AMDはAm386の投入によって息を吹き返したが、既に次の製品の独自開発に着手していた。Intel80486互換のAm486である。トランジスタ数が120万と言うことはAm386の4倍以上である。その開発については、営業に忙しかった私にとってはAm386の時ほどドラマチックではなかったので(と言っても、設計エンジニアたちはさぞかし大変だったろうに…)、私自身はよく憶えていないが、1993年の4月にAm486が正式リリースされた。386の時にはIntelから5年遅れだったものを、4年遅れに縮めたわけである。
Am386の販売の際に経験した"本当に互換なのか"というカスタマらの反応にAMDは非常に明確な形で答えた。Am486ではCPUのパッケージにWindowsロゴをあしらったのである。これはAMDが勝手にやるわけではないので、当然Microsoftが承認したわけである。
このころから、AMDの中ではいよいよIntel互換路線を捨てるという方向性がはっきりしてきたのであると思う。それと同時に、Wintelと言われた無敵のビジネスモデルにも変化がでてきたのが読み取れる。MicrosoftにとってはPCがより売れるのがいいのであって、その中に使われるCPUはIntelでもAMDでもどちらでもよいということである。この考えはIntel側も同じであったであろう。
つまり、Intelのハードであればマイクロソフトでも、Linuxでも、そのずっと後にスマートフォンのOSとして市場を席巻するGoogleのAndroidでも何でもいいということである。時代はいよいよ次の段階に入っていった。
(次回は番外編を7月13日に掲載予定です。)
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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