またひとり、航空業界のレジェンドが鬼籍に入った。2020年12月7日に亡くなった、チャック・イェーガー(Charles Elwood "Chuck" Yeager)退役米空軍准将である。いうまでもなく、ベルX-1を駆って、初めて公式に認められた超音速飛行を達成した人物だ。
チャック・イェーガーという人物
チャック・イェーガーは1923年2月13日に、ウェストヴァージニア州マイラで生まれた。そして陸軍に入隊して、最初は航空機の機付長を務めていた。ところが1941年12月4日に、パイロット訓練生の募集に関する掲示が張り出されていたのを見て「整備するよりも飛ぶ方が面白そうだと思った」といって志願したのだという。
そして、1943年3月20日にウィングマークを取得。その後、同年11月からP-51ムスタングのパイロットとして欧州戦線に出征して、終戦までに11.5機の撃墜を記録している(半端な数字なのは、僚機との共同撃墜が含まれているため)。その間、1944年3月5日にフランス上空で撃墜されたが、ドイツ軍には捕まらず、イギリスに戻って戦闘任務に復帰できた。
戦後、空軍は撃墜を記録したパイロットや戦争捕虜になったパイロットに対して、本人が希望する任地への配属を認めていた。そこでイェーガーが選んだのが、故郷に近いオハイオ州デイトンのライトパターソン基地。最初はメンテナンス・オフィサーを務めていたが、整備と操縦の両方を経験していたおかげで、操縦ができるだけでなく、機体のメカニズムにも通じている強みがあったという。
そして上官の勧めからテストパイロット訓練校に入り、課程を修了した後はテストパイロットとしての道を歩み始めた。実は、ベルX-1による超音速飛行への挑戦も、そうした飛行試験プログラムのひとつだったのだ。当時、イェーガーはX-1に専念していたわけではなく、他の機体の試験飛行と掛け持ちしていたという。
X-1の飛行試験では徐々に速度域を引き上げていって、「今回は、前回よりも速く飛ぼう」といって実施した、1947年10月14日のフライトで音速突破を実現。高度43,000ftでマッハ1.06を記録した。イェーガーによると「マッハ0.88ぐらいから振動が激しくなっていって、0.95、0.96と速度が上昇。計器の針がマッハ1.0の目盛から飛び出した途端に機体の振動が止まったので、音速を超えたのだと予測がついた」のだそうだ。
X-1という飛行機
使われたX-1(当初名称はXS-1 : Experimental Supersonic - 1)は、ベル社が手掛けた機体。砲弾型の胴体の後部に、サイオコールXLR11-RM-5という液体燃料ロケットを搭載する。4個の燃焼室と排気ノズルがあり、ひとつあたりの推力は1,500lbだから、トータル6,000lb(2,724kg)となる。
燃料はアルコールと水の混合で、酸化剤は液体酸素を使用する。その液体酸素のタンクがコックピットの直後にあるため、「とても寒かった」のだそうだ。超音速飛行で必要となる推力を確保するだけでなく、安全性や扱いやすさを考慮した結果、アルコールと液体酸素を使用するロケット・エンジンに落ち着いた由。当初はジェット・エンジンを使用する案もあったというが、当時のジェット機の性能からすれば、ロケットは正しい選択だっただろう。
空気抵抗を減らすためかキャノピーは突出しておらず、右側面のドアから出入りする。高さが狭いため、足や膝の位置は通常の着座姿勢よりもだいぶ高い位置に来る(F1マシンに似ている、といえるかもしれない)。そのため、Gによって血液が下半身に集中する現象は起きず、血流を妨げないように下半身を圧迫するGスーツを着る必要はなかったそうだ。
主翼は直線翼で中翼配置。それが胴体内を貫通しており、その前側に液体酸素タンク(1,185リットル)、後ろ側にアルコール・タンク(1,128リットル)を配置した。どちらも均等に減るから、重心位置の移動は抑えられるということだろう。
地上から自力で離陸・上昇すると、そのために余分な燃料を搭載しなければならず、機体が大きく、重くなってしまう。そこで、B-29爆撃機の下に機体を吊した状態で離陸して、空中で切り離した後にロケット・エンジンを始動する方法がとられた。
4個の燃焼室は、それぞれ個別に動かすことができたが、推力増減の指示はできない。だから、パイロットが指示できるパワーは0%、25%、50%、75%、100%のいずれかとなる。超音速達成時のフライトでは、まず2個を始動して上昇、続いて残り2個を始動。その後に2個を停止して所定の高度に到達、再び1個を始動して3個で水平飛行を実施。そして超音速に到達した。
なお、超音速機なら後退翼にするものではないか、と思われそうだが、なにせ第2次世界大戦が行われている真っ最中の、1944年に開発の話が出た機体だ。まだ後退翼に関する知見は不十分だったので、確実性をとって直線翼になった。そして、翼端渦による影響が水平尾翼に及ぶのを避けるため、水平尾翼の取付位置をできるだけ高くする設計となった由。また、水平尾翼には取り付け角を調整する機構が組み込まれていた。
ちなみに機体構造はアルミ合金製のセミモノコック構造で、特に突飛なことはしていない。ただし荷重制限値は+18Gで、これは今時の戦闘機における一般的な上限値の2倍にあたる。試験機だから機内には計測器が満載されていたほか、左主翼には圧力分布測定用の穴が240個も付いていたそうだ。
著者プロフィール
井上孝司
鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。