AMDのCEO、Jerry SandersはイライラしてBen Oliverが電話に出てくるのを待っていた。テキサス州Austinに設置されたBen Oliver率いる極秘プロジェクトLonghornチームがシャンペンを飲んで騒いでいるという情報を聞いたからだ。ここからのやり取りは、AMDの社史からの引用である。
Sanders: Ben何やってんだ!! そんな暇があったら早く386を完成しろ!!
Ben: おおつ! Jerry、CEO御大からの電話ですか、あまりにもいいニュースなので連絡遅れてました。すいません。みんなでシャンペンあけて大騒ぎですわ!!
Sanders: それで、どうなんだ!?
Ben: 完成です。OS、主要なアプリとも全く問題なく動いてます。完全に互換です。パーティーに戻っていいですか? 何しろやつらは頑張りましたから。
Sanders: Ben、よくやった!!。シャンペンはJerryのおごりだと言って何本でも注文しなさい。
Benのリバースエンジニアリングの仕事は奇跡的な結果を生み大成功であったが、CEOとしてのSandersの仕事はこれからだった。何しろ、今までのように固定したデザインを製造部門に回してチューニングをするのとは違い、まだ流したことがないデザインを市場投入時に競争力のある性能で(クロック周波数)、儲けられる形で(ダイサイズ、製造コスト)製造しなければならない。
しかも、市場はIntelがAMDに80386をライセンスせず、AMDは386を独自開発しなければならなかった事をよく知っている、AMDの386がリリースされる時期になっても前述した調停訴訟の結果は出ていない(AMDはシリコンデザインのハードウェアは独自開発したが、プロセッサに格納されたマイクロコードは1976年のクロスライセンス契約でAMDに使用権があるという立場で、そのまま使用していた ― この件については後程機会があったら説明します)。その状態ではたして、市場はAMDの独自開発品を受け入れるだろうか? さらに、Intelは80386の次期製品80486の開発に余念がない。80486が出てくれば、IntelはせっかくBenが開発したAMDの386を殺しにかかる。まさに時間との戦いだった。
BenのLonghornチームが開発を終えてからの製造部門の頑張りについては、私はよく知らない。ただ、日本の営業、Marketing部門の人間として私が憶えているのは、「80286はもう終わりだ、早く386を投入しないと売り上げが立たない、早く386を!!」ということだった。
果たして、AMDが総力を結集して開発した80386互換プロセッサは、それまでのAMDの製品番号の伝統に従ってAm386として1990年11月に正式リリースされた。Intelの386の発表に遅れること5年であった。
(次回は6月29日に掲載予定です。)
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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