、性能とコストを極める過程において、Intelに十分対抗できるソリューションを求めていた。
例えば、日本の周辺機器メーカーのメルコは、K6をCPUアクセラレーターとして製品化した。今までのSocket7マザーボードのPentiumを抜き取り、替わりにK6をソケットに差し込み多少設定を変えるだけで、233MHz以上の性能を持つアップグレードが可能となるというユニークな製品で、AMDとの協業を盛んに行った。当時のPCインフラがいかに成長していたか、またAMD K6の完ぺきな互換性を立証する製品として記憶にとどめたい。
このような中で、Intelの驕りを象徴する大事件が起こった。Pentiumの大規模リコール事件である。
Intel、Pentium CPUをリコール
"1994年6月14日、USバージニア州リンチバーグのある大学教授がPentiumを搭載したPCを使用し、かなり複雑な数理計算を行っていたがどう計算しても演算結果がおかしいことに気が付いた。自身も科学者であった彼はそれから4か月をかけて原因を追及した結果、問題はPentiumチップそのものにあるという結論に達した。そこでインテルに電話をかけた。インテルは200万人のPentiumユーザーの中でこの問題に気付いたのは彼だけだと回答し、情報を記録しファイルにしまい込んだ"(以上マイケル・マローン著、土方奈美訳の"インテル"からの略引用)。
リコールと言うと通常、車とか家電製品というイメージが普通だが、IntelがリコールしたのはCPUである。しかも、この現象はほとんどのユーザーの通常のパソコンアプリではほぼ100%発生しない現象であったが、後のIntel自身の調査で明らかになったとおり、これは明らかなCPUのバグ(設計上の不具合)であった。
田舎の大学の数学教授が発見したPentiumのバグ問題は、教授がこの事実とIntelの対応をインターネットで公表すると瞬く間に広がり、パソコンユーザー、メディアはヒステリー状態に陥った。
この時点でも、Intelはこの現象の発生率は非常にまれで、次の製品で改善するのでリコールはしないという立場をとっていたが。 ユーザーやメディアのプレッシャーに押される形で、IBMをはじめとするパソコンメーカーがIntel Pentium搭載のパソコンのリコール交換に応じたことで、IntelもついにPentiumのリコールに踏み切った。
パソコンの中に内蔵されているCPUのような通常人が目にしない製品のリコールでは最大規模のケースで、結果的にIntelの損金は数億ドルに達したが、巨大企業のIntelにとって最も痛かったのは損金ではなく、ブランドへのダメージであった。
我々AMDとしては、この件について調子に乗ってIntel批判をすることを控える方針を決めた。当時、コンピュータの頭脳であるCPUの集積度はトランジスタ数で言えばすでに1000万個に達していた、そんな複雑な製品を何千万人に売っているという現実は我々半導体屋の想像をはるかに超えていた。明日は我が身の可能性もあったのだ。
(次回に続く)
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
・連載「巨人Intelに挑め!」記事一覧へ