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この頃から、x86アーキテクチャがMotorolaの68000などの他のアーキテクチャと競合していた状態が、PCの爆発的な普及により次第に変わってきていた。すなわちx86はPC業界の唯一の標準となり(de-facto standardと言う)、PC各社は標準にのっとったPCを大量生産することとなり、勝敗を分けるのは、どのPCメーカーがより高速なCPUとより容量の大きいメモリ(DRAM)を積んで、より安く提供するかが勝負となる。
もっとも、この時代にはまだPCの形状などで差別化を図れることができたので、Display一体型デスクトップ、白黒DisplayでなくカラーDisplay, ラップトップ(ノートブックではなく)など各社工夫を凝らしたPCが出現した。それでもやはり、重要なのはコンピューターの頭脳と言われるCPUである。当時のWindowsベースのアプリケーションはまだ高速のハードを必要としていたので、CPUが高速であるほど、またメモリ容量が大きければ全体の処理能力は高くなる。CPUが同一アーキテクチャであれば、性能を決定付けるのは動作周波数(クロックスピード)と消費電力である。より高い周波数で、消費電力を抑えたCPUがより高い価値があることになる。
PCが急速に普及し始め、かつては職場でしか目にしなかったコンピューターが個人の持ち物になり始めると、Intelは従来の技術主導のエンジニア集団という会社から、半導体市場には当時まだ存在していなかったブランドマーケティングを持ち込み始めた。高い周波数であるほど価値が高いという大変に解かりやすいメッセージで瞬く間に市場で受け入れられていった。
AMDも負けてはいなかった。Intelの80286が周波数12MHz(ギガヘルツではなくメガヘルツです…)であったところに16MHzを投入、しかもPCの小型化がはかれるプラスティックのパッケージを使用するなどいろいろな改良でIntelを猛追し、次第に市場シェアを広げていった。しかし、この数年前からIntelは既に16ビットの80286の次期製品である32ビットの80386の開発を進めていた。16ビットから32ビットへの進化はPCの性能向上においてメジャーなイベントであった。32ビットコンピューティングはその後PCの世界では20年以上続くことになる。
80386はAMDにはライセンスしない
80286プロセッサ(x86)とマイクロソフトのDOS(まだWindowsではなかった)との組み合わせで、その後Wintel(この表現は後になって主にプレスが使ったのであって、面白いことに筆者はIntelもマイクロソフトもこの言葉を積極的に使っていたのを聞いたことがない…)という無敵のビジネスモデルを打ち立てたIntelは、次期プロセッサ製品80386を開発するにあたってAMDとの関係において社内で密かに決定していたことがあった。要約すれば下記の3つの事項である。
- 80386はAMDにはライセンスしない。
- しかしそのことはAMDにはすぐには伝えない(ぎりぎりまでAMDをIntelアーキテクチャのサポート側につけておく)
- 80386発表後は80286からの切り替えをできるだけ早く行いAMDを振り切る。
誤解のないように記しておくが、これらのことをIntelが密かに決めていたと言う事実は筆者が憶測で言っているのではない。AMDはいくら待っても、Intelが80386の二次供給ライセンスの話に乗ってこないので、1982年のライセンス契約に基づいてIntelに対し調停訴訟を提起した。それを見たIntelは、すぐさまAMDに80386のライセンスをしないと宣言した。調停訴訟というのは、ハイテクノロジーの業界ではよく出てくる話で、長期にわたり、しかも金がかかる法廷闘争の代わりに、両社の合意のもとに選出された調停人(ほとんどの場合引退した裁判官、判事など法律のプロが選ばれる)に依頼してスピーディーに解決を図る略式訴訟のようなものである。
しかし、実際にはこの調停はもめにもめて、結果的にはAMDの主張がおおかた認められる形で終了することになる。先に述べたIntelがAMDとの関係において秘密裏に決定していた3つの重要な事項は何万ページにわたる双方の内部文書を精査して、多分5年近くはかかったであろうこの調停訴訟の結論として、調停人元判事のバートン・フェルプス氏がまとめた調停文書で発表したものにはっきり述べられている事実認定である。
その後も、AMDとIntelはいくつかの大掛かりな訴訟合戦を繰り返すが、これについては別の機会を得て記述したいと思う。
(次回は6月8日に掲載予定です。)
著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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