インテルの市場支配の結果起こったこと

以前の章で"インテルの市場独占の成立過程とその弊害について"ということについて述べた。パソコン市場が成長の牽引力になっていたその当時、CPUを牛耳るインテルと、OSを完全に掌握するマイクロソフトには絶対的な権力があった。特に競合が事実上なかった状態のOS市場でのマイクロソフトの権力は絶大で、欧州委員会はその"独占的地位の濫用"を非常に重く見て、10年近くの調査の末に違反勧告を下し、多大な罰金をかけたほどである。このようなキーコンポーネントを一社の供給者に頼ることになると、当然起こるのは売る側と買う側の立場の逆転である。

売る側は競合を排除しながら、すべての顧客に高い価格で売りつけることが利益の最大化に直結する。買う側は競合よりは何とかいい条件で安定した数量を確保することが至上問題になる。要するに、インテルの顧客であるパソコンメーカーは絶大な権力を握ったインテルに対し、"どうかうちには他社さんよりも安い価格で、できるだけ多くのCPUを売ってください"とお願いすることになる。

しかも、インテルは市場独占で大きな利益を蓄積していって、その一部を"マーケット・デヴェロップメント・ファンド(販促推進費)"と称した多額の返還金を顧客に対するキックバックとして払うようになっていた。PC市場に存在する利益がどんどんインテルに蓄積されてゆくと、市場で切磋琢磨するPCメーカー同士はこの販促費なしにはテレビのコマーシャルなどの高額なマーケティングができない状態になっていた。しかし、よく考えると、この資金源はインテルがもともと高額のCPUを売りつけることで得た利益から出ているのであるから、実際は顧客がインテルにいったん取り上げられた金に過ぎない。

この状態は、顧客があたかも供給側のインテルの囚人になってしまったような状況に陥ることを意味する。

"囚人のジレンマ"というたとえ話

後になって、AMD社内で大きな極秘プロジェクトとなった「スリングショット"(社内極秘プロジェクトのコードネーム:これについては後述する)」のリーダーであるAMDの法務担当上席副社長のトム・マッコイが、インテルの市場独占支配力と顧客に与えるプレッシャーについて大変興味深いたとえ話を私に語ったのを思い出す。トム・マッコイは私が最も尊敬するAMD幹部の一人である。

トムとはこのプロジェクトでかなり密に仕事をしたが、この人ほど"大胆かつ細心"というリーダーシップに必須の資質をしっかりと備えていた人物は未だにそう会ったことはない。同じAMDのCEOジェリー・サンダースとともに私の生涯のロールモデルともなっている。

トムのたとえ話とは"囚人のジレンマ"と言われる。このたとえ話は、大学の法学、心理学、経済学などの授業にも登場するので興味を持った。"囚人のジレンマ"とは簡単に言うと以下のとおりである。

囚人のジレンマというたとえ話はいろいろな分野で引き合いに出される。画像はイメージ (C) PIXTA

ある事件があって、2人の容疑者が警察にとらえられ留置される。警察は2人が共犯者同士であることを知っている。そこで、2人に尋問が始まるが、その際に容疑者の2人は別々の部屋に隔離されているので、お互い相談はできない。そこに判事がやってきて、次の司法取引の提案をする。

  1. 警察は確実な証拠を持っている。もし君たちが2人とも黙秘したら2人とも懲役2年だ。
  2. しかし君たちのうち1人だけが自白したらその場で無罪放免にする。この場合自白しなかった方は懲役10年だ。
  3. ただし君たち2人が両方とも自白したら2人とも懲役5年だ。

自身の利益の最大化を望むなら、容疑者の選択は明らかに2番である。しかし、その場合には相手が"自分を裏切って自白しない"という確証がないとできない。2人とも尋問中の話し合いはできないので相手がどう出るかは自分のリスクとして覚悟しなければならない。結局このジレンマの中で多くの容疑者が選択するのは1番である。その心理には自身への見返りは確保しながら、リスクを最大限に低減する方向に落ち着くという考えが働いている。この2人の容疑者がインテルの絶対的権力下に置かれた2社のパソコンメーカーに置き換えるともっとわかりやすいかもしれない。その置かれた状況の要件とは以下のような具合である。

  1. 顧客によってインテルとの親密性は微妙に違っている。当時一番インテルと関係が密だったのはデル・コンピュータであった。デルはその独自の直販モデルでパソコン、PCサーバーのトップシェアを持っていた。もちろんCPUはインテル100%である。
  2. デルがインテルから一番いい条件をもらっていることは明らかだ。AMDの性能がよく価格の低いCPU製品を使えば自身のPC・サーバー製品の市場で優位に立つことができる。しかしインテルからは睨まれる。
  3. 要するに"AMDみんなで使えば怖くない"、ということになるが"みんな"はお互い競合なので相談などできない。故にみんなの輪は成立しない。

パソコン市場で競合し何とか勝ち残ろうと切磋琢磨する各社が、下手すればインテルから手ひどい報復を受けるかもしれないリスクを冒してまでも今の状態から抜け出そうとすることには大きな決断を必要とする。この状況にあってAMDがある顧客で大きく成功することは非常に困難であることがわかる。

この難関を突破してAMDのビジネスを広げるのは至難の業であるが、不可能ではない。しかし、その場合下記の要件が必要不可欠である。

  1. インテルと明確に差別化された、しかもコスト・パフォーマンスに優れた製品を持っていること。
  2. 重要な決定を顧客から引き出すために必要な真のカスタマー・リレーションシップ。
  3. 刻々と変わる各カスタマーの状況を総合して判断できるしっかりとした情報。

K6とK7はAMDのシェアの驚異的な上昇を可能とした。画像はイメージ (C) PIXTA

各国のAMDの営業はK7の成功をばねに、さらに差別化を強化したK8をうまく軌道に乗せて次第にビジネスを拡大していった。その中でも、K7コアの廉価版Duronで個人向けデスクトップパソコンに採用が進み早い時期から大きく成功した地域が日本であった。その成功はこの前の章で書いたように2002年夏の量販店データが示すように、AMDがインテルのシェアを凌ぐほどの明白な結果となって表れた。しかし、そのAMD始まって以来の快挙はインテルのなりふり構わぬシェア奪回作戦の引き金を引いてしまった。今から思うと、あの成功は出来すぎだったということになる。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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