農業高校をアグリビジネスの視点も込めて描いた人気漫画「銀の匙 Silver Spoon(荒川弘 著)」の紹介から始まった本連載も、10回目を迎えた今回で最終回となる。これまでの連載では、グローバル化とデジタル化の波にさらされる農林水産業の環境変化や構造変化について述べながら、その変化を受けて変わろうとしている農業高校の試みを紹介してきた。筆者は、日本の農林水産業が成長産業として生まれ変わるかどうかは、その変化を担う次世代の人材育成にかかっていると考える。高齢化が急速に進む中、教育の改革は待ったなしの状況である。最終回は、ビジネスを理解し、デジタルを活用し、グローバル市場を見据えることができる次世代アグリビジネス人材を育成・輩出していくための、具体的な教育モデルについて考えたい。
農業高校が目指す方向性
高等教育機関の今後の方向性に対する問題提起として、2014年に株式会社 経営共創基盤の代表取締役CEOである冨山和彦氏が提言したG型大学・L型大学という概念がある1)。ここでは、まず日本の産業をグローバルでの競争に直面し競争力が求められるG(グローバル)モード産業と、サービス業を中心としたグローバル競争に巻き込まれないL(ローカル)モード産業、の2つに分解している。そして、日本経済の成長にあたっては、就労人口の大部分が従事しているLモード産業の生産性向上が重要と説いている。そのため、Gモード産業で活躍する人材を輩出可能なごく一部のTop Tier大学・学部(G型教育機関)を除く、ほとんどの大学・学部・専門・専修学校をL型大学として、教育内容からアカデミズムを排し、Lモード産業の生産性向上に必要とされる実践教育にシフトさせることが必要であると提言している。
この提言を踏まえて筆者の見解を述べると、農林水産業はいまだ生産性が低いLモードの産業である一方で、Gモードへの変化が求められている産業と言える。さらに言えば、地場性が高い農林水産業のGモードへの変化は、ごく一部のG型人材だけで成すことは難しく、大多数を占めるL型人材がデジタル技術をはじめとする武器を持って、グローバルに打って出るための教育が求められるのではないだろうか。つまり、農業高校が将来の産業を支える人材輩出拠点となり、生産性を上げるL型人材育成に向けた実践的教育を提供しつつ、高等教育機関ではないからこそできる、Gモード化への挑戦を喚起するような実践教育を提供することが求められると考える。下記の図1は、冨山氏が提言した高等教育機関におけるG型・L型の概念を、筆者の見解に沿って記載したものだ。そのうえで、高等教育機関ではないが、農業高校が目指すべき教育をG型・L型双方の実践教育としてマッピングしている。
さらに、別稿(アクティブ・ラーニングの可能性と課題:前編、後編) で論じたように、農業高校において実践的かつ高度な学習機会を提供するためには、全面的なアクティブ・ラーニングの導入も必要であろう。
また、グローバル化を見越した農業高校での実践教育の在り方については、政府でも議論が盛んに行われている。特に、具体的な動きとして、最近では自民党の小泉進次郎氏が言及したことをきっかけに、国際的な農業生産工程管理認証であるグローバルGAP(Good Agricultural Practice)の取得を政府が支援する動きがある。グローバルGAPは、欧米では大手小売チェーンにおける調達基準となっており、オリンピックにおいても調達基準となっていることから、東京オリンピック開催に向けた取得推進が日本の課題となっている。小泉氏が視察した青森県立五所川原農林高等学校は、世界で初めてグローバルGAPを取得した農業高校であり2)、グローバルGAP取得にあたってはアクティブ・ラーニング型のプログラムを実施したことがうかがえる。
次章では、ここまでの議論を踏まえつつ、次世代アグリビジネス人材を輩出するための具体的なカリキュラムについて論じたい。
次世代アグリ人材育成のためのカリキュラム案
筆者が考えるカリキュラム案は、下記図2にあるように、必修科目の「(1)マインドセット」「(2)マネジメント」「(3)マーケティング」をベースに、専攻や興味に応じて選択する、流通・販売系の「(4)サプライチェーン」「(5)ビジネスモデル」「(6)デザイン」、生産・製造系の「(7)クラフトマンシップ」「(8)デジタル」「(9)グローバル規制・認証」、任意履修科目の「(10)ローカルリーダーシップ」「(11)グローバルコミュニケーション」、および履修した実践基礎科目を応用して事業を体験する「(12)総合学習」からなる。
これらの科目に含まれる内容の多くは、既存の農業高校の教育課程に含まれている学習内容であるが、実践に向けた教育の枠組みとして再定義している。下記に各科目について簡単に紹介したい。
1:マインドセット
- 入学して最初に履修するべきはマインドセットである。成長する農業を営むには、前向きに課題解決に挑む「やる気」が必須であり、就農しないとしてもグローバル化する中で求められる、自ら考えて物事を進める力、発想力、チームワーク力、問題解決能力を意識して学ぶ必要性に気づくことを目的とする。入学したばかりの1年生向けに、チームでのアイデア発想法・課題発見法・問題解決法・議論法を、とっつきやすいお題を使って1年間ひたすら繰り返し体験させる。
- 併せて、農業経営の全体像を感覚的に理解できる体験型のシミュレーションを実施する。例えば、筆者の所属するアクセンチュアでは、一般社団法人Bridge for Fukushima、および宮城県農業高等学校とともに農業経営を学べるカードゲームを開発した。こちらは、割り振られた土地に応じて、銀行からの借入額、作物の種類や栽培量・方法、肥料や農薬の使用の有無、機械やITの導入、販路などをチームで意思決定し、クジで決まるリスク要因(天候や病気発生など)も踏まえて、3年間の収支をチームで競うゲームとなっている。ゲームという身近でわかりやすい媒体によって、生徒は漠然と考えていた農業経営というものを、楽しく、感覚的に捉えることができる。
2:マネジメント
- 物事を進めるために必要になるスキルを身につける。具体的には、タスクの定義、スケジュール作成、収支計画、事業計画作成、タスク管理などを実際に作りながら学ぶ。
3:マーケティング
- 身近な地域となる地元の市場からはじめ、近隣都市、首都圏、海外へ、そのニーズの違いを体感するとともに、何が付加価値となるのか、またその源泉は何か、付加価値向上に向けて何をするべきかを地元特産品などの題材を使ったプロジェクト学習を通じ、その考え方を学ぶ。生産・製造・流通といった川上を学ぶ前に、全生徒が消費者ニーズ・マーケットを意識する思考を身に着けることが重要である。また、この科目では、実際の市場データや顧客データの活用法についても実践的に習得する。
4:サプライチェーン
- 目的とする場所や市場で商品を流通させるためのノウハウを中心に、輸出における流通のポイントから、電子商取引の活用方法と注意点、最新のロジスティクス技術までを学ぶ。流通の現場を見学するだけでなく、実際に自らがECサイトを立ち上げることによる体験的な学習なども取り入れる。
5:ビジネスモデル
- デジタル化や6次産業化といったトレンドを踏まえつつ、農林水産業に関わるさまざまなビジネスモデルを学ぶ。地域で実際に活躍するさまざまな事業者を題材とし、見学・取材などのフィールドワークを通じて学習する。
6:デザイン
- 商品およびパッケージのデザインから、プロモーション全般、そしてカスタマエクスペリエンスに至るまで、科学的かつ感情に訴えかけて売れるための仕組みや技術を、実践を通じて学ぶ。
7:クラフトマンシップ
- 生産・製造技術の基礎を学ぶとともに、学年が上がるにつれ、消費者の嗜好やニーズに合わせて差別化できる生産ノウハウについて研究する。必修科目で学習したマーケティングの観点を踏まえ、生徒自らマーケットインでの差別化要素について考える。
8:デジタル
- デジタル化が進む農業生産・食品加工生産において、必要となるデジタル技術の基礎知識を学ぶとともに、例えば、実際のIoT農業システムや生産管理システムを用い、センサーを利用してデータに基づいた生産・製造を行うといった経験を積む。
9:グローバル規制・認証
- 前述したグローバルGAP、そして食品製造などに関する危害要因を分析し、特に重要な工程を監視・記録するシステムであるHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)など、海外で農産物を販売するにあたり対応が求められる規則・認証制度について実践的に学ぶ。青森県立五所川原農林高校のように、座学に加えて、実際の取得にも取り組む。
10:ローカルリーダーシップ
- 将来、地場の産業をリードする人材を育成する。その地域の魅力と商品・サービスを紐づけ、ビジネスとして成功させるためには何が必要か、地元でのフィールドワークとケーススタディを通じて学ぶ。例えば、イノベーション・クラブ活動「i.club(アイクラブ)」3)といった取り組みが参考になるだろう。
11:グローバルコミュニケーション
- 筆者が所属するアクセンチュアが過去に実施した海外市場の調査では、海外の輸入事業者から日本の事業者に対するクレームの上位に言語・コミュニケーション不全がある。単に英語の勉強というだけではなく、たとえ英語がうまくなくても海外の事業者とビジネス上のコミュニケーションを取るための技術や各国別のコツ、外国人とのコミュニケーションに臆さないメンタリティ獲得を重視した授業を行う。
12:総合学習
- 上記1~11までの学習内容を踏まえ、2年間かけて実事業に取り組む。これは課題研究といった、技術習得や研究を目的にしたものではない。ビジネス課題や社会課題の解決を見据えた事業を行うことを目的としたプロジェクト型の取り組みである。例えば、会社を設立して商品を企画・製造・販売するものや、地域産品の輸出に向けた取り組み、グローバル認証を取得するための取り組み、などが考えられる。また、農業高校以外の実業高校や地元の大学、企業などと連携することも重要だろう。
最後に
農林水産業では、6次産業化まで捉えれば、生産から加工、販売までのサプライチェーン・バリューチェーン全体を通してビジネスを考え、継続的なマーケティング活動とイノベーションが必要となる。たとえ規模が小さくてもビジネスの基本要素がすべて詰まっているのである。
前回までの記事の中で、何度か筆者が所属するアクセンチュアとBridge for Fukushimaによる「農業高校向け経営・マーケティングプログラム」の取り組みを紹介してきた。このプログラムは、一連のアグリビジネス体験を行うことで、上記で示したカリキュラムを一部ではあるが実現しており、現場にいると生徒の変化を感じることができる。知識・技術だけの教育では得られない、「この授業で自分の将来やりたいことがはっきりした」、「この授業で学んだ考え方、物事の捉え方を積極的に将来に取り入れていきたい」といった声も聞こえてきており、未来に対して前向きに取り組むモチベーションの変化も生み出している。
そしてアグリビジネスについて言えば、その産業特性上、土地に根差すことが多い。よって、前述したカリキュラムを履修し、次世代アグリビジネスを担うことができる人材は、広く地域の付加価値向上に貢献する人材となるだろう。日本各地にある農業高校の卒業生が地方創生の要として活躍し、さらには地域での起業を夢見る子どもが積極的に農業高校への進学を競うような未来が実現することを願う。
(文中の役職は掲載当時のものです)
出典
出典1:「我が国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性」(2014年)
出典2:青森県立 五所川原農林高等学校ホームページ
出典3:i.clubホームページ
著者プロフィール
藤井篤之(ふじいしげゆき)
アクセンチュア株式会社 戦略コンサルティング本部 シニア・マネジャー
入社以来、官公庁・自治体など公共サービス領域のクライアントを中心に、事業戦略・組織戦略・デジタル戦略の案件を担当。農林水産領域においては輸出戦略に精通している。
また、アクセンチュアの企業市民活動(CSR活動)において「次世代グローバル人材の育成」チームのリードを担当。経営・マーケティングに関する農業高校向け人材育成プログラムの企画・開発を行う。
久我真梨子(くがまりこ)
アクセンチュア株式会社 戦略コンサルティング本部 マネジャー
企業の事業戦略・組織改革などに関するコンサルティングと並行し、教育機関に対して、カリキュラム改組から教材開発、実際の研修実施に至るまで踏み込んだ支援を行う。
人材育成に関する豊富な知見を活かし、アクセンチュアの企業市民活動において、農業高校向け人材育成プログラムを提供している。