前回は、F-35Bの垂直着艦を実施するために必要とされる耐熱加工の話や、空母の飛行甲板が過酷な条件に晒される話を取り上げた。今回も、空母の話を主体として、飛行甲板にまつわる話をいくつか書いてみる。

飛行甲板の滑り止め(ノンスキッド)

前回にもちょっと触れたが、空母の飛行甲板にはノンスキッドと呼ばれる滑り止め塗装を施してある。これは単なるペンキではない。

米空母で使われているノンスキッドはMS-375Gといい、アメリカン・セーフティ・テクノロジーズという会社の製品。これはエポキシ樹脂を主体としており、そこに骨材として酸化アルミを混ぜてある。2液式で、電動攪拌機で骨材、溶剤、顔料を混ぜて攪拌したものを塗る。顔料を変えれば、さまざまな色のものを用意できる。

気温21度の状態で、塗ってから歩行可能な状態まで硬化するのに24時間、完全に硬化するまで96時間かかる。いったん硬化してしまえば表面の凸凹はとても強固なものになる。ノンスキッドの上で転んで素肌をひっかけたら、たぶん血まみれになるんじゃないかというぐらい。

  • 米空母「ロナルド・レーガン」の飛行甲板。表面に塗られたノンスキッドのため、ざらついた表面になっている様子が分かる。白い円形の物体は、着艦拘束ワイヤの繰り出し口 撮影:井上孝司

    米空母「ロナルド・レーガン」の飛行甲板。表面に塗られたノンスキッドのため、ざらついた表面になっている様子が分かる。白い円形の物体は、着艦拘束ワイヤの繰り出し口 撮影:井上孝司

MS-375Gは、エンジン排気、燃料油、酸、アルカリ、溶媒、塩水、洗剤、アルコールなどに対して強い耐久性があるという。ちなみに、温度は華氏1,800度(摂氏982度)まで耐えられる由。一見したところでは大した耐熱性能に見えるが、さすがに、F-35Bのエンジン排気をもろに浴びたら耐えられない。

MS-375Gだけでなく、さらに耐久性が高いMS-400GやMS-440Gといったノンスキッドもある。MS-375Gは5~10年間もつが、MS-440Gは7年~12年もつことになっている。メーカーが公開している資料をあたってみたところ、空母の着艦エリアで使うMS-400L、MS-5000L、MS-8000Lといったノンスキッドもある。”制御された衝突” を受け止める、最も条件が厳しい場所だから、特に耐久性を高めてあるのだろう。

かようにノンスキッドは高い耐久性を備えているが、それでも長いことフライト・オペレーションを続けていると、飛行甲板の表面に塗ったノンスキッドがすり減ってしまうことがあるらしい。その昔に横須賀に前方展開していた米空母「ミッドウェイ」では、航海の途中でノンスキッドの全面塗り直しをやったことがあったという。

単に傷んだところだけ補修するのではなく、いったん既存のノンスキッドを全部剥がして、下地から塗り直したというから、大変な手間だ。しかも、ノンスキッドの耐久性を確保するには、最初に塗装面をきれいな状態にしなければならない。洗剤や溶剤で完全に汚れを取り除いて、下地となるエポキシ樹脂プライマーを二度塗りして、それからようやくノンスキッドの塗布となる。

ここまで書いたところで気になって、海上自衛隊のヘリコプター護衛艦で撮影した写真を見てみたが、飛行甲板のノンスキッドの見た目は、米空母のそれと似ているようだ。ということで調べてみたら、海上自衛隊のヘリコプター護衛艦や輸送艦でも、米海軍と同様にMS-375GやMS-440Gを使用していると分かった。ちなみに、日本の代理店を介してMS-375Gを購入する場合のお値段は、1ガロン(約3.8L)で41,800円するそうである(2022年4月現在)。

なお、カチカチに硬化するノンスキッドだけでなく、柔軟性を備えたノンスキッドもある。MS-375Gの主体となるエポキシ樹脂は、炭素繊維複合材でも使われることでお分かりの通り、強度が高い。しかし柔軟性を備えたノンスキッドで使うには向きそうにないから、別の樹脂を使うのだろう。

  • ヘリコプター護衛艦「ひゅうが」の飛行甲板。グレーの部分に塗られているノンスキッドの見た目は、米空母のそれと同じ。ただし白線の部分の処理は、米艦とは異なるようだ 撮影:井上孝司

    ヘリコプター護衛艦「ひゅうが」の飛行甲板。グレーの部分に塗られているノンスキッドの見た目は、米空母のそれと同じ。ただし白線の部分の処理は、米艦とは異なるようだ 撮影:井上孝司

ギャラリー・デッキ

飛行甲板の話が出たついでに、余談を一つ。

すべての国のすべての空母が、というわけではないが、米空母を中心として、ギャラリー・デッキを設けている空母型の艦がある。ギャラリーといっても見物人のことではなくて、飛行甲板自体の構造に高さを持たせて、一層分の甲板に仕立てたものだ。こうすると、飛行甲板の平面型に等しい、広い甲板を確保できる。

米海軍では空母も強襲揚陸艦もギャラリー・デッキを設けているが、同じ空母型の揚陸艦でも、スペイン海軍のファン・カルロスI世はギャラリー・デッキを持たない。だから「空母型の艦なら、必ずギャラリー・デッキがある」とは限らない。

ちなみに、我が国の「ひゅうが」型や「いずも」型でもギャラリー・デッキを設けている。ギャラリー・デッキの内部では、前後方向に通じる通路が左右に1本ずつ通してあって、その間と左右に諸区画を並べてある。多目的区画みたいに広いスペースを必要とする区画は、左右の通路の間に配置することになる。

  • ヘリコプター護衛艦「いずも」の前部エレベーターを降ろした状態。飛行甲板と格納庫の天井の間がかなり空いているのは、この部分にギャラリー・デッキを設けてあるため 撮影:井上孝司

    ヘリコプター護衛艦「いずも」の前部エレベーターを降ろした状態。飛行甲板と格納庫の天井の間がかなり空いているのは、この部分にギャラリー・デッキを設けてあるため 撮影:井上孝司

ギャラリー・デッキの利点は、飛行甲板との行き来がしやすい場所に広いスペースを確保できること。すると当然ながら、航空関連要員の居住区を置こうと考える人も出てくる。”仕事場” との行き来は確かに便利だが、ちょっとした問題がある。

ギャラリー・デッキは飛行甲板の直下だから、飛行甲板で発生するドタバタがもろに伝わってきてしまうのだ。ことに空母の着艦エリア付近だと、例の ”制御された墜落” の衝撃と騒音が直撃する。そんなところに寝床があったら、おちおち安眠もできない。といっても実際には、慣れて、そして勤務で疲れ果てていると、ちゃんと寝てしまうものであるらしい。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。